邪馬台国は国家か否か

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「日本列島の国家形成ー日本の国の成り立ちを考えるー」第一回「日本列島の国家誕生」を受講した.
講師は桜井市纒向学研究センター 所長 寺澤薫氏である.
このシリーズは今後も続いていく予定だそうで,まず最初の三回は寺澤氏が担当し,ヤマト王権と邪馬台国くらいまでを講義するそうだ.
ところでこの第一回の講座に募集人数の3倍以上の応募があったそうだ.
この調子でいけば,三回全てを受講できる人がどれだけになるか分からない.
私も応募し続けるつもりではあるが,あまり期待しないほうがいいかもしれない.

今回は,寺澤氏の考える国家の定義というものを纒向遺跡以前の北部九州を例に挙げて講義された.
というわけで,寺澤氏の得意とされているだろう纒向についてはほとんど話題に上らなかった.

私は今まで国家の定義というものを考えたことがなかった.
せいぜい,日本国が誕生したのはどのくらいだろうと思うくらいである.
国家が定義できていないから,答えがでないわけである.
ちなみに,日本号が誕生したのは689年の飛鳥浄御原令であろうといわれているが,日本国家が誕生したのはもちろんもっと前に誕生したといえるはずだ.

弥生時代頃から北部九州では部族的国家ができてくる.
今回の講座ではクニは今では少なくなった行政区画である「郡」程度の広さ,は「平野」程度の広さをもつ部族的国家であると定義されていた.
弥生時代の北部九州の特徴といえば,戦争が頻繁に行われていたと思われる点であろうが,この戦争により「支配・被支配」の関係ができることにより,部族的国家連合ができ,さらに王国となっていく.
王国の例としては「後漢書」東夷伝や金印で有名な奴国や伊都国である.
そして,これらの王国が一つになって,日本国となるのだという.

この五つの国の段階でどこから国家と定義するかということで大事なのは「内的国家(第三権力・共同体内政治,イデオロギー支配・反デ第2の道)」と「外的国家(国家意志・共同体間政治,支配,被支配・反デ第1の道)」のどちらで国家成立と考えるかである.
一般的には「内的国家」となれば国家成立とみられているが,寺澤氏の考えでは,「戦争」の歴史的意味を考えると「外的国家」となれば国家が成立したとみてよいのではないかという.
つまり,日本列島において最初に国家が成立したのは,北部九州における部族的国家連合が出来上がった時点ではないかという.
同時期の北部九州以外の地域では戦争などは起きておらず,まだまだ部族的国家程度しか成立していなかったようである.

ちなみに五つの国の段階のどれにあたっていたのか,発掘物から判断する際に重要な目安となるのは「王」の墓からの副葬品のようだ.
特に中国の鏡のサイズと量は重要なポイントとなっているようだ.
この話の中で青柳種信なる人物についても初めて知った.
今回の講演で青柳種信のエピソードを聞く限り,キトラ・高松塚古墳壁画への文化庁の対応を比較すると墓や墳墓に対する畏敬,文化財保護の観点から考えても,素晴らしい判断がされていたように感じた.
彼についても何か面白い本があれば読んでみたいと思う.

随分,遠回りをしたが,本記事タイトルの「邪馬台国は国家か否か」の答えは「内的国家」かと言えばNOであり,「外的国家」かと言えばYESであるからグレーゾーンに位置しているといったところであろう.
ただし,先にも書いたが,一般的には「内的国家」であれば国家成立とのことなのでグレーはグレーでもかなり否定的立場よりであろう.

それにしても,歴史を深く知るには歴史のみの知識では理解しえないことをつくづく感じた.
今回,初めて聞いた「内的国家」「外的国家」とはどの分野を勉強すれば分かるようになるのかすら,恥ずかしながら分からない.
分からないことは一個一個,消化して理解していくしかないのだろう.

非常に有意義な講座であったから,次回も受講できることを期待したい.

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by Allegro-nontroppo | 2014-05-03 19:21 | 講演会,シンポジウムなど
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