役行者以前の「吉野」の歴史と信仰に迫る

連続講演「伝えたい 世界遺産「吉野」の魅力」 第2回 天武・持統両天皇と神仙郷吉野に参加してきた.

ちなみに先月,第1回 入門!古事記・吉野・神武東征に参加した際の記事はこちら→

今回の講師は田中岳良氏である.

田中氏は総本山金峯山寺奥駈奉行ということであの有名な大峰奥駈修行を毎年なさっているとのことだ.

本講演が始まる前には田中氏も参加なさっておられた奥駈修行のビデオが会場で流されていたが,とんでもない崖や巨岩を上っていく様子をみて修行のすさまじさを感じた.


さて,本講演の概要である.

天武・持統両天皇と吉野の関わりは以下のとおりである.

♦壬申の乱前夜・・・吉野隠棲(671年)

隠棲に纏わる伝説

・鷹塚伝説

・国栖の翁と犬塚伝説(犬を飼わない,御霊神社には狛犬がいない)

・袖振山と天人伝説(五節の舞の起源)

・夢見の桜伝説(桜本坊)

♦決起・吉野出陣・・・壬申の乱勃発(672年)

♦吉野の盟約(吉野の誓い)(679年)

♦持統天皇の度重なる吉野行幸

御在位中に31度も吉野宮へ

→田中氏はこの度重なる吉野行幸の理由として,即位の背景と天皇たり得る能力に対する不満回避のためではないかと推測されているそうだ.

つまり,具体的には

・草壁皇子の逝去と強引な即位

・天候を司るシャーマン的な能力欠如

と考えられるそうだ.

このようなことから,朝廷の不満が高まり,吉野水分峰への祈願につながったと考えられる.

飛鳥浄御原宮や藤原宮のあった奈良盆地は河川といえば「大和川」しかないため,水に苦労した地域である.

(現在でもため池が多い)

一方で吉野水分峰(現在は青根ヶ峰)は四方に水源を持っているため,神奈備山とされており,農耕を左右したり,天候変化への期待から産土信仰が生まれたようである.


万葉集でも

み芳野の青根が峰の 苔蓆 誰か織りけむ 経緯無しに

神さぶる磐根こごしき み芳野の 水分山をみれば かなしも

と詠まれている.

持統天皇の時代の吉野水分神社は現在の位置とは別の場所に鎮座しており,その近くには修験道の起源に関係する「広野千軒跡」もある.


水分信仰から修験道へと変化した理由としては,都の変遷や吉野の扱いが大きく影響していると田中氏はおっしゃっておられた.

田中氏の資料をほとんど同じように作成させて頂いた.
少々ずれている部分もあるが御勘弁願いたい.

都の変遷   吉  野     水分信仰(自然崇拝)

飛鳥京    吉野宮      水分神(水分峰)

                ↓  →→→→→→→→産土信仰

藤原京                 ←自然崇拝    

                ↓  ←仏教,道教    ↓

平城京    吉野離宮           ←陰陽道     

    (芳野監)       ↓  →→→→→→→→子授け信仰

                  ←雑密      

             原始的修験道         ↓

平安京     廃絶            ←密教      

                  ↓  ←←←←←←←← 子守宮

                 修験道

以上が本講演の概略である.

「吉野」といえば修験道でその開祖は役行者という情報はよく聞くが,それ以前の吉野の歴史や信仰についてはあまり聞いたことがなかったので非常にためになった.

いずれ,吉野を訪れる際にはこの講演で挙げられたような場所を訪れたいものである.

次回の連続公演「伝えたい 世界遺産「吉野」の魅力」を楽しみにしたい.


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by Allegro-nontroppo | 2014-07-18 20:11 | 講演会,シンポジウムなど
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