飛鳥学講演会③ 「飛鳥と天皇の誕生」

飛鳥学講演会,最後の講演は③飛鳥学講演 「飛鳥と天皇の誕生」 千田稔氏(奈良県立図書館情報館長)である.


③飛鳥学講演 「飛鳥と天皇の誕生」 千田稔氏(奈良県立図書館情報館長)

この講演はいつ頃天皇号が成立したかというのが主題である.

まず,天皇号の由来として有力なのは中国の宗教である道教の最高神・天皇大帝である.

この天皇大帝は北極星が神格化した神ということは以前に本ブログでも触れた(ブログ記事はこちら→).

そして道教の世界観は八方位であるという.

このことが天皇・皇族のための八角形古墳の出現につながっている.


天皇の宮都における形の条件として

北極星→大極殿(北極星を建物の形にしたもの.賀正・即位などの大礼に使用され,一年に数度しか使用されない)

天皇大帝→高御座→八角形

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写真は復元された平城京宮に置かれている高御座である.
京都御所には現在の天皇陛下が即位の折に使用された高御座があるそうである.

現在,天皇号の開始時期については,天武・持統朝が主流である.

これは飛鳥池遺跡出土木簡(通称・天皇木簡)に「天皇□聚露□」とあること,飛鳥浄御原宮東外郭より出土した木簡に「大津皇」(同時に「辛巳」の木簡も出土)とあること,そして文武天皇の即位宣命(資料には日本書紀とあったが続日本紀の間違いではないだろうか?)に天皇とあることから推定されている.

天武・持統朝より天皇号が使用され始めたのであれば「飛鳥浄御原令」における規定に従っている可能性がある.


ところで宮内に大極殿または高御座があれば,その関係性から「天皇号が成立していた」と千田氏は推定されている.

飛鳥浄御原宮にはエビノコ大殿の跡が発見されているがこれは大極殿相当の建物と思われる.

(ちなみに飛鳥浄御原宮はもともと岡本宮と言っていたのを天武天皇の病回復を祈り,名称変更した)

また,日本書紀・天武天皇2年2月に壇上と書いて「たかみくら」と読ませ,即位をしていることから,すでに天武天皇即位時に天皇号が存在していたと言える.

そうであれば近江令で定められていた可能性が高い.


船王後墓誌銘は戊辰(天智7年)と記載がありながら,すでに「天皇」の記載が見られる.

(冠位大仁:推古朝と官位大仁:文武朝の記載の齟齬があるため,重要視されていなかった)

さらに天智天皇の近江大津宮には内裏正殿という大極殿相当の建物が存在していた.


日本書紀の大極殿に関する部分を確認すると皇極4年に「天皇,大極殿(ただし,読みは「だいあんでん)に御す」,天武10年に「天皇・皇后,共に大極殿に居しまして…」との記事がある.

また,幸徳朝652年に完成した前期難波宮に大極殿相当の建物があったことが発掘調査により分かっている.


古墳の形状から考えると,舒明,皇極,斉明,天智,天武,持統,文武天皇が八角形墳である.

(ただし,舒明天皇陵は改葬されている.孝徳天皇は不明.)

このことは天皇号の成立が舒明朝であることを示しているのかもしれない.

その傍証として万葉集 舒明天皇代 巻1-3番歌の歌に

やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ~

という歌があるが,このやすみししは枕詞で「八方をおさめていらっしゃる」と言う意味がある.

ただし,千田氏によれば万葉集を歴史資料として使用するのはできるだけ避けた方がよいとのこと.


舒明朝における天皇号の成立の確証は得られないので皇極朝で確認する.

まずは日本書紀・皇極紀に「大極殿」とある.

次に,舒明天皇陵は皇極朝に八角形墳に改葬されている.

極めつけは「皇極」という諡である.

後世に名づけられた諡とはいえ,「天」と「北星」からとられた「皇極」という名は天皇号を名乗っていた可能性を十分予測させてくれる.


以上がこの講演の内容である.

言われてみればなるほどという所であるが,今まで全く気が付かなかった.

気になる点と言えば「天皇」の読みである.

恐らく,初期は「しらすすめらみこと」であったのが「てんのう」に変わったのであろうと思うが,どの段階なのか.

今後,日本書紀を読む際は気を付けておきたい.

2014年の飛鳥学講演会(前回までの記事はこちら→ 飛鳥学講演会① 飛鳥学講演会②についてはこのような内容であった.

また来年も参加してみたいと思う.


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by Allegro-nontroppo | 2014-07-13 19:01 | 講演会,シンポジウムなど
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