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日本国宝展ー祈り,信じる力ー@東京国立博物館 再び

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本日が最終日の日本国宝展である.

124日にまたしても出かけてしまった.

出品目録を見る限り,前期と後期で出品物ががらりと変わるのである.

12月はあまり特別展が開かれない時期なので,ここで行かねば,今年はもうないかもしれないという気持ちもあった.

前回の感想はこちら→日本国宝展-祈り,信じる力-@東京国立博物館

入場制限があり,すぐに入場とはいかなかったが,それでも510分ほどである.

さっそく感想を書いてみる.


第一章 仏を信じる

直刀 号丙子椒林剣

聖徳太子の御剣として四天王寺に伝わっているとのこと.

飛鳥時代のものということで,可能性はあると思われる.

きちんと保管すれば,当時の輝きを残したままでいられることに驚いた.


大般若経 巻二百五(和銅五年十一月十五日長屋王願経)

長屋王が文武天皇の冥福を祈って書写させたものとのこと.

長屋王の妃である吉備内親王(文武天皇と吉備内親王は兄妹)の意を受けて作成したと推測されているらしい.

長屋王の父,高市皇子の死を待って,文武天皇が即位したと考えている私にとってはどのような心境で作成するにあたったか考えてしまう(詳しくは高松塚・キトラ古墳孝⑥ー高松塚古墳の被葬者ーへ).

しかも,長屋王自身も悲劇的な最期を迎えることになるのだ.


法華経(久能寺経)

待賢門院周辺で作成されたと考えられているとのこと.

待賢門院といえば,崇徳天皇の母であり,その後の歴史を揺るがせる一因でもあった方であるが,何を思って作成したのか気になるところである.


華厳五十五所絵巻

善財童子の求法の旅を描いている.

先月の「西大寺」やこの特別展に出品されている「安倍文殊院」の善財童子と御縁を感じるが,どのような方なのか知らなかったため,勉強になった.

絵巻であれば字が読めなくても内容を理解できるということを身をもって知った.

仏教の布教に盛んに用いられたということがよく分かる.

善財童子は華厳経に描かれている方であった.

華厳経といえば,聖武天皇=東大寺(詳しくは知ってるつもりの東大寺ー聖武天皇と光明皇后ーへ)である.

もちろん,この絵巻は東大寺の所蔵物である.


第二章 神を信じる

土偶

今回は土偶目当てでやってきたのである.

縄文のビーナスと合掌土偶は前回すでに出品されていた.


縄文のビーナス

マスコットキャラクターのような愛らしい姿ではあるが,きちんと女性の曲線美をとらえているように思われる.


縄文の女神

スレンダーな土偶である.

背丈はかなり大きい.

この土偶が埴輪たちの中に混ざっていたとしたら,土偶だと見分けられるかどうか自信がない.


仮面の女神

逆三角形の仮面をかぶったような土偶.

仮面土偶は他にも見つかっているが,本品が一番優美な姿とのこと.


中空土偶

この土偶は中空で薄く作られているところが素晴らしいとのこと.

数ある中空の土偶たちの中で最大のものらしい.

外側の模様も他の四体より優れていることが見て取れる.


合掌土偶

他四体は立ち姿であるが,この土偶は体育座りの体勢である.

何度か見たことのある土偶(詳しくは日本発掘-発掘された日本列島2014-へ)であるが改めて他と比べてみるとこの土偶の鑑賞ポイントがよく分かる.


第三章 文学,記録にみる信仰

日本書紀 巻第二十四

蘇我氏による山背大兄王の滅亡から大化の改新(乙巳の変)ぐらいまでが展示してあった.

中大兄皇子と中臣鎌足の蹴鞠の話や蘇我倉山田石川麻呂が震えながら文を読み上げるくだりなど,ああ,ちゃんと書いてあるんだなあなどと思ってしまった.

もちろん当然のことである.


土佐日記 藤原為家筆

当時は紀貫之自筆の土佐日記が残っていたらしく,奥書には「一字違わず書き写した」と書かれているらしい.

為家の父,定家の写本などと比べても,忠実に書写されているということが既に分かっているとのこと.


第四章 多様化する信仰と美

観楓図 狩野秀頼筆

ついつい先月の吉野の紅葉を思い出してしまう.

この観楓図は人が主体で当時の風俗がよく分かる.

京都の高雄の情景とのことだ.


以上である.

第五章は展示入れ替えがほとんどなかったので割愛した.

しかし,今回もマナーの悪さに辟易した.

虚空菩薩像や普賢菩薩像などの仏画の前には白線が引かれており,その外から鑑賞するよう貼り紙があったのだが,お構いなしの諸先輩方が多数見られた.

館員の方?による注意の声も聞こえてはいたが,聞こえない間もあり,注意してくれないかなあと振り返ってみると,館員どうしで談笑されていたようで・・・.

トーハクの特別展は非常におもしろいものが多いのだけど,それ以外の部分には首をかしげたくなる部分も多い.


物販コーナーも大盛況のようで,前期にあったものが既に無くなっていたり,売り切れたりしていた.


出品物については,「第二章 神を信じる」の入れ替えがあまりなかったのが残念だった.

国宝は仏教関係が多いのだろうが.

次回のテーマはやはり「絵画」でやってほしいと思う.

宗教画よりも風景や植物などが好みなので.


最後に上野公園の銀杏を一枚.

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吉野は紅に染まっていたが(詳しくは吉野への旅二日目 ~大峰奥駈道と吉野山~),こちらは黄色.

もう,落葉気味であるし,あいにくの天気であったが充分楽しめた.


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by Allegro-nontroppo | 2014-12-07 19:08 | 博物館

御法に守られし醍醐寺@松濤美術館

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御法に守られし醍醐寺展に行ってきた.

場所は渋谷区立松濤美術館である.

区立の美術館があるなどと驚いてしまったが,福岡にも福岡市博物館があり,あの有名な金印を所蔵していることを考えればそんなものかもしれない.

福岡市よりも渋谷区の方が人口は多そうだ.


さて,今年,奈良国立博物館では「醍醐寺のすべて」展が行われていたようである.

私は行くことはできなかったが話題になっていたということは聞こえてきていた.

その「醍醐寺のすべて」展と比べれば規模は縮小するであろうが,興味はあるので出かけてみることにしたのである.

以下に印象的であった出品物について感想を記す.


第1章 み仏のおしえ

過去現在絵因果経

釈迦の善行や事績を経文と絵で描いた絵巻である.

字の読めない者にも布教しようという目的で作成されたものであろうか.

解説には絵は古拙であるとあったものの非常に分かり易く描かれており,釈迦の物語を理解することができた.


紺紙金字般若波羅密教 随喜品 伝菅原道真筆

大日経開題 空海筆

金光明最勝王経 伝小野道風筆

経文の良しあしはよく分からないが,菅原道真の字が一番好みである.

もちろん「伝」とあるので本当かは分からない.


第2章 み仏のすがた ~密教の彫刻と絵画~

閻魔天像

鎌倉時代以降,流布する地獄の王としての姿ではない.

平安時代後期を降らない作品とのことである

従って,非常に穏やかな顔つきでどこか女性的でもある.


水月観音像

帝釈天(白描十二天像の内)

水天(白描十二天像の内)

これら三作品は白描画である.

水月観音像は筆のタッチから仏画でありながらどこか水墨画のようなイメージである.

帝釈天と水天は所々に色注として色がのせられているのが面白い


第3章 み仏とつながる ~密教法具類~

金銅装獅子文説相箱

新調した箱に獅子金物を取り付けているという.

元々はどのような箱に取り付けられていたのか想像してみるのも楽しい.


第4章 醍醐にひらく文雅 ~桃山・江戸時代の絵画と工芸品~

扇面貼付屏風 俵屋宗達筆

待ってました.

お久しぶりの琳派作品である.

春の栄西と建仁寺展以来か?

ならば,「風神雷神図屏風」俵屋宗達筆が最後であったということだ.

扇面を添付しているというところが非常に宗達らしいと思う.

その扇面の画題は琳派らしく伊勢物語など.


楓図屏風 山口雪渓筆

山口雪渓は恥ずかしながら初耳である.

楓が全面に配されており,非常に今の季節に適した作品である.

楓が主役となる屏風は今まで見たことがなかったが,良いものである.


豊国大明神 神号

豊臣秀頼が揮毫したという.

味があってとても八歳とは思えない.

次期将軍としての教育あってのものだろうか.


織田信長黒印状 醍醐寺年預宛

豊臣秀吉書状(席次の次第)

徳川家康書状「真言宗諸法度」

戦国時代を代表する三人の直筆書状である.
特に秀吉は「醍醐の花見」を行った人物であり,醍醐寺との縁も深い.

織田信長の書状には有名な「天下布武」の印がある.

三人の字を見比べてみようと思うが,なかなか違いは分からなかった.

信長は戦勝祈願の返礼文である.

秀吉は関白就任後,准后や親王の席次に関わるもめ事に対する裁定文である.

家康は真言宗諸法度ということで,この三書状には内容に各人の政策に対する個性が表れているように思う.



以上が印象的な出品物への感想である.

土曜日に出かけたのだが混雑などは全くなく,快適に鑑賞することができた.

次回の特別展は「天神万華鏡」という天神様=菅原道真に関する絵画・版画が出品されるとのことでなかなか面白い切り口ではないかと思っている.

時間があれば出かけてみたいものだ.


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by Allegro-nontroppo | 2014-11-18 19:18 | 博物館

日本国宝展-祈り,信じる力-@東京国立博物館

まずはこの写真.

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次はこの写真.

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そしてこの写真.
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というわけで,東京国立博物館「日本国宝展」に行ってきた.

もう一週間以上前のことである.

印象深かった展示物の感想を記す.


正倉院宝物

期間限定で正倉院宝物が出品されていたのだ.

正倉院宝物は通常,毎年この時期に奈良国立博物館で開催されている「正倉院展」でのみ,見ることができる.

これは曝涼(宝物の「虫干し」のことで定期的に行われる)の期間に特別に出品されているということで,管理上,これ以外の時期に正倉院から出すことはできないのだと私は理解している.

日本の首都たる東京で見ることのできないことに不満を感じておられる方もいるとのことだが,未来へ保存していくことを考えれば,どうぞ奈良まで行くなり,諦めるなりしていただくほかないと思う.

以上のような事情ながら,今回は天皇皇后両陛下傘寿記念ということで「日本国宝展」に出品されることになった.

ラッキーである.


楓蘇芳染螺鈿槽琵琶

この琵琶は何年か前の「正倉院展」で目玉となっていたのではなかろうか.

まず,大きさに驚いた.

弦側に絵が描かれているのみでなく,裏側やペグ(琵琶だと正式名称は違うかもしれない)の部分にまで螺鈿が施されている.

東大寺の法要などで使用されたのではないかという解説があった.


第1章 仏を信じる

玉虫逗子

玉虫逗子が何故法隆寺に納められているかという疑問はひとまず置いておく.

各面の仏教説話は「海龍王経」に基づくものとのことで,龍王が捨身をおこなったことと関連し釈迦の捨身図などが描かれているという.

なお,玉虫の羽を見つけることはできなかった.


東大寺金堂鎮壇具

(1)金銀荘大刀(陽剣)

(2)金銀荘大刀(陰剣)

明治時代に東大寺敷地から発掘されたこの遺物が何年か前に調査の結果,正倉院より持ち出された「陽剣」と「陰剣」の可能性が高いと話題になったことを覚えている.

国宝指定されていたとは思わなかった.


餓鬼草紙

何故か妙に印象的であった.

生活感とか生々しさなどが伝わってくるからであろうか.


金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図 

金光明最勝王経の文字一つ一つで宝塔が描かれている.

その苦労など考えると非常にありがたい気持ちになる.


第二章 神を信じる

土偶

縄文のビーナス

合掌土偶

縄文のビーナスは教科書などでもお馴染である.

合掌土偶は「発掘された日本2014」にも出品されていたので再見.


内行花文鏡(11号鏡)

糸島市平原遺跡出土ということは伊都国王の墓から出土したものであろう.

写真・話には聞くが,実物が見れるなどとは感動ものである.

今まで色々な鏡を見てきたが圧倒的に大きい.

当時の伊都国王の力が分かるというものである.


第三章 文字,記録にみる信仰

日本書紀 巻二十二

特に展示されていたのは聖徳太子の部分である.

現代語訳で読んだことがあるためか,漢文であっても難なく読むことができる.


日本霊異記

こちらも漢文ではあるが,読んでいない話の部分が展示されていたようで,内容はうまく理解できなかった.

非常に残念.


第四章 多様化する信仰と美

花鳥図 狩野永徳筆

松に秋草図 長谷川等伯筆

戦国時代の二大画家の作品が並んでいる.

どちらも素晴らしいが私の好みはやはり琳派であると改めて思った.


琉球国王尚家関係資料

黄色地鳳凰瑞雲霞文様紅型紋紗衣装

沖縄の民俗衣装として思い浮かべるならばこのような衣装であろう.

ただし,鳳凰や瑞雲など非常に王族らしい図柄である.


黒漆雲龍螺鈿東道盆

この螺鈿は青と紫色を主体とした螺鈿細工であるが,このような色は琉球独特のものであるとのことであった.

確かに初めて見た.

そして非常に美しいのである.


第五章 仏の姿

元興寺極楽坊五重小塔

これはいったい何のために作成されたのか非常に気になるところである.

建築物にはあまり興味はないが,それでも「おおっ」と思わせてくれる.


善財童子立像・仏陀波利立像

一番新しく登録されたのがこの二体の仏像とのことである.

善財童子立像は今回の「日本国宝展」のマスコットキャラクターのような存在でもある.

しかし,実物は動きのある御姿ながら,どこか静かだ.

作者は快慶とのことで,「高野山の名宝」展で感じたことそのままである.

さすがだ.



美しいものは他にもたくさんあったが,素晴らしいとか美しいとしか言いようのないものは今回割愛した.

このようなところに語彙力のなさや,知識の薄さが露呈してしまう.

さて,展示物以外の全体についての感想である.

平日の昼間に訪れることができたのではあるが,絵巻などの展示は少々待たないと近くで見ることは叶わない.

とても混雑していたと言えるであろう.

また,ガラスケースは指紋でベタベタである.

ガラスぶきをされている清掃員?の方を見かけたので清掃の頻度が足りないということではないと思う.

酷いのはガラスケースに直接,指をさして長々と連れの方と喋っていた方である.

ガラスケースに触れないというのはどこの美術館・博物館でも最低のマナーとは思うが,今回の「日本国宝展」ではそのマナーを御存じない方が多数来場していたということであろう.

そもそも,トーハクは面白い特別展が多いので似たような光景は多々見られる.

トーハクも大変だとは思うが,そろそろ注意喚起に乗り出しては貰えないだろうか.


張り紙などしてもらうだけでも,こちらもそのような場面に出くわしたときに注意しやすくなるのだが.

追記
このブログ記事は日本国宝展 前期の感想である.
後期も行ってきたので,その感想は下記記事に記す.

日本国宝展ー祈り,信じる力ー@東京国立博物館 再び




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by Allegro-nontroppo | 2014-11-09 19:03 | 博物館

高野山開創1200年記念「高野山の名宝」展

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高野山開創1200年記念「高野山の名宝」を観に行った.

場所はサントリー美術館である.

印象的だった展示物について感想を記しておく.


国宝 聾瞽指帰 空海筆

弘法大師といえば能筆家として有名なので,内容は分からないなりにどのような文字であろうかと眺めてみたのである.

うまいへたについては私には判断がつかないが,あのレベルで字が書ける人は少ないだろうという予測はつく.

字を書くとすぐ間違ってしまう私としては,この書の誤字のなさに反省させられる思いである.


国宝 諸尊仏龕 一基

手のひらほどのサイズに何体もの仏様が彫られているのだがその緻密さに驚かされた.


国宝 澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃

燕子花が美しい螺鈿細工である.

昔の人たちにとって燕子花は今以上に人気のあった花なのだろう.


重要文化財 四天王立像 快慶作

重要文化財 孔雀明王坐像 快慶作

四天王立像は東大寺の四天王立像のプレorモデルだったそうだ.

どちらの像も重々しく,しかしどこか静かな御姿である.

仏像に写実的と言っていいのか分からないのだが,写実的で実際にそこにいるように感じられた.

これは快慶の力はもちろん,金剛峯寺の方が大切に保存されてきた歴史のおかげでもあるのだろう.


国宝 八大童子像 運慶作 六躯

八体のうち六体は運慶の作であるが,二体は後で作られたものということだ.

八大童子なのでやはり異形の姿であるのだが,運慶作の六体はどこか人間味のある御姿である.

こちらの仏像は重々しさはあまり感じられず,しかし何かを感じさせられるという不思議な仏像である.

童子姿であるからであろうか.

こちらの八大童子は写真か何かで見た覚えがあるので有名な作であろう.


以上が印象に残った各展示物の感想である.

仏像や曼荼羅など巨大な展示物が多かったため出品数としてはそう多くはなかったが,ほとんどが国宝や重要文化財であったとは驚異である.

正直なところ,全くの知識のない私が十分に楽しめた.

また,空海の生涯や高野山の歴史も学ぶことができた.

それにしても,高野山にはいつか行ってみたいものである.


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by Allegro-nontroppo | 2014-10-26 19:47 | 博物館

日本発掘 -発掘された日本列島2014- 追記

本題に入る前に,前回「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」のHPのリンクを貼り忘れたのでここに貼っておく.
文化庁
http://www.bunka.go.jp/oshirase_event/2014/hakkutsu_2014.html

江戸東京博物館
http://edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/project/2014/6/index.html

さて,日本発掘 -発掘された日本列島2014-のワークショップに参加させて頂いた.

決して,一人でぼーっとしているかわいそうな人と思われ,声をかけられたとは信じないことにする.

それなりに真面目に考えごとをしていたはずである.

ワークショップの内容は「発掘された遺物を写し取ろう」ということで,約四千年前の土器を実際に用いて「干拓」を行った.

難しいものではなく,土器をきっちりと画仙紙できっちり包んだ後にクーピーの尖っていないほうでごりごりと塗っていく作業である.
出来上がった拓本はこちら.

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撮影許可を頂いたので,実際の土器と拓本を並べて撮影した.

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現在は写真技術も発展しているが,写真よりも拓本の方が模様が分かりやすいので,拓本を行い,必ず写真と共に保管されているとのこと.

拓本は頂いた台紙に張り付けて完成.

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関係者の方々,なかなかない機会をありがとうございました.

ちなみに私の拓本だが,最初オレンジで塗っていたのだが,模様が分かりにくかったので,赤で上から塗りなおしている.


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by Allegro-nontroppo | 2014-08-29 19:59 | 博物館

日本発掘-発掘された日本列島2014-

東京都江戸東京博物館に出かけた.

見に行ったのはもちろん「マーニー展」ではなく「日本発掘-発掘された日本列島2014-」である.

たまたま第一部の「発掘された日本列島展」20年の歴史と優品の数々について,文化庁の方の展示解説に行きあったのでついてまわった.


合掌土偶

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八戸市風張1遺跡より出土.

今回唯一の国宝ということである.
一度壊れた土偶を接合していることから,大事に使われていたことが分かる.

アスファルトを接着剤として利用している.

手を合わせている様子から合掌土偶と言われているが,お産のシーンをかたどっていると言われている.

平安時代は座産であったことが文献(山幸彦の乙姫様の出産)から分かる.

この絵巻物では侍女がお皿を積んで踏み割っている.

また,屋敷の外では弓弦を鳴らしている.

出産のときにやってくる鬼を追い払うため,音で驚かしている.

また,土偶の9割は女性である.

出産儀礼のお祈りのための道具だったとも言われる.


埴輪

大阪府高槻市史跡今城塚古墳より出土.

継体天皇のお墓と言われている.

埴輪は葬送儀礼を表しているといわれる


鞘に入った太刀

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盾の埴輪や弓の埴輪などもある.



牛・・・動物埴輪の中では数が少ない

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鶏や水鳥の埴輪が多い

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鶏が鳴くと夜が明けて朝が来る.

夜は死んだ人や神の世界で朝は生きている世界,鶏がその境を告げてくれると当時は信じられていた.

箸墓古墳:夜は神つくり,昼は人つくる.

昼は埴輪の馬が夜は馬となって走り出す(日本書紀)

力士

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全国の古墳で出ている.

最初の相撲に関する文献は景行天皇(古墳時代):當麻蹴速と野見宿禰

ルール無用の相撲一週間 當麻蹴速,腰の骨を折って絶命させる.

天覧相撲の起源・・・奈良時代(相撲所と書かれた土器が発掘されている)


家形埴輪

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高床式の建物

祠・・・穂倉が起源

神さまに備えるための穂を入れた場所が高床倉庫,つまり神聖な場所である.

神の代弁者=偉い人の家の住む場所に代わる.

日本霊異記・・・雷を捕まえた男の話→雄略天皇の屋敷が高床式(高倉)であった(梯子を上って行ったため)

ごてごてした屋根は伊勢神宮などの屋根の形と同じである.

高貴な人の住まいは立派な屋根であり,屋根の形によってどんな建物か表していた.

古代の日本人は屋根の形にこだわった.

雄略天皇は大和を歩いていた時に自分の住まいの屋根と同じ屋根を見つけて焼打ちにしている.


編み籠

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つるを丹念に織っている.

中にはどんぐりが入っていた.

佐賀県東名遺跡出土で時代は縄文時代の初め.

木で作ったものや人の骨は残りにくいが,100%に近い湿度があるときにのこる.

東名遺跡は海抜0m地帯である.


どんぐりを湿度の多いところに穴を掘っていれておくと
どんぐりは水浸し状態・・・あくが抜けて食べられる.

すりつぶして鳥肉と混ぜて食べたりしていた.

どんぐりピット(どんぐりの詰まった穴)・・・貯蔵しておいたどんぐりを食べなかった.

縄文時代は貝塚の貝や骨の量から食べたくなったら取りに行けば食べられる時代であったことが分かっている.

食べ飽きるほど食べ物があった.


三内丸山遺跡の出土遺物でまだ重要文化財になっていないものが展示されている.

板状土偶はこの地域に特有なもの.

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女性を表している.


翡翠製品
が出てきている.

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きめの細かい砂をまいておき,竹の棒でその部分をきりきりと削っている.

あまりに大変なので途中で辞めたものも見つかっており,この穴の底は出べそ状になっている.

植物繊維の硬いところは深いが柔らかい中心は少し残ってしまう.

真ん中まで行ったら,裏からまた穴をあける.

下手な人は穴がかみ合わない.

しかし,失敗作をみることで初めて当時の技術が分かる.


火焔土器

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新潟県十日町市野首遺跡出土

新潟県の限られた地域で4500年前の限られた時期のみつくられていた.

神さまに備えるための特殊な土器と言われていたが,全てがこの形で煮炊きに使っていた痕跡があることから,普通に使っていたと思われる.

分厚いので熱効率も良くないはずだが,なぜかこのような土器が流行っていた.

理由はよく分かっていない.


貝輪

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佐賀県吉野ケ里遺跡

イモガイ(毒がある)を縦割りにした腕輪.

腕輪をつけた女性の人骨が多数出土している.

腕が入らないほど小さいサイズなので子供のころにつけて,死ぬまでつけっぱなしか?

腕輪を通している手の骨が砕けている人骨も見つかっていることから,死後に無理矢理装着させている可能性もある.

腕輪には傷がほとんどないので,死後につけたか,王族につけたような可能性がある.

ほとんどが左手に装着しいているため,右の腕輪は生きている間に壊れてしまった可能性も考えられる.

古墳時代には腕輪は石で作られるようになり,最終的には腕にはつけずに亡くなった人の横においておいたり,棺桶に粘土をぬって張り付けたりしている.

飛鳥時代には廃れていく.


骨壺

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茨城県常陸大宮出土

この地域では一回埋葬し,骨になった段階で骨壺にいれて埋葬する再葬を行っていた.

この顔は刺青を表現している.

魏志倭人伝にも書かれているが日本ではある程度権力がある人が刺青をしていた.

この骨壺はこの地域の権力がある人の顔をかたどったのではないかと言われている.

中国では犯罪者に刺青をいれていた.


銅鐸

弥生時代の代表的な遺物.

最初の銅鐸は聞く銅鐸で木につるして,ひれを持って振って音を鳴らす.

銅鐸の舌が一緒に出土した例や銅鐸の中が何かで傷ついていたりすりへったりしているものも出土している.

サイズが大きくなって,拝むものとして使われるような見る銅鐸への変化する.

そして銅鐸の祭祀が終わり,粉々に打ち壊されたものが発掘されている.

弥生時代の神である銅鐸から新しい神である鏡・剣・玉を迎え入れた.


水鳥の埴輪

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亡くなった人の魂を遠くの世界に運ぶ鳥.

記紀にはヤマトタケルノミコトが亡くなった時に白鳥が飛び立って,近畿の方へ飛んでいく話がある.

亡くなったミコトの魂が故郷に帰ったということ

白鳥などの渡り鳥が多い.

水かきまで表現されているものも発掘されている.

水鳥の埴輪は近畿に多く,関東に少ないため,当時の人の死生観が地域によって違っていた可能性がある.

今後の研究が期待される.


家屋紋鏡

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普段は宮内庁に納められており,一年を通じて展覧会で回るのは初めてで,今後もあまり出展されることはないと思われる.

非常に貴重

四軒の家を鏡の文様にしている.

この屋根の形も家形埴輪と同じ形をしている.

高貴な人の使う衣笠が立てかけられているため,家も高貴な人のものであろう.

軒には鳥がとまっている.

日本では家形模様この一面のみである.


塑像

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川原寺跡出土.

飛鳥時代.

木で芯をつくり,植物繊維を混ぜた粘土をくっつけていき,きめの細かい粘土をはりつけて完成させる.

通常は土で作られた塑像を埋めると発掘することはできないが,山田寺は12世紀になって焼けたために,焼き物の形で残った.

建築素材は寺のそばにまとめて捨てられていたが仏の類は裏山の麓に大きな穴を掘って埋めており,ゴミと一緒に捨てずに供養していた.

興福寺の阿修羅も塑像である.

飛鳥時代は平和な時代で武力ではなく先進の文化を見せつけることで周りを屈服させる.

飛鳥時代のひとは先進の文化をどんどん取り入れていた.

その一つが仏教であり,飛鳥のまわりには四十五,六の寺が建てられていた.

瓦葺,柱は朱塗りという当時では特殊な建物であった.

伊勢神宮はお寺のことを瓦葺と呼んで蔑んでいた.


博多遺跡群

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中世

国際貿易港として古くから栄えた.

継体天皇の時代に那の津の屯倉として国の直轄地となっていた.

その後,鴻臚館から貿易商人の町へ.

中世になると博多を巡って争い,争奪戦が起きる.

貿易商人たち(中国人もいた)は戦乱が起きると自分たちの財産がなくならないように穴をほって隠していた.

戦争が終わったら掘り出して商売品として取り扱う.

この遺物は隠したまま掘り起こされていないので,貿易商人は戦乱に巻き込まれた可能性が高い.

この遺物は九州ではたくさん出土していることから,九州では安く買えたが,他の地方(大阪や関東)では値が上がった.

博多の商人たちが手広く商売をしていたという記述も残っている.

中国製品のようなめったに手に入らないものを売りさばいて巨万の富を手に入れていたと考えられる.


瀬戸古窯群

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古墳時代から日本でも有数の焼き物の産地であった.

平安時代になると,中央や貴族の命令で中国の焼き物のまねをし始める.
上記の写真はまねした焼き物である.

国家の力が衰えると下火になるが,焼き物で儲ける人が出てきて,自発的に焼き物を焼くようになる.

15世紀になると独自の焼き物を作るようになる.

15世紀末には茶の湯の流行をうけて天目茶碗など茶道具の代表的な生産地になる.

当時,他の産地では日用雑器は作るが,嗜好品はまだ作られていない.

その後,織田信長によって美濃に連れていかれて美濃焼や織部焼などのルーツになる.

江戸時代になると,尾張の徳川家が陶工たちを瀬戸に戻す.

尾張徳川家は茶器生産をバックアップしたようで,茶器などの遺物には尾張徳川家の家老たちの名前が書かれているものもある.

江戸時代の終わりにはパリの万博に瀬戸焼が展示されたり,西洋の陶器をまねて磁器生産を始める.


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狛犬は天皇皇后両陛下がご覧になられた際に,皇后陛下が天皇陛下に「見て,あれかわいい」とおっしゃっておられたとの事である.


以上が今回展示解説であった.
一部写真に私の服が写ってしまっており申し訳ない.

展示内容から派生する部分についても説明していただき,非常に面白い解説であった.

それにしてもなぜ,この「日本発掘」が江戸東京博物館で行われたのであろうか.

博物館のコンセプトとあっていないように感じてしまうのだが.

まあ,「マーニー展」の方がより謎ではある.


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by Allegro-nontroppo | 2014-08-26 20:18 | 博物館

徒然草 美術で楽しむ古典文学@サントリー美術館

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サントリー美術館まで「徒然草-美術で楽しむ古典文学」を鑑賞しに行ってきた(HPはこちら→).

見に行ったときには下記のような表示もされていた.

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721日までというので,終わりかけである.


この展覧会を見に行こうと思ったのは副題にもあるように,古典文学を美術で楽しむといった機会は「源氏物語」を除いて経験がないと思ったからである.

伊勢物語などは今後も機会がありそうだが(そういえば燕子花図屏風は伊勢物語系列であるかもしれない),随筆集である「徒然草」にその機会があるのかは非常にあやしい.

そのような訳で出かけてみることにした.


展示内容としては「徒然草」の写本の各系統の古いものが展示してあったり,兼好法師の絵や像などが展示されていた.

それによれば,兼好の経歴については歴史資料が乏しく,詳しいことは分からないとのことであるが,生前は二条為世に師事する歌人として世に知られていたようである.

また,太平記の中に,兼好をモデルにしたと思われる人物が出てきているとのことで非常に興味深い.


今回の展覧会のメインはやはり「徒然草絵巻」海北友雪画である.

サントリー美術館にこの絵巻が新たに収蔵されたことで,この展覧会を実施する運びとなったらしい.

「徒然草絵巻」は、「徒然草」のほぼ全段を絵画化している点でたいへん貴重な作品とのこと.


私は「徒然草」は中学または高校時代に古文で習った程度でほぼ読んだことがないといっても過言ではない.

覚えているのは「序段」と「仁和寺の和尚が石清水八幡宮にお参りにいった話」位である.

今回,この「徒然草絵巻」はかなりの部分が展示されていたようだが,絵巻と一緒に該当の現代訳もあったのでまるで絵本を読んでいるような気になった.

見ていると二,三行の短い段もある.

「仁和寺の和尚の段」など変な話を教科書にのせるものだと当時は思っていたが,ある程度の長さのある無難な話を選ぶとなると限られていたのかもしれない.
しかし,「徒然草」最後の段が兼好が8歳のときのエピソードということくらい教えてくれてもよかったのにと思う.
なかなか,面白い話だと言うのにこの歳になるまで知らなかった.

そういえば,「理想の家の段」と「みかんの木の段」も教科書に載っていたのを思い出した.

記憶は戻るものである.

それにしても「徒然草」は随筆集なのだから,授業などで堅苦しく読むものではなかったと思う.

今更ながら,こうして眺めてみると「くすっ」と笑えたり,「あるある」と相槌を打ちたくなるようなものもある.

昔の人と考えることはそう変わらないようだ.


最後に海北友雪についてである.

海北友雪の作品を見たのは初めてだと思うが,その父である海北友松の作品は今年見ている.

海北友松は建仁寺の障壁画を数多く描いたことで知られている.

今年は模造品が飾られていたとはいえ,建仁寺に出かけているし(本ブログ記事はこちら→),その本物は東京国立博物館の栄西と建仁寺展(本ブログ記事はこちら→)で本物をみているので非常に縁を感じる.

友雪はやまと絵を得意にしていたということで友松と画風が異なっているようであったが,どちらも素晴らしい.

全体を通して満足のいく展覧会であった.


追記

遅い昼ご飯にミュージアムカフェのランチを頂いた.

「麩そうめんランチ」は弾力のあるそうめんで,おにぎりと一緒においしく頂いた.

帰りにショップで「徒然草絵巻」の絵葉書セットを購入した.


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by Allegro-nontroppo | 2014-07-15 19:05 | 博物館

「法隆寺―祈りとかたち」@東京芸術大学美術館

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「法隆寺―祈りとかたち」に行ってきた.

会場は東京芸術大学美術館である.
ちなみに私がここを訪れるのは初めてである.

この展覧会は東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年を記念して開催されたものである.


まず,展示されているのは東京芸術大学の学長を務めた岡倉天心やフェノロサの調査した「法隆寺の至宝の数々」である.

この調査では法隆寺夢殿で長らく秘仏とされ,誰も見ることができなかった救世観音を僧侶たちの静止を押し切って無理矢理に調査したことで有名である.

会場で上映されていたビデオにおいて,現在では法隆寺側がこの調査を好意的に受け止めているとの発言があり驚いた.

この救世観音は今は公開されていることだし,そんなものかもしれない.

「法隆寺の至宝」の中で興味深かったのは「扇面法華経冊子断簡」(平安時代)と「五尊像」(鎌倉時代)であろうか.

「扇面法華経冊子断簡」については,扇に当時の宮廷貴族らしき人物と法華経が書かれているのを珍しく感じた.

「五尊像」は上部に虚空蔵菩薩と大日如来ともう一体(忘れてしまった),下部に聖徳太子と弘法大師が描かれているという取り合わせに驚いた.


次に東京芸術大学出身の芸術家たちが奉納した作品が展示されている.

「聖徳太子像」などを私でも知っている有名な作家が奉納をしている.

東京芸術大学出身の芸術家たちの作品では「法隆寺金堂壁画模写」を見逃すことはできない.

この金堂壁画の本物は失火により燃えて失われてしまった.

しかし,調査のために撮影しておいたものや岡倉天心が積極的に模写を進めていたおかげでたくさんの模写が存在したため,当時の様子を知ることができる.

今回は鈴木空如の作品が全壁分,出品されていた.

金堂壁画の模写は数多く存在するが,鈴木空如のものは特に忠実ということだ.

さらに3回もこの壁画の模写を行ったとのことで,なかなかに凄まじい話である.

またここでは,現在の金堂を彩る壁画が東京芸術大学出身の画家らによって再現されたことも説明されていた.


近代日本美術作品についても展示があった.

特に興味深かったのは「山背王入滅図」(生田花朝)である.

この作品は上部に天上世界,中部に法隆寺の塔を飾る「維摩詰像(塑像)」,下部に山背王を描いている.

蘇我氏に滅ぼされる瞬間を描いた作品で,なかなか胸に来るものがあった.

「金堂落慶之図」(和田英作)も当時は本当にこのような情景があったのかもしれないと思わせる作品であった.


最後に法隆寺の飛鳥時代~南北朝時代くらいまでの宝物が展示されている.

一番目を引くのは国宝「毘沙門天立像」(平安時代)と「吉祥天立像」(平安時代)である.

この二体は対で作成されており,本来,金堂の釈迦三尊像の両脇に安置されている.

特に「吉祥天立像」については先日読了した「隠された十字架―法隆寺論―」(梅原猛)でも取り上げられていたから非常に興味があった.

彩色も結構残っており,優美な姿に感じられた.

余談だが,この二体こそ除災・国家安穏・五穀豊穣を祈念して造られたことから,東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年を記念して出品された仏像である.

その他では,金堂の上部にとりつけられている「天人」(飛鳥時代)を間近で見ることができたのは良かった.

天人らしいおおらかな顔立ちをしていらっしゃる.

これは完全な私的感想になってしまうが,飛鳥時代のお寺はそれ以後のお寺に比べて,天人が舞飛ぶなど優美な印象が強いように思う.

他に「聖徳太子立像(二歳像)」(鎌倉時代)はおなじみの「南無仏」と唱える姿であった.


ところで,今回出品されるはずであった「阿弥陀三尊像」(重要文化財,奈良時代,法隆寺蔵,伝法堂東の間)は作品保存上の理由により,仙台会場のみの出品となったらしい.

代わりに東京展では,「阿弥陀如来坐像」(重要文化財,平安時代 12世紀,法隆寺蔵,三経院)が出品され,「広目天立像」「多聞天立像」(重要文化財,平安時代12世紀,法隆寺蔵,三経院)、「持国天立像」「増長天立像」(平安時代1112世紀、法隆寺蔵)が特別出品となった.

元々,出品されていたものも含めると四天王像が何体も出品されることになり,比較することができる.

私の四天王像の印象はどの仏像でも動きがあり,邪鬼を踏みつけて,憤怒の表情をしている.

先に挙げた国宝の「毘沙門天立像」(平安時代)は「吉祥天立像」(平安時代)と夫婦として対で造られたものであるから,四天王として造られている訳ではないと考えてよいだろう.

特別出品された「広目天立像」「多聞天立像」(重要文化財,平安時代12世紀,法隆寺蔵,三経院)、「持国天立像」「増長天立像」(平安時代1112世紀、法隆寺蔵)は邪鬼を踏みつけ,憤怒の表情で動きのある私の印象通りの四天王である.

ところが「持国天立像」(飛鳥時代)及び「多聞天立像」(飛鳥時代)は邪鬼を踏みつけていないし,動きもないし表情もない.

ということは,邪鬼を踏みつけ,憤怒の表情で動きのある四天王像というのは飛鳥時代以降,平安時代以前に確立されたのだろうか.

平安時代以前は技術がなかったために動きのない像になったとの意見もあるだろうが,飛鳥時代には立派な「飛鳥大仏」などが作成されていることを考えるとそのような単純な問題ではないと思う.

非常に気になる部分である.


以上が「法隆寺ー祈りとかたちー」の感想である.

実はつい最近まで,この展覧会に行くつもりはなかったのだが,先に挙げた「隠された十字架―法隆寺論―」を読み,行く気になった.

結果としていろいろ発見もあったし,行ってよかったと思う.

次は是非,法隆寺を訪れたいものである.


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by Allegro-nontroppo | 2014-06-19 19:18 | 博物館

特別展 キトラ古墳壁画@東京国立博物館

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5月3日にキトラ古墳壁画を東京国立博物館に見に行ったのである.
噂通り凄い人であった.
9時45分に特別展の入場者の列に並んだのだが入館できたのは11時ごろであったから,1時間以上も並んだことになる.
何年か前の「阿修羅展」に並んだことを思い出してしまうが,あちらはこれより長い時間並んだと記憶しているし,なにより太陽を遮るものが何もない所に並ばなければならなかったので,非常に苦しかった.
一方,こちらは並ぶ場所に木陰が多かったので,そのぶん楽である.
列からは「栄西と建仁寺展」に並ぶ人も見えたが,列が短く,頻繁に動いているようだったので,すぐ入場できそうであった.
ちなみに,この「栄西と建仁寺展」に先日訪れたときに前売り券を買っておいたので,入場券購入の列に並ばずに済んだのは本当に良かった.
(「栄西と建仁寺展」の当ブログ記事はこちら)

さて,展示室 (今回は本館特別5室) に入場するとまず,四神及び十二支のパネルが展示されている。
その先に進むと四神+天文図の複製陶板やキトラ古墳墳丘模型が並んでいる.
今回の展示では青龍 (東壁) と天文図 (天文図)は来ていないので,じっくり眺めた.

次に展示されているのはキトラ古墳の出土遺物である.
出土遺物がどれだけ出ているのか調べていなかったので分からないが,琥珀玉以外は全て実物であった.
展示されているとは思っていなかった銀装大刀関連もかなり展示されていたので,感激してしまった.

壁画の剥ぎ取り作業や修復作業のビデオ上映を経て,ついにキトラ古墳壁画の実物と御対面である.
この前にも少々列ができていたが,5分並んだかどうかである.
まず展示は四神(玄武・白虎・朱雀の順だったと思うが,だいぶ記憶が怪しい)から.
描かれてから千年以上経っているとはとても思えないほどはっきりと絵が見える.
一部,泥水などの影響で赤く見えにくくなってしまっている部分もあったが,逆にそれ以外の部分に影響がないといういうのは,当時の岩石の工作技術の凄さを物語っていると思う.
玄武は緻密さ,繊細さを感じさせてくれるし,白虎は伊藤若冲の虎を思い出させるような,愛らしい顔立ちをしている.
朱雀は優雅に羽根を広げて疾走している.
光の十分に届かない石室の中で描いたとは思えない素晴らしさだ.

次に十二支のうち子と丑 (北壁) と複製陶板の寅 (東壁) である.
正直なところ子と丑は不鮮明でどのような絵が描かれていたかは他の十二支から想像するしかない.
そこで,隣に並べられた複製陶板を眺めてみるのだが,思い出したのは死者の書に描かれたエジプト神話のアヌビスである.
彼は犬またはジャッカルの頭をもつ半獣の姿で描かれているが,寅やパネルの午をみるとどちらも寅と午をもつ半獣の姿である.
おそらく,他の十二支たちも似たような姿で描かれていただろう.
古墳→死者の書という連想ではあるが,エジプトでも日本でも死者の世界には半獣がいるのかもしれない.

最後に高松塚古墳壁画の飛鳥美人等がパネルで展示されていた.
こちらは,すでに1月に遠目とは言え見物しているのでさらっと眺めるにとどまった.
(その際の記事はこちら)

全体の感想としては壁画は絵の描かれている部分のみをはぎ取っているということに愕然とした.
例えばキトラ古墳の北壁には玄武と十二支の三体が描かれているとされているが,十二支は6体のみしか発見されていない.
今のところ「判明している壁画」剥ぎ取りが完了したとされているが,では判明していない壁画はどうしているのだろう.
そもそも,部分,部分のみで剥ぎ取っているというのがいただけない.
画家は壁一面をキャンバスとして描いたはずで,それなのに個々が確認されている部分のみを剥ぎ取るのは,レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のイエス・キリストと十二使徒それぞれを保存のためと言って分割するのと何ら変わらない.
剥ぎ取った今となっては四神がそれぞれの方位に描かれていたということなど,二次資料でしか確認できないのだ.
描かれた対象を考えるに,これらの壁画は方位や配置に重要な意味があることは素人の私だって分かるのに.
今後,数々の分析技術が発展していくことは間違いないが,この壁画の復元についてはもう無理と思ってよいかもしれない.

以上が,特別展 キトラ古墳壁画の感想である.
ところで,GWの真っただ中,5月3日の大混雑の中でわざわざ行くなんて「酔狂な」と思われた方がほとんどだと思う.
私もできれば,こんな日には行きたくないと思っていたが,この5月3日の記念講演会の受講券を入手していたため,覚悟して訪れることにしたわけである.
この講演会についてはまた次回.

※2014年5月21日に誤字・脱字を修正した.
内容変更はなし.
申し訳ありません.



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by Allegro-nontroppo | 2014-05-05 19:20 | 博物館

特別展 栄西と建仁寺

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東京国立博物館に行ってきた.
目的は「開山・栄西禅師800年遠忌 特別展 栄西と建仁寺」観覧のためである.
もちろん,その中で特に楽しみにしていたのは国宝 風神雷神である.
建仁寺所有の名宝として名高いが,建仁寺に行けば見れるものではないため,琳派好きとしては非常に楽しみであった.

ところで本特別展では栄西を「ようさい」としている.
これは建仁寺では興禅護国論和解(高峰東晙著 本特別展でも展示)で栄西に「イヤウサイ」と振り仮名が振られているためだそうだ.



続きはこちら→
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by Allegro-nontroppo | 2014-04-20 13:03 | 博物館