飛鳥学講演会① 「古代の貧民救済思想 -憶良・光明子などー」

飛鳥学講演会に参加してきた.


内容は

①基調講演

 「古代の貧民救済思想 -憶良・光明子などー」 川嶋辰彦氏(学習院大学名誉教授)

②発掘報告

 「明日香村最新発掘調査報告 -最前線―」 長谷川透氏(明日香村教育委員会文化財課)

③飛鳥学講演

 「飛鳥と天皇の誕生」 千田稔氏(奈良県立図書館情報館長)

であった.

全てを一度の記事にまとめるのは大変なので少しずつUPしていきたい.

今回は①基調講演についてまとめる.


「古代の貧民救済思想 -憶良・光明子などー」 川嶋辰彦氏(学習院大学名誉教授)


古代におけるNGO(非政府組織;今回はヴォランティア活動団体とする)として「悲田院」・「施薬院」が挙げられる.

この「悲田院」・「施薬院」を最初に設置したのは光明子であるが,では光明子はこの貧民救済思想をどうして持つにあたったかというのがこの講演の主題である.

光明子は藤原不比等と県犬養三千代の娘で,後に聖武天皇の皇后となった人物である.

彼女の有名な逸話として,法華寺浴室でハンセン病患者の世話をしたというものがある.

ところで,「悲田院」・「施薬院」の思想基盤には仏教の「福田思想」というものがあるらしい.

「福田思想」とは贖罪を含む善行の種子をまけば,やがて招福壌災の穂が実るというものである.つまり,光明子の祖父である鎌足以来藤原氏が犯してきた罪(大化の改新~長屋王の変までということだろう)に対する贖罪プロジェクトということになる.

では,光明子に貧民救済の思想面で影響を及ぼしたのは誰であろうか.

まずは光明子の父母である藤原不比等と県犬養三千代から個人的影響を受けている可能性が高い.

また702704年の遣唐執節使であった粟田真人が持ち帰った唐の品々や知識から影響を受けている可能性がある.

粟田真人が唐に渡ったころ,中国大陸の皇帝は則天武后であった.

粟田真人は則天武后の謁見をうけている.

則天武后は数々の貴人らを殺めた人物(こちらの記事でも少し触れている→)であったことから,福田思想に基づく慈善事業を行っていたという.


光明子と同時代の「貧民や弱者へ真正面から向けられた視点をもつ」人物がいる.

山上憶良である.

彼の有名な貧窮問答歌は社会をもっとよくするために弱者を対象に据え,代理判断に基づく主観的考察を試み,得られた社会的メッセージを社会啓発文学として歌に託して発信した「世直し」のための歌ではないかということだ.


この山上憶良は光明子と接点がないわけではない.

彼は粟田真人と共に唐から戻った後,東宮侍講となっている.

当時の東宮は首皇子,つまり後の聖武天皇であり,既に光明子は東宮妃となっていた.

不比等,三千代,粟田真人らが憶良を東宮侍講に推挙し,「贖罪・社会事業に照準を合わせた」ヴォランティア論の教授があったではないかと川嶋氏は推測されている.

これは後に悲田院・施薬院の設置,東大寺盧舎那仏の造仏という藤原氏・天皇家の共同贖罪・鎮魂プロジェクトにつながっていくのである.

(天皇家も中大兄皇子以来,天武・持統天皇系ラインを担保するのに必要であった「殺め」の行為に贖罪意識があった)


最後に川嶋氏は「NGO活動の動機が贖罪であったとしても,その行為は,他からの思惑を超越して高く評価されるべき普遍的な価値を有する」というヴォランティア論の文脈における,贖罪プロジェクトの位置づけについて力説されておられた.

川嶋氏のお話とは少し逸れるかもしれないが,日本のヴォランティアに対する姿勢は諸外国のそれと比べて悪い方に間違っていると思う.

道徳や情操教育の一環か何かは分からないが,学校から休みの日に決まった作業を「ヴォランティア」として強制される.

強制させたうえで取り組まない人間は「人非人」として扱うのである.

さらには「ヴォランティア」に打算だとか利益などというものを一切求めてはいけないというのである.

おかげで「ヴォランティア」というものに胡散臭さを感じるようになってしまった.

私には打算のない「ヴォランティア」に一生懸命取り組むなどということはとてもできそうにない.

このようなハードルの高い行為を求めるかぎり,日本での「ヴォランティア」の発展はまずないものと思われる.


ところで,今回配布のレジュメにはある新聞記事が載っていたのだが,時間がおしていたためか,講演の中で一切触れられることなかった(新聞記事はこちら→
)
2014
7月3日付の記事で悲田院・施薬院の運営を示す木簡が発見されたというのである.

これは平安京跡から発見されたもので,光明子の時代より下るが,悲田院・施薬院に関する資料は少ないとのことで,貴重な資料として期待されているらしい.

何年か前に泉涌寺に出かけた際に近くで悲田院跡を見かけたと思うが,地図を見る限り,違う場所に思える.

平安京にも幾つもあったのだと思うと,私が思うより朝廷の慈善事業は発達していたということになる.

とにかく,この木簡からいろいろなことが分かりそうで楽しみである.


講演内容とは全く関係ないが,私は川嶋氏をどこかでお見かけしたことがあるような気がしてならなかった.

プログラムをもう一度確認したところで,講演中にもかかわらず声をあげそうになった.

川嶋氏は秋篠宮妃紀子様の御父君である.

天皇家の外戚にあたる方から,古代の天皇家に関する講演を聞くなどなかなか無い体験である.

それを抜きにしても古代のヴォランティアと言う観点から光明子と憶良をつなげるという発想が面白かった.


次回は②発掘報告 「明日香村最新発掘調査報告 -最前線―」 長谷川透氏(明日香村教育委員会文化財課)について書いてみたい.


[PR]
by Allegro-nontroppo | 2014-07-08 19:17 | 講演会,シンポジウムなど
<< 飛鳥学講演会② 「明日香村最新... 遺物と3Dプリンター >>