アマテラス及び神宮考⑫ -珍説披露(2)-

豊受大神宮はある意味、神宮の原点であるだろう。
神宮は外宮先祭といって、豊受大神宮から皇大神宮の順に参拝しなければならないというのは式年遷宮YEARの今年、いろいろな媒体で取り上げられていたから、有名な話であろう。
 後から他の地域に入ってきた神が祀られているところでは、それ以前からの地主神をまず参拝しなければならないという所が多い。
もし、この習慣に伊勢も従うとするならば、豊受大神宮は土着神ということだろう。 しかも、この豊受大神宮の禰宜は土着の豪族、度会氏である。
そうであるならば、『止由気宮儀式帳』の鎮座の記述は騙りということになる。
この『止由気宮儀式帳』は度会氏が豊受大神宮の正当性を示すために記されたものであるから、都合のよいように書いたであろうことが想像できる。





それでは実際のところ、どのような神が祀られているのだろう。
その神は度会氏が祀るに値する神でなくてはならないだろう。
ここで確認しておきたいのはトヨウケビメの鎮座理由である。
つまり、アマテラス鎮座後、何百年もたってから、一人で食事をすることが難しいので、丹波から呼んだということである。
そのような理由で神を呼び、正当に祀るなど手間がかかりすぎる。
おそらく、本当に祀られる神を隠すための騙りであろう。
しかし、全てを騙りと断ずる必要もないかもしれない。
トヨウケビメの出身地とされる丹波、籠神社の社家・海部氏は度会氏の同族である。 ここに何かがあると疑うのは当然であろう。
籠神社の主祭神はヒコホアカリ、つまりアメノホアカリ、別名、ニギハヤヒである。
この神は海部氏、度会氏を含む海人族の祖先神である。
であれば、度会氏が祀っていたとしても不思議はない。
また、トヨウケビメについても、ヒコホアカリの妻神として豊受大神宮に共に鎮座し、祀られているのではないかという可能性も推測できる。
時間の流れとともに忘れ去られてしまったか、故意に鎮座の事実を消してしまったのか分からないが、ヒコホアカリについては消えてしまったのかもしれない。
 以上より、豊受大神宮の祭神はヒコホアカリとトヨウケビメと推測できる。

 豊受大神宮の祭神が推測されたところで、皇大神宮の祭神について考察を進めたいと思う。
なかなか、決め手がない中でふと伊勢に関係の深い神でありながら、神宮に一切、祀られていない神について考えてみた。
スサノオである。
アマテラスの弟神でありながら、神宮には一切祀られていない。
記紀の神代のエピソード、スサノオの高天原追放を読めば、アマテラスから忌避されてしまうのは分かるが、その割に伊勢地方では蘇民将来というスサノオにまつわる風習は盛んである。
以前から、このチグハグさを不思議に思っていたのだが、もしもスサノオが皇大神宮に祀られているとしたらどうだろうと考えた。

 まず、記紀の崇神紀・垂仁紀が謎は解けてくる。
アマテラスと倭大国魂神(大和大国魂神)を同時に宮中外に遷した点については、スサノオと倭大国魂神が宮中外に遷されたことになり、出自が同じになる。 スサノオも倭大国魂神も出雲の神となるので問題がなくなる。
 さらに、景行紀の草薙剣についてももっともなことだと思える。
草薙剣はスサノオがヤマタノオロチ討伐の際にヤマタノオロチの体から取り出した剣であり、スサノオを象徴する御物であると言えるだろう。
 また、伊勢という地はスサノオにとってなじみやすい地であったと言える。
なぜなら、豊受大神宮の祭神と推測したニギハヤヒはスサノオの息子とする説がある。
また、オオクニヌシの息子とする説もある。
そうなると、度会氏は出雲臣の一員となり、出雲臣の祖神であるスサノオが祀られる土壌としては完璧であろう。
 さらに伊勢には太陽信仰が深く根付いていたという説もあり、スサノオが太陽神であったならば鎮座するのに十分ふさわしい。
 極めつけは、熊野大社に伝わるスサノオの別名「伊邪那伎日真名子」である。
これは「イザナギが可愛がる御子」の意とのことであるが、並ぶ漢字を見ると「イザナギが可愛がる日の御子」の意ではないかと思える。
これに関しては日本書紀ではスサノオは海原を統治するよう指示されている部分も気になる。
古くは海=天(あま)であったことを考えれば、スサノオが海照=天照であったことの名残ではないかと考えられるのだ。

 この先は私の妄想と言われても仕方のない推論になってしまうが、記紀における三貴子の記述は巧妙に組み替えられてしまっているのではないかと思えるのだ。
アマテラスの巫女的性質を表す部分は「大日孁貴神」のエピソード、スサノオの高天原での傍若無人なエピソードは「ツキヨミ」のエピソード、そして、スサノオの天照神としての高天原でのエピソードがもっと他にあったという推測が立つ。
また、アマテラスの皇祖神としてのエピソードは「タカミムスビ」のエピソードとしてもっと存在していたはずだ。
 古事記と日本書紀では異なる点がいくつか指摘されているが、ツキヨミのエピソードの中にも存在している。
『書紀』では、アマテラスとツキヨミがともに天を治めるよう命じられたのだが、天上でアマテラスからウケモチと対面するよう命令を受けたツキヨミが赴くとウケモチは饗応として口から飯を出したので、ツキヨミはけがらわしいと怒り、ウケモチを剣で撃ち殺してしまう。
アマテラスはツキヨミの凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日一夜隔て離れて住むようになったという。
しかし、『古事記』では同じようにして食物の神を殺すのはスサノオの役目である。
この違いは、ツキヨミとスサノオのエピソードを入れ替える際に混乱が生じ、違ってしまったのではないだろうか。
 さらに、ツキヨミの支配領域について、アマテラスと並んで天を治めよと指示された話が幾つかある一方で、「滄海原の潮の八百重を治すべし」と命じられたという話もあり、ツキヨミとスサノオのエピソード入れ替え説は真実味を帯びてくる。
アマテラスの皇祖神としての正当性を示すために必要なエピソードをかき集めたという結論できる。

 ところで日本書記の語彙や語法における倭習(日本語を母国語とする人々特有の誤用など)の量や万葉仮名の音韻の違いから、分類するという試みが行われている。
つまり、倭習のみられない正確漢文のα群を渡来人が、倭習の多い和化漢文のβ群を日本人が記述したということらしい。
これによればα群は雄略紀~用明紀,崇峻紀,皇極紀~天智紀であり、β群は神代上~允恭紀,安康紀,推古紀及び舒明紀,天武紀上下であるという。
持統紀についてはα、β群のどちらにも属さないという。
編集者の違いをみれば当然であるが、β群にはかなり持統天皇の意向が反映されていると言われている。
β群をみるとアマテラスや神宮に関わる部分が全て含まれているようである。
ということはアマテラスや神宮について持統天皇に都合よく書かれている可能性が高いということであろう。

 では、アマテラス鎮座に隠された真実とはどのようなものであろう。
全ては壬申の乱にあるように思われる。
壬申の乱では天武・持統天皇一行は吉野から伊賀を抜け、伊勢、美濃を抑えた。
当然、天武・持統天皇は伊勢を抑えておくことが重要なのは知っていたはずだ。
その地に式年遷宮を必要とする神社を鎮座した。
当時の税の中で「糒」と呼ばれる米を乾燥させた保存食がある。
この「糒」の最長備蓄期間は20年とされていた。
これは式年遷宮の期間と一致している。
ということは、神宮として伊勢という重要な地に軍事施設、兵糧保存施設として設立されたのではないだろうか。
そうなると私幣禁断の法も納得できる。
壬申の乱において、先の天皇の弟が当代の天皇を倒した事実を考えてみれば皇族であっても神宮に近寄らせたくなかったであろうし、皇后・皇太子であっても天皇の許可制にしたくなるのは当然の心理であったろう。
 また伊勢の地には壬申の乱で功績のあった豪族が住んでいた。
その功績に報いるために皇祖神を鎮座させた可能性がある。
神宮を鎮座させることで周囲を神郡とすることができ、さらに神宮のための仕事を与えることができるのだ。
そして、祭神がスサノオ、ニギハヤヒであれば、彼らの祖神である神々を祀ることができる。
それを天武・持統天皇が許可したとなれば、これも功績に報いることとなるであろう。
崇神・垂仁朝になんかの神が祀られたとして、それは祠程度だったのは記紀の記述をみれば明らかだ。
もしかしたら朝廷としては彼らを祀る許可を出せなかったのかもしれない。
許可がなかった可能性として周囲にスサノオ、ニギハヤヒを祀る神社がない。
正式な名前を出せなかったにせよ、神代時代のエピソード入れ替えなどあったにせよ、それまでの天武朝では許可されていなかった可能性のある祖神を祀ることができるのだ。
これは十分、伊勢在住の豪族や尾張氏の功績に報いることができるのではないか。
尾張氏も度会氏同様海人族であるからだ。
逆に名を隠して祀ることになった神の祟りを鎮めるために壮大に祀っていた可能性もある。

 以上が私のアマテラス及び神宮考である。
しかし、この分野ついては様々な人々がまだまだ研究に携わっており、今後も新しい発見が期待される。
また、私も考察が深まる可能性もあるし、まだまだ解決できない部分を残しているようにも感じられる。
よって、私の推論を否定したくなったり、追記したくなる可能性も考えられる。
その際はまた追記していきたいと考えている。

 倭姫命巡幸については別の理由が考えられるので、次回書きたいと思う。

 最後になってしまったが、一般的に言われている伊勢神宮は正式名称ではない。
神宮といわれるのは例えば、鹿島神宮、香取神宮、石上神宮などがあり、おそらくはそれらとの混同を避けるために伊勢神宮と言われるようになってしまったのだろう。
ただ、正式名称としては「神宮」であるため、本ブログではなるだけ正式名称で通すようにした。
これは内宮や外宮の表記も同様である。
分かりづらい表現にはなってしまったかもしれないが、できるだけ真摯にいたいという自己満足からくるものである。
お許し願いたい。




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by Allegro-nontroppo | 2013-11-30 18:38 | アマテラスと伊勢
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