高松塚・キトラ古墳孝③ ー被葬者の身分ー


高松塚・キトラ古墳の被葬者の身分を大化の改新で定められた「薄葬令」から推定してみたい.

薄葬令で定められたは土盛の大きさ,王以上で方九尋・高さ五尋,上臣で方七尋・高さ三尋,下臣で方五尋・高さ二尋半である.

高松塚古墳は直径約23 m・高さ5 mであり,キトラ古墳は直径約13.8 m・高さ3.3 mである.

ここでは大宝律令の小尺である約29.6 cmを一尺とする.

一尋は六尺であるから,広さにおいて高松塚古墳は王以上,キトラ古墳は上臣以上で高さは両古墳とも下臣またはそれ以下である.


石槨については王以上及び上臣下臣は長さ九尺・高さ広さ五尺,大仁小仁は長さ九尺・高さ広さ四尺と定められている.

高松塚古墳は高さ113.4 cm・幅103.2 cm・奥行266.7 cmであり,キトラ古墳は高さ114 cm・幅104 cm・奥行240 cmである.

こちらは長さ,高さ,広さともに大仁小仁以下となる.

身分制度の厳しかったであろう古代の事だから,被葬者の身分を上回る古墳を築造することはないであろうことを考えると高松塚古墳の被葬者は王以上でキトラ古墳の被葬者は上臣以上であると考えられる.


次に高松塚・キトラ古墳の壁画の主題から推定してみたい.

両古墳に共通している主題は上記に示す通り,天文図と四神である.

キトラ古墳の天文図は約360顆の星から二十八宿(黄道上またはその付近にある)及び紫微垣の星官(中国の星座)を含む68の星官と内規(北天で常に水平線・地平線上にある範囲),外規(天空に見える範囲)、赤道(天を球体と考えたときの赤道),黄道(太陽が運行するコース)が描かれている.

高松塚古墳の天文図はキトラ古墳のそれよりデザイン化され,約120顆の星から成る二十八宿を含む32組の星官で構成されている.

両古墳の天文図では,現在の天文図と同様に中心に北極星が描かれている.

この北極星は神格化され,「天皇大帝」と呼ばれ,日本の「天皇」の称号の起源となったと言われている.

天皇の称号が使われ始めたのは天武天皇の御代だとされているから,時期的には古墳築造時期とかなり近いのである.

これらから推察するに,この天文図は「北極星=天皇」を巡る「星または星官=臣下たち」を意示唆していると考えられる.

もっと直接的な証拠として,紫微垣というのは最高神の天帝を中心とする星官群で天帝の居所とされているのだ.

つまりこの天文図の真下に眠る被葬者は天皇or天皇に近しい人物を意味しているのではないか.


さらに四神は天の四方を司る霊獣で,二十八宿を七宿ごとに分けて東方青竜・北方玄武・西方白虎・南方朱雀と対応付けられている.

ということは,四神においても天文図と同じ意味を持っているということである.

この四神を五行思想から考えてみると東方=青竜,北方=玄武,西方=白虎,南方=朱雀に中央=黄竜が加わる.

この黄竜は黄帝=皇帝の権威を象徴するのである.

よって,四神の壁画に描かれた中央に眠る被葬者はやはり天皇または天皇に近しい人物となるのである.


最後に副葬品も確認しておこう.

注目したいのは両古墳から出土した大刀である.

まず,大刀が副葬品とされている以上,被葬者は男性であろう.

大刀と飾り金具とよく似た金具をつけた金銀鈿荘唐大刀が正倉院に納められている.

この大刀は草壁皇子→藤原不比等→文武天皇→藤原不比等→聖武天皇と譲られた,ある意味皇位継承のしるしである.

また,高松塚古墳では海獣葡萄鏡も出土している.

この鏡は則天武后の時代によく作られた鏡で第8回遣唐使(702-704年)以前に唐から持ち帰られたものと考えられる.

このような唐渡りの鏡を副葬品とできるのは高位の身分でなければ叶うまい.

以上のことから鑑みるに両古墳の被葬者は天皇位にかなり近しい人物,つまり天皇の皇子と推定される.
次回は天皇の皇子たちから候補者をピックアップしてみたい.


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by Allegro-nontroppo | 2014-06-01 19:00 | 高松塚・キトラ古墳
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