第107回大和考古学講座 「5~6世紀の渡来系集団と朝鮮半島の前方後円墳と埴輪」

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107回大和考古学講座 「56世紀の渡来系集団と朝鮮半島の前方後円墳と埴輪」を受講させて頂いた.
講師は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館学芸課長の坂靖氏であった.
場所は江戸東京博物館である.
毎回,この博物館を見るたびに本能的に耐震構造を心配してしまう自分がいる.
もちろん,余計な心配だということはわかっているのだが….
以下,勉強になった部分をまとめてみる.


楽浪土器出土地域(海外交渉を示す)

・三韓,濊

・対馬

・壱岐

・北部九州

→近畿では出土しない


楽浪との交渉は北部九州

伊都国

三雲・井原遺跡

三雲・番上遺跡→30点以上の楽浪土器,硯の発見

↓ 楽浪との交渉の移行

奴国

比恵那珂遺跡群

楽浪系土器~三韓系土器(楽浪郡が高句麗の手におちる)が出土

→纒向遺跡は比恵那珂遺跡群の半分程度の面積,楽浪系土器が出ない,対外交渉していない


ホケノ山古墳の時代

庄内期(邪馬台国時代)

大阪平野 北部九州の集落規模と比較して小さい


布留期

集落規模が拡大し,大型前方後円墳が造営される

朝鮮半島南部との交渉(中国とは直接交渉しない)

鍛冶生産の開始

…ヤマト王権の王都

纒向遺跡90次調査ではタタキとスジの入った土器…金海・プサン製

→鉄器生産技術…博多と纒向で同じ鞴の羽口が出土

人がやってきて技術を教える,盛んに往来しているが国と国の外交ではない???


ホケノ山古墳 副葬品 邪馬台国より後の時代

・画文帯同向式神獣鏡

・大型内行花文鏡

→鏡はカケラ,作られた時代は卑弥呼~後の時代…もってきたのはもっと後の時代

近畿…交渉は卑弥呼より後の時代(西晋)で朝鮮半島を通じてつながった


56世紀

倭の五王 南宋…冊封体制

34世紀 渡来系集団の痕跡=稀薄(三韓系土器から)

56世紀 大量に人がやってくる(北河内遺跡,長原遺跡,名柄遺跡,布留遺跡)

5世紀以降 朝鮮半島系渡来集団がたくさんやってくる→豪族による技術の移植


百済の都

475年 ソウル…漢城百済は実質,滅びる

475538年 公州

538660年 扶余 

どんどん南下していく


前方後円墳及び埴輪の出土地域,渡来人の出身地は栄山江地域,伽耶地域が圧倒的多数

政権所在地の土器は全くでない.


463年 雄略紀

実際には政権に関わりのない人々が自由に往来できる→倭が取り込んでいく

飛鳥に渡来人を住まわせる→渡来人の技術で王権の力が強くなる→最終的に都がおかれる


◎葛城氏の私的外交と渡来系集団

日本書紀 神功皇后摂政53

葛城襲津彦が新羅の草羅城を攻め落とし,捕虜を連れ帰った(桑原・佐糜・高宮・忍海の4邑の漢人の始祖).

・葛城「氏」は存在しない

・葛城の地域集団は独自交渉を行った

・様々な地域の自由往来の渡来人を獲得した

・渡来人の技術力を背景にヤマト王権と対峙した


室の宮古墳

4人ほど葬られている→襲津彦のモデル?

名柄遺跡

新羅の土器が出土

継体天皇と武寧王


隅田八幡宮(和歌山県橋本市) 国宝 人物画像鏡の銘文

503年,仁賢天皇の年,即位前の継体がヤマトの忍坂宮におられたとき,武寧(=斯麻)が長く仕えるために…


武寧王墓碑;武寧王=斯麻…日本書紀と合致

日本列島にしかないコウヤマキの木簡の出土


継体天皇は即位前から武寧王と繋がっていた???


今成塚古墳

継体天皇の地盤…淀川北岸,近江,越前,愛知(夫人・尾張目子媛)

河内馬飼氏…継体天皇擁立に力を貸した,後の額田部氏

額田部狐塚古墳…尾張型埴輪

中町西遺跡…百済(馬韓)土器

→日本書紀とは書きっぷりが違う

裴世清…額田部連比羅夫

額田部氏

氏寺:額安寺

外交集団,遣隋使を迎える集団



朝鮮半島南西部の前方後円墳

→武寧王をバックアップした集団,ただし12基それぞれ独立していた国家とは無縁の権力層

羅州には前方後円墳はないが古墳はたくさんある…周辺地域のトップがいた

6世紀前半の短期間に日本との深い関係から築造

政権周辺部中央部からはなれた場所で倭と百済を結ぶ役割を担った人

倭へ渡来系集団を輩出した在地首長層


朝鮮半島の埴輪

前方後円墳より少し広い範囲に分布しており,タタキとよばれる技術を使用している

99.9%は半島でつくられた


鉄器生産→送風管:最新技術ではなく周辺技術のみ移植される

搬入品をみながら作った

埴輪の形態は在地の器台形と円筒埴輪の折衷

朝顔型埴輪はアレンジされている

壺形埴輪(底部有口壺)はホケノ山古墳に影響

楽浪土器を期限として,韓半島で独自に進化した?


埴輪の性格

・日本列島が原型

・様々な地域と関係する古墳地点で採用される

・日中韓を結ぶ海外交通の要衝で多様な層が採用

46世紀の長期間に及ぶ対外交渉の成果


5世紀 渡来人は王権,地域集団の権力の源泉

国家間関係→紀の歴史観

渡来人の獲得は個別外交,私的外交,独自外交

→ヤマト王権と対峙する地域集団の実態

自由往来の海洋民,生産工人の介在


6世紀後半

朝鮮半島西南部 前方後円墳→百済と倭をむすんだ

6世紀半ば

百済滅亡


継体天皇と武寧王の話など興味深い話が聞けて大変おもしろかった.

大和考古学講座はなかなか予定が合わず参加できないことも多いが,機会があれば参加を検討したい.


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by Allegro-nontroppo | 2016-07-16 21:28 | 講演会,シンポジウムなど
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