雷丘の宮殿 ー万葉集 巻第3の235番歌からー

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24回 万葉古代学東京講座 「雷丘の上にあるもの」を受講した.

前回の万葉古代学東京講座はこちら→

講師は竹本晃氏である.

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竹本氏は先月の夕星万葉を担当されていた方である.

竹本氏の夕星万葉はこちら→


概要

万葉集・巻第3の235番歌

天皇,雷の岳に出でませる時に,柿本朝臣人麻呂が作る歌一首

大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも・・・①

右,或本に云はく,「忍壁皇子に献れるなり」といふ.

その歌に曰く,

大君は 神にしませば 雲隠る 雷山に 宮敷きいます・・・② 


左注をそのまま読めば雷丘には忍壁皇子の宮があったと読み取れる.

「日本書紀」朱鳥元年(6867月戌申条によれば,忍壁皇子の宮と民部省は火事の際に影響があるほど近い距離にあったことが分かる.

雷丘に近い石神遺跡から民官関係の木簡がまとまって出土していることから位置関係としては問題ないように思われる.

ところが雷丘の上の発掘調査によれば中世に古代の遺構が削平されてしまったとは言え,横穴式石室が数基検出されたのみで宮殿に関するような遺物は検出されなかった.

そのため,雷丘の上に忍壁皇子の宮はなかった可能性が高いが仮宮ならばあった可能性があると竹本氏は考えておられるそうだ.


雷丘東方遺跡から墨書土器が出土している.

この中に「城下」と墨書された土器が発見されている.

この土器が発見された井戸の掘削時期は8世紀末~9世紀初頭に近い時期と考えられる.

さらに「城下」土器は井戸の上部から発見されているがこの井戸は9世紀後半に埋められたことから捨てられた時期も同時期と考えられる.

墨書土器は遺跡内で完結するので「城下」郡を示したものではないと考えられることから雷丘東方遺跡から見上げたところに「■城」と呼ばれる地があったと考えられる.

つまり,7世紀末~8世紀初に雷丘に殯宮が築かれ,すぐ解体後,語り継がれて地名となったのではないかという推測が成り立つという.

この「■城」と呼ばれる地名が古代に名づけられた名称によるものであるとすれば,雷丘の地形から判断するに殯宮(あらきのみや)ではないかということだ.

※「大殯の時」「大荒城乃時」(巻第3の441番歌)


殯宮が雷丘の上に築かれていたのならば万葉集から判断するに忍壁皇子のものということになる.

ここで問題となってくるのが,「皇子皇女の殯宮は墳墓建設予定地に設置される」という身﨑壽説と「天皇以外は京内に殯を営むことは禁じられた」という上野誠説である.

まず,身﨑壽説については,その説の中で例に挙げられている明日香皇女・高市皇子・日並皇子墳墓の位置は未確定であるし,殯宮の地についても論争があるので従うことはできない.

また,上野誠説もその根拠は「大宝喪葬令皇都条」によるものであるが,誤解があるものと思われる.

つまり,墳墓の京内への築造のみ禁止されているのであって,いずれ撤去される殯宮は禁止されていないのではないかということである.

この条文が作成されたところの意図を上野氏は死祓を避けるためと考えたために殯宮を京内では禁止という風にとっている.

しかし,穢れはどう解除するかにかかっているものであるため,喪葬令皇都条に死穢は無関係ということで,竹本氏は雷丘に殯宮があっても問題ないと考えておられるとのことだ.


最後に今回の万葉歌二首については両歌を同じような意味で考えるのは間違いであるという.

つまり,「大君は神にしませば」と「雷」という共通性によるもので歌意に基づく配置ではないということだ.

②の歌は通説では「天雲に隠れている雷丘に」と解釈されている.

しかし,「雲隠」には高貴な人の死を敬避する表現法である.

これは万葉集巻第3の416番歌,441番歌,204番歌そして205番歌にも同様の例がある.

また,この②の歌「雲隠」は近世に訓読を「くもかくる」に改められたが,そもそもの写本では「くもかくれ」(紀州本万葉集)であった.

従って②の歌は

(忍壁)親王は神でいらっしゃいますので,お亡くなりになって,雷丘には殯宮をお造りなさっていらっしゃいます

という意味になる.

この歌は本来は挽歌であるが巻第3の雑歌の冒頭235歌の参考として編者が見つけたため,今の位置に置かれることになったと思われる.


以上が今回の講演内容であった.

なかなか興味深いお話であった.

まだまだ,万葉歌にも解釈を再考すべき歌が残っていそうである.

私個人の意見としては忍壁皇子以外の時代の雷丘についてもフォローがあったらよかったなと思った.

まあ,これは個人で調べるべき類のものであろうが.


追記

「天皇以外は京内に殯を営むことは禁じられた」という上野誠説であるが,私は全文を読んでいないので否定するのもおこがましいがメモとして考えを記載しておく.

Wikipediaによれば(HPはこちら→

死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること

とある.

そうであれば天皇以外は京内に殯宮を設置するなというのはおかしな話に思える.


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by Allegro-nontroppo | 2014-07-23 20:20 | 講演会,シンポジウムなど
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