「脇本遺跡の調査結果から古墳時代の王宮について考える」 追記

本講演で面白い話をきいた.
王宮の所在地は循環しているというのである.
以下に循環しているという王宮の所在地を書き出してみる.

履中天皇  磐余(伊波礼) 稚桜宮
反正天皇  丹比(多治比) 柴籬宮
允恭天皇  遠つ飛鳥       
安康天皇  石上            穴穂宮
雄略天皇  泊瀬(長谷)    朝倉宮
清寧天皇  磐余(伊波礼) 甕栗
顕宗天皇  近つ飛鳥       八釣宮
仁賢天皇  石上             広高宮
武烈天皇  瀬(長谷)    列城宮
継体天皇  伊波礼          玉穂宮

確かに循環しているようにみえる.
記紀には数々の作為が働いているというのは通説であるから,これらの所在地についても史実ではないと考えることができる.
そうであれば,何のためにこのように記載したのか問題となるであろう.
また,これが本当に史実であったとしても,当時の人々がこれらの場所に置いたのか考える必要があると思う.

何故か思い出したのは伊勢の神宮遷宮である.
遷宮は「常若」の思想の元,続けられてきたと説明されている.
このあたりについてはアマテラスと神宮内で私の考えを既に記載しているから,ここには記載しない.
それらの記事を投稿したとき,「常若」の思想がどこからきたのかについては考えていなかった.
ふと,この循環の思想については王宮の循環から発想を得たのではないかと思ったのだ.

ちなみにこれらの王宮をもった天皇たちの在位時期は5世紀~6世紀初めである.
大和王権が確定してきた頃なので天皇家を考える上で重要な時期であろう.
後の世代に影響を及ぼした可能性大である.

この件については特に確証もないので,ただの独り言である.


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by Allegro-nontroppo | 2014-04-16 19:35 | 講演会,シンポジウムなど
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