卑弥呼の墓はどんなもの? ー特別展「弥生時代の墓ー死者の世界ー」からー

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現在,東京国立博物館では飛鳥時代の墓である,キトラ古墳の壁画展(本ブログ記事はこちらこちら)を催しているが,そのキトラ古墳のお膝元ともいえる?橿原考古学研究所(以下,橿考研)附属博物館では春季特別展「弥生時代の墓ー死者の世界ー」が開催されている.
さすがに奈良県までちょっと展示を見に行くということはできないが,幸いなことに東京都内でブリーフガイドが行われているということで,出かけてみることにした.
せっかくなので,このブリーフガイドを記念して実施される展示解説に参加することにした.
画像は「弥生時代の墓ー死者の世界ー」のチラシである.

タイトルは春季特別展「弥生時代の墓ー死者の世界ー」の見どころ解説である.
講師は北井利幸氏.
橿考研附属博物館 主任学芸員でいらっしゃるそうだ.

展示の意図・目的としては
・奈良県内での調査事例の増加
・墓を主題とした展覧会(弥生時代の墓はあまり取り上げられない)
・弥生時代の銅鐸,生活,石器,戦いなどはすでに実施済み
ということらしい.

今回の展示はもちろん橿考研主催であるから,近畿地方の弥生時代の墓である.
弥生時代の大部分の時期において先進性があり,発展していたのは北部九州である.
私の想像する弥生時代の墓といえば,甕棺に埋葬されており,首長の墓からは鏡やガラス玉などが副葬品または着装品として出土するイメージであるが近畿地方ではそのような例は今のところみられないようである.
考えてみれば当然で,日本列島が統一されるどころか,小集団で争いあっていたような時期であるから,各地で文化や風習が異なっているのは当然であろう.

少し話が逸れてしまった.

本展覧会のみどころは
・弥生人の死者の取り扱い
・副葬品・武器類などの棺内出土品
・木棺など埋葬施設
ということである.
北井氏が余談?として話しておられたのは「弥生人の18体の遺体が一度に見られるのは,今,橿考研だけです」とのことだった.
しかもこの人たちが全て関西人だと思うと面白い気持ちになる.

弥生時代の墓の埋葬施設としては,組み合わせ式木棺,土壙墓,木蓋土壙墓,土器棺が挙げられる.
土器棺と甕棺の違いであるが,土器棺は日常品を転用したものであり,甕棺は埋葬用に作られたものという定義だそうだ.

また,墓の形としては,方形周溝墓,円形周溝墓,台状墓が挙げられる.
この方形周溝墓は成立当初から複数人葬られていることから,集落を構成している人たち全員が埋葬されていたのだろうと考えられるそうだ.
弥生時代は生活域,生産域(田んぼなど),墓域に分かれて生活している.

出土遺物としては,まず供献土器が挙げられる.
これは方形周溝墓などで供えられた土器で,ほとんどの場合穿孔したり,口縁部や脚部を打ち欠いたりしているが,どのように使っていたのかは不明である.
次に周溝での出土遺物としては石器類(石包丁,石鏃,石剣など)や容器類(四脚容器:周り掘り下げた文様があり,赤く塗られている)や鍬や鍬などの木器農具類(周溝を掘るために使った?)等である.
その他に担架や鳥形木製品(お祀りに使われた?)や墓標(石・木製)など出土している.

ところで,弥生人はどのように埋葬されたかというと,植物性の編み物(死者の下に敷いたか,包んだのかは不明),赤色顔料が遺体に塗布されたような痕跡も見つかっているようである.
副葬品・着装品としては柱状片刃石斧,イノシシ牙,指輪,管玉,ガラス玉,勾玉,堅櫛,銅釧が見つかっている.
これらの副葬品・着装品の数は北部九州から出土している数よりかなり少なく,特別な例と言える.
少ないからと言って,周溝墓の中心に埋葬されているというわけではないので地位が高いというわけではないようである.
戦いに倒れたと思われる弥生人も見つかっており,石鏃や青銅製武器が出土した事例もある.
埋葬されなかった弥生人も見つかっている.
井戸の中から,上半身の骨のみが頭から落下した形で発見されている.
どこかの墓を荒らして落下させたのではないようで,どこかミステリーの匂いがする.

さて,弥生時代で最も有名な人物といえば,やはり卑弥呼であろう.
また,邪馬台国といえば,その所在地が論争となるところだが,究極のところ,この卑弥呼の墓さえ発掘されれば結論がでることは間違いない.
そんな卑弥呼がどのように埋葬されたかは「魏志倭人伝」に記載されている.

卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、狥葬者奴碑百餘人


卑弥呼が死んだ後,直径百歩もの大きな塚を作り,奴婢百人を殉葬したと言ったところであろうか?
これは今回の講演内容には出てこなかった形である.
むしろ古墳と言ったほうがふさわしいのではないか.
卑弥呼が死んだとされる西暦250年頃は弥生時代末期であるから,すでに墳丘墓が古墳に移行しているのかもしれない.

現在,卑弥呼の墓として具体的な候補にあがっている箸墓古墳は前方後円墳であるが,この文章を読む限り卑弥呼の墓は円墳であったのではないかと推測される.
この食い違いは一体どういうことだろう?

卑弥呼の墓については今回の講演でも少々触れられていたが,この当時の墓or古墳は地域ごとで特徴があるのでそこから推測ような気がする.

いずれ資料を集めてチャレンジしてみたい.

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by Allegro-nontroppo | 2014-05-14 19:22 | 講演会,シンポジウムなど
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