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有機溶媒のあれやこれ

たまには皆さんの役に立ちそうな記事でも書いてみようかと思う.


このブログで閲覧の多い記事の一つに「メタノールとあれやこれ(記事はこちら→)」がある.

おそらく,メタノールの毒性に関して検索の結果,この記事に辿り着かれているのではないだろうか.

私はメタノールの毒性については詳しくないので具体的に記すことができなかった.


しかしながら,仕事でよく確認するガイドラインに参考になりそうなものがあることを思い出したので,簡単にまとめてみようと思う.


医薬品の残留溶媒ガイドライン(平成10年3月30日 医薬審第307号 各都道府県衛生主管部(局)長あて厚生省医薬安全局審査管理課長通)である.

「本ガイドラインの目的は,患者の安全のために医薬品中の残留溶媒の許容量を勧告することである.本ガイドラインは,医薬品の製造の際には,低毒性の溶媒を使用するように勧告するとともに,いくつかの残留溶媒について毒性学的に許容し得る限度値を示している」と書かれている.

錠剤や細粒など医薬品の有効成分の中には水に溶けないものがある.

溶液化できなければ各錠剤や細粒に均一に有効成分を含有させることは非常に困難になる.

そのため,有機溶媒に溶かして均一に混ぜた後に熱をかけるなどして,有機溶媒をとばしたりする.

しかし,有機溶媒の中には毒性をもつものがあるので限度値を設定しておこうということである.


クラス1の溶媒(医薬品の製造において使用を避けるべき溶媒)

例)溶媒 / 濃度限度値(ppm) / 考慮した点

ベンゼン / / 発がん性

四塩化炭素 / / 毒性及び環境への有害性

1,2‐ジクロロエタン / 5 / 毒性

1,1‐ジクロロエテン / 8 / 毒性

1,1,1‐トリクロロエタン / 1500 / 環境への有害性


クラス2の溶媒(医薬品中の残留量を規制すべき溶媒)

例)溶媒 / 濃度限度値(ppm)

アセトニトリル / 410    

クロロベンゼン / 360

クロロホルム / 60

シクロヘキサン /3880

1,2‐ジクロロエテン /1870

ジクロロメタン / 600

1,2‐ジメトキシエタン /100

N,N‐ジメチルアセトアミド / 1090

N,N‐ジメチルホルムアミド / 880

1,4‐ジオキサン / 380

2‐エトキシエタノール / 160

エチレングリコール / 620

ホルムアミド / 220

ヘキサン / 290

メタノール / 3000

2‐メトキシエタノール / 50

メチルブチルケトン / 50

メチルシクロヘキサン / 1180

N‐メチルピロリドン / 4840

ニトロメタン / 50

ピリジン / 200

スルホラン / 160

テトラリン / 100

トルエン / 890

1,1,2‐トリクロロエテン/ 80

キシレン* / 2170

*通常,60%のm―キシレン,14%のp―キシレン,9%のo―キシレン及び17%のエチルベンゼンの混合物


クラス3の溶媒(GMP又はその他の品質基準により規制されるべき溶媒)

**クラス3の溶媒の濃度限度値は5000ppm

酢酸,アセトン,アニソール,1‐ブタノール,2‐ブタノール,酢酸 n‐ブチル,t‐ブチルメチルエーテル,クメン,ジメチルスルホキシド,エタノール,酢酸エチル,ジエチルエーテル,ギ酸エチル,ギ酸,ヘプタン,酢酸イソブチル,酢酸イソプロピル,酢酸メチル,3‐メチル‐1‐ブタノール,メチルエチルケトン,メチルイソブチルケトン,2‐メチル‐1‐プロパノール,ペンタン,1‐ペンタノール,1‐プロパノール,2‐プロパノール,酢酸プロピル,テトラヒドロフラン


適当な毒性データが見当たらない溶媒

1,1‐ジエトキシプロパン,1,1‐ジメトキシメタン,2,2‐ジメトキシプロパン,イソオクタン,イソプロピルエーテル,メチルイソプロピルケトン,メチルテトラヒドロフラン,石油エーテル,トリクロロ酢酸,トリフルオロ酢酸


以上から毒性の強さが大まかなところは分かると思う.

濃度限度値など,何かに使いたい方,詳細に興味のある方は残留溶媒ガイドラインを実際にご覧頂きたい.

転記ミスなどあるかもしれませんので…,責任は負いかねます.

ガイドラインは日々,更新される可能性が高いのでリンクは貼らないが,「医薬品の残留溶媒ガイドライン」等で検索はかけられると思う.


2016年の春ごろに公示予定の“第17改正日本薬局方”にもこのあたりのことは詳しく記載されるそうである.

詳しくはPMDAHPをご覧頂きたい(現段階は公示されておりませんので,リンクは貼りません).

有機溶媒の毒性or摂取限度に関するヒントでした.





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by Allegro-nontroppo | 2015-10-26 01:11 | あれやこれ

特別展 蔵王権現と修験の秘宝@三井記念美術館

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三井記念美術館で開催中の「特別展 蔵王権現と修験の秘宝」に出かけた.

三井記念美術館は久しぶりで、前回はブログ開設前に訪問したのである.

蔵王権現といえば,昨年,金峯山寺を訪れたときに秘仏・金剛蔵王大権現に朝昼晩と三回も会うことができた.

特に夜間拝感は素晴らしい体験をさせていただいたという思い出がある.
(ブログ記事 吉野への旅 一日目 ~金峯山寺蔵王堂~はこちら→,吉野への旅 二日目 ~大峰奥駈道と吉野山~はこちら→)

そのような理由でこの特別展に出かけてみようと思い立ったわけである.

以下、展示品の感想.


蔵王権現像,蔵王権現懸仏

平安時代~鎌倉時代に鋳造されたとされる蔵王権現像が10体程度,懸仏はここでは1体出陳されていた.

全体的なポーズ等で蔵王権現と認識できるものの,右手に独鈷所を握っていたり,いなかったり左手は剣印を結んでいたり,いなかったりとちょっとした違いがある.

これが,鋳造された時期の微妙な差を表しているのかどうかは私にはわからないが,興味深い.

また,金峯山寺の秘仏・金剛蔵王大権現の印象があるのか,桜木造でなく,これらの蔵王権現像が銅製というのも面白い.


経箱・脚台付,双鳥宝相華文様箱

どちらも金峯山寺山上より出土したと伝えられているそうである.

経箱・脚台付には特に模様はないが,双鳥宝相華文様箱はガラス越しから見ても認識できるくらいには模様が残っていた.

平安時代に埋納されたのであろうから,模様が残っているのは驚異である.

ところで埋納目的で作成された経箱のどちらにも脚や床脚がついているのは不思議に思う.


弥勒上生経残闕

下半分が焼失してしまっている経である.

奥書の発願文や記された年などから,藤原道長経筒に納められていた経の一つとされているそうだ.

藤原道長経筒は御堂関白日記から,埋納者がはっきりしているということで,もっとも有名な経筒の一つである.

まさか,経の一部が残っているとは知らず,道長の文字の美しさに感嘆した.


聖徳太子立像,童子立像

金峯山寺蔵王堂外陣の厨子に安置されている聖徳太子立像と蔵王堂後陣に安置される童子立像二体である.

聖徳太子立像内には金堂舎利塔や摺仏残闕や経巻が納められていたそうである.

気になるのは童子立像で作風が聖徳太子立像と共通していることから,当初は山背大兄王と殖栗王であったという見解があるところである.

もし,そうであるならば,なぜこの三体が金峯山寺蔵王堂に安置されているのか,興味深い.


吉野曼荼羅図

吉野曼荼羅図として二品,出陳されていた.

一品目には蔵王権現,大峯八大童子,役行者,前鬼,後鬼,牛頭天王,女神,金精明神,佐抛明神,勝手明神,若宮,子守明神,若宮姫,天満明神,八王子神が描かれている.

二品目には蔵王権現,雨師明神,役行者,前鬼,後鬼,金精明神,子守明神,若宮,勝手明神,若宮,大南持が描かれている.

吉野にはこんなにたくさんの神がいる,またはいたのである.

蔵王権現や役行者ばかりがクローズアップされるけれども,彼らが現れる前の吉野山はどのようであったのだろうか.

ところで二品目に描かれた大南持は紀ノ川の湾曲点に築かれた大名持神社と関係があるのではないだろうか.


釈迦如来坐像

このような姿を裳懸座というそうである.

この像は吉野では最古の彫像とされており,飛鳥時代に通じる古様であるそうだが,衣文表現から白鳳時代の作例と考えられるそうである.

加えて,所蔵しておられるのが櫻本坊とのことであるから,天武天皇と関わりがあるのではないかと思うのだが,どうだろう.


蔵王権現鏡像,蔵王権現懸仏

10を超える鏡像と懸仏が出陳されていた.

平安時代~鎌倉時代の作品である.

これらを見比べてみると,蹴り上げる足と踏みしめる足の右左が逆転している蔵王権現がいらっしゃることに気付く.

作成時期が蔵王権現の姿が現在のように確定する前であったと考えてよいのだろうか.

国宝 蔵王権現鏡像は特に蔵王権現の迫力が素晴らしい.

国宝指定された理由は「山上導師所蔵霊鏡事」に記されているなどもあるのだろうが,毛彫りやデザインの素晴らしさを素人でも感じる凄さも理由の一つではないかと思う.


女神鏡像,僧形神・男神・女神鏡像,女神鏡像,僧形神懸仏,女神懸仏,男神坐像,女神坐像

吉野曼荼羅図のところでも書いたが,吉野には蔵王権現以外の神様もいらっしゃり,しかも信仰されていたというのを感じられる.

特に女神は優美にしようという気持ちが感じられる.

山伏が山中で修行する際にさまざまな用具を入れて運搬したという笈である.

透かし彫りの美しい作品である.

しかし,このような美しい笈を背負ってよく修行できたなあと感心する.

少しでも軽い方がいいのではないかなどと余計な心配までしてしまうほどの作品である.


投入堂古材,投入堂棟札

ここからは平安時代の建築国宝「投入堂(奥院)」で有名な鳥取県三徳山三佛寺関連の出品である.

解体修理時に取り換えられた古材と古い修理時の棟札である.

年代測定より縁板は1098年,垂木は974年,979年などの結果が得られたそうである.

また投入堂はかつて塗装と飾金具で荘厳されていたことも分かっているらしい.

古材や棟札などから,今後も分かってくることがたくさんありそうで楽しみである.

ところでこの投入堂の由来だが,役行者が法力で小さくして投入れたことからということである.

TVなどでよく見かける投入堂であるが,知らないことばかりでもっと興味を持っていきたいと思う.


獅子・狛犬,狛犬

獅子・狛犬はかつて,投入堂の中に安置されていたそうである.

どちらも木彫りであり,狛犬の方も雨ざらし出会った様子はうかがえなかったので,建物内に安置されていたのであろう.

平安時代から鎌倉時代のものだそうなので,その時代の獅子と狛犬の在り方に考えさせられる思いである.


蔵王権現像

かつて投入堂には正本尊,御前立,さらに六体の蔵王権現像が祀られていたそうで,この中から御前立と六体のうち五体の蔵王権現像が出陳されていた.

出陳された蔵王権現像はそれぞれポーズが違っている.

さらに,かつては彩色されていたらしい.

一つのお堂に同じ仏像が八体も並んでいる姿というのは見たことがないし,聞いたこともない.

例えば釈迦如来が八体も並んでいらっしゃったらかなり驚くと思う.

三体であれば金峯山寺の秘仏・金剛蔵王大権現の例があるが,それぞれ釈迦如来,千手観音,弥勒菩薩の化身とのことであったので,投入堂にも何か謂れがあるのかもしれない.

また,ここでは他に蔵王権現像三体も出陳されていた.


釈迦誕生仏像

素朴な釈迦如来で天上天下唯我独尊の姿をしていらっしゃる.

非常に微笑ましいお姿であった.


以上が印象に残った個々の出陳物である.

全体的には修験に関してというよりも,とにかく蔵王権現の出陳物が多かったという印象である.

そのおかげで,いろいろな蔵王権現の違いというのを楽しませていただいた.

いずれ三徳山三佛寺を訪れてみたい(投入堂は厳しいであろうが…).


ところで,たまたまではあるが訪問日に法話 山伏説法が開催されていた.

講師は総本山金峯山寺長臈 田中利典氏である.

昨年,講座を拝聴させて頂いたこともあるし,なにより,金峯山寺の夜間拝観の声明を取り仕切っておられた.

昨年は宗務総長と聞いたような気がするけれども,今は長臈となられたのだろう.

参加したのは,山伏説法「修験道はすばらしい②,③」である.

感銘を受けたのはReligionの定義についてである.

一般的にReligionは宗教と訳されるけれども,日本人に分かりやすいように訳せば“一神教”とするべきである.

日本人は今,無宗教だという人が多くを占めているが,それと気づかず生活に入り込んでいるものが宗教であるから,本当に無宗教の人はなかなかいないのではないかというお話であった.

このお話は普段から私がもやもやと考えていることを的確に表現して下さっているように思う.

日本に生まれて日本人として生きている人のほとんど(もちろん例外の方もいるでしょう)は,それと気づかないうちに実は多神教徒であるのだが,太平洋戦争,オウム真理教の事件,そして海外の宗教戦争を目の当たりにしたことで宗教の恐ろしさから,なにかしらの教徒であることを恐れるようになってしまったのではないかと思うのである.

しかし,日常生活に入り込んだ宗教観のようなものは未だ日本人に残り続けていると思うのだが….

ちなみに,日本人の恐れる宗教は全て一神教である.

この件については,いずれブログできちんと取り上げたいのでここまでにしておく.


とにかくいろいろ得るものの多い特別展であった.

今年はまだまだ,行きたい博物館がいくつあるのでうれしい悲鳴を上げているところである.

全部,訪れられるといいが.


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by Allegro-nontroppo | 2015-10-19 18:59 | 博物館

福岡の旅2015 3日目

2015年の福岡の旅の三日目である.

もっと,早くアップしたかったのだが,バタバタしていて結局今日となってしまった.

この日は一か所だけである.

以下,概要.


国指定 平塚川添遺跡公園

弥生時代中期から古墳時代前期の集落跡である.

平塚川添遺跡は多重環濠をもつ遺跡として必ず取り上げられる遺跡である.

弥生時代後期頃(23世紀)に最盛期を迎えたという.

同時期の遺跡である吉野ケ里遺跡と原の辻遺跡が三姉妹遺跡として交流されているとのことだが,この三つの遺跡の中で低地遺跡は平塚川添遺跡のみとのこと.

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低地遺跡であることが多重環濠を築く理由の一つであったのではないだろうか.
首長館や祭殿など,どのような遺物から判断されたのか気になるところではある.


高床式倉庫1

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高床式倉庫2
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高床式倉庫3
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竪穴式住居
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祭殿
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首長館
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ネズミ返し(模型)
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出土遺物
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体験学習館では平塚川添遺跡の解説をしていただいた.

公園内でもお声がけ頂き,大変親切にしていただいた.

ありがとうございました.


以上が,2015年の福岡の旅である.

福岡は縁深い土地なので何度でも行く機会があるはずである.

福岡には大宰府周辺や朝倉市など興味深い遺跡がたくさんあるので楽しみである.


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by Allegro-nontroppo | 2015-10-12 22:53 | 旅行記

福岡の旅2015 2日目

2015年の福岡の旅の二日目である.

この日は特にそのように計画したわけではないが,貝原益軒や青柳種信,伊藤常足を巡る旅となった.

もちろん,大宰府の歴史をたどる旅としても非常に有意義であった.

以下,概要.


九州歴史資料館

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大宰府史跡みどころ展 貝原益軒 ―大宰府研究の先賢たちー

今年も九州歴史資料館を訪問させていただいた.

開催中の企画展は近代の大宰府の歴史学者である貝原益軒を中心に青柳種信や伊藤常足を取り上げていた.

以前から青柳種信には興味があったのだが,本も手に入りにくいようで結局はインターネットからHPを眺める程度しかできなかったが,良いタイミングで関係の企画展を実施しているということで出かけてきた.

貝原益軒は生まれつき病気がちであったことから薬用植物,動物,そして鉱物等や養生の術に興味を持っていたということで「大和本草綱目」や「養生訓」を著したという.

また,儒学や朱子学を若いころから学んでいた益軒は神道と儒教は一つであると考え,福岡藩内に鎮座する神社の縁起の作成を行った.

さらに益軒は福岡藩に筑前国の地史編纂を願い出,許可されて作成されたのが「筑前国続風土記」である.

大宰府跡や水城跡,大野城跡などには実際に赴き,特に大宰府政庁跡では礎石を調査し,「大門」,「大厦」,「都府楼跡」など具体的に建物を比定した.

青柳種信は「筑前国続風土記拾遺」を命じられ,「大宰府官舎古址」部分に詳細に記した.

種信の弟子でもあった伊藤常足は広範に文献を収集し,大宰府が統治した九州全域の地誌「太宰管内志」を編纂したということである.


非常に興味深い展示であったので,図録なども欲しかったなと思ったが,なかなか作成も難しいのだろうとも思う.

リーフレットはそこそこ充実していたのでそれで我慢である.

九州歴史資料館でしかできないだろう企画展は素晴らしいと思うので,今後も期待したい.


【第29回企画展】 「発掘速報展2015

今年の発掘速報として出土品またはパネルで解説されていた.

以下,興味深かった展示を一つ挙げておく.

呰見大塚古墳

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古墳時代後期(6世紀後半),墳丘径13m(外周溝の外端で33m)の円墳であり、二重周溝をもつ複室構造の横穴式石室である.

また,内部主体の石材に同心円文、

円文、三角文、三角文を意識した X 字状文などが赤色で描かれているそうだ.

古墳からは馬具や猪や鹿の小像が付随する装飾付須恵器が出土しているとのこと.


非常に面白そうな古墳である.

今後,被葬者などの研究が進んでいくのであろう.

楽しみである.


筑前国国分寺跡

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四王寺山のふもとに塔跡の礎石が残っている.

金堂跡に建てられたという堂内には平安時代後期の薬師如来像があるというが,未訪問.


太宰府市文化ふれあい館

大宰府歴史展2015

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水城や大野城の築造から,大宰府の繁栄,少弐氏の時代,中世を経て明治~現在へという大宰府の歴史をコンパクトにまとめられた展示であった.

大宰府についは古代ばかり注目しているため,その他の時代については勉強になった.

ちなみに大宰府研究として貝原益軒や青柳種信,伊藤常足に関する解説パネルにも遭遇した.

入場料無料とはお得である.


大宰府政庁跡(都府楼跡)

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大宰府展示館が併設されている.

発掘当時の素掘り溝や玉石溝,大宰府政庁の復元模型,出土品など見ることができる.

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また,政庁跡では立派な礎石が数多く残っている(上記写真には礎石に置かれた灯篭が白く映っている).

貝原益軒や青柳種信も実際に訪れたのだと考えると感慨深い.

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また筑紫歌壇の万葉歌碑もいくつか見ることができた.


一日目はまぶしいほどの晴れで,引き続きこの日もほぼ晴れであったのだが,夕方ごろから雨が降ってきた.

実はこの日,古都の光というイベントが開催される予定だったようで,到着時に政庁跡には灯篭が既に準備してあった.

しかし,展示館を見終わった後ごろには雨が強くなり,撤収作業を開始されていたようだ.

調べてみたところ,結局中止されてしまったようだが,別日にとり行われたようである.

野外のイベントは天気に左右されるので大変そうだ.


さて福岡の旅はあと半日分残っている.

早めに更新したいが,難しいであろう.


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by Allegro-nontroppo | 2015-10-05 00:57 | 旅行記