「脇本遺跡の調査結果から古墳時代の王宮について考える」 その1

しばらくぶりに江戸東京博物館に行ってきた.
目的は第99回大和考古学講座に参加するためである.
この大和考古学講座は奈良県立橿原考古学研究所友史会が主催している.
次回は記念すべき100回目を迎えるため,盛大に執り行われる予定らしい.

第99回のお題は
「脇本遺跡の調査結果から古墳時代の王宮について考える」
で,講師は奈良県立橿原考古学研究所主任技師の岡田雅彦氏であった.

ところで,本題となる脇本遺跡というのは,
・雄略天皇  泊瀬朝倉宮
・武烈天皇  泊瀬列城宮
・欽明天皇  磯城島金刺宮・泊瀬柴籬宮(行宮)
・天武天皇  初瀬斎宮
があった所ではないかと推測されている.
特に雄略天皇については天皇の歴史を解明する上で重要な天皇の一人であるから,脇本遺跡の発掘には期待がかかっているというわけである.






脇本遺跡は奈良県桜井市に位置している.
大神神社のご神体として知られる三輪山の南麓,外鎌山とに挟まれた初瀬谷に立地している.
また,奈良から三重に抜ける伊勢街道がそばを通っており,交通の要衝でもあった.

下記に今回解説のあった,脇本遺跡で発見された遺構について記しておく.

松菊里型住居
弥生時代前期
朝鮮半島に起源をもつ
奈良県での発見は珍しい

青銅器の工房のような機能をもつ住居
弥生時代後期
青銅器の破片が一緒に発見された

池状遺構
古墳時代中期~6世紀後半まで使用されたと見られる
60×60m以上の広さ
地面がきれいにならされている
石積みがある(30cmくらいの石が1mほどの高さに積まれている)
水が溜まっていた様子がなく,水はけもよいことから,水を溜めて使っていたものではないだろうと推測される→名前が不適切なため改名する予定

楼閣のようなもの
古墳時代後期
柱が1m以上の太さであるため,高い建物であると推測される
一度,焼失したようで飛鳥時代前期に建て替えられている

正方位の建物
飛鳥時代後期
東西に長い柱列8×4柱

以上が今回説明のあった遺構である.
王宮の話についてはまた次回.





[PR]
by Allegro-nontroppo | 2014-04-14 19:47 | 講演会,シンポジウムなど
<< 「脇本遺跡の調査結果から古墳時... 伊勢から春日へ 補足記事 >>