さて、ここで私のアマテラス及び神宮考をまとめておきたい。
結局のところ、謎は一つに絞られると考えている。 「アマテラスとはどのような神か」 この謎を解くために神宮に祀られる神について解き明かすことで、アマテラスの実像に迫れたらいいと考える。 ところで、この問題についての本を読むとこのように記載されているのをよく目にする。 「普通、太陽神は男神であるから、アマテラスも男神に違いない」 この場合の普通とは一体何をさしているのだろう。 比較対象として挙がってきそうなのは他の神話だろうか。 そう考えてみると、ギリシャ神話の太陽神はアポロンで男神であるし、エジプト神話の太陽神ラーも男神である。 この二つの神話は日本においては他の神話よりも知名度が高いため、太陽神=男神という印象がついてしまうのは分からないでもない。 しかし、北欧神話における太陽神ソールは女神である。 本を出すほどのプロ(学者ではなくともそれで稼いでいる以上はプロであろう)はソールのことをどう捉えているのであろう。 ソールという女神が存在する以上、アマテラスが女神ではいけないという根拠は崩れてしまっているように感じるのだが。 また、明らかに発生土壌の違う神話を比較して普通かどうか議論することについても疑問を感じる。 それが成立するとなれば、ギリシャ神話のアルテミスやローマ神話のディアーナは月の女神であるので、日本神話の月神ツキヨミも女神に違いないということになりかねない。 まあ、ツキヨミの性別ははっきりとは記紀には記載されていないので、女性の可能性がないわけではないが。 とにかく、「普通、太陽神は男神であるから、アマテラスも男神に違いない」などと記載されていると不誠実さを感じてしまう。 ここまで書いておいて、私もアマテラスは男神ではないかと考えている。 その理由は斎宮制度のためである。 斎宮制度において、斎王はやはり、神宮の神の妻として遣わされたと思われるからだ。 ただ、安易に普通などと言って、根拠のはっきりしない意見をもっともらしく述べられるとそのほかの意見もはなかなか信じられなくなってしまうということを主張しておきたかった。 ひょっとしたら、このカテゴリで一番主張したいことだったかもしれない。 話をアマテラスと神宮に戻そう。 まず、仮説を立ててみた。 神宮にタカミムスビが祀られているのではないだろうか。 神宮には八咫鏡と心御柱の二つの御神体が存在している。 八咫鏡がアマテラスの御神体ならば、心御柱はタカミムスビの御神体ではないだろうか。 また、斎宮という皇女が仕える神ならばその神は男神でないだろうか。 タカミムスビは造化の三神の一柱で高天原の指令神である。 例えば、古事記でのタカミムスビは、天若日子神話、国譲り神話、天孫降臨神話、神武東征神話に、アマテラスとともに指令神として登場する。 また、日本書紀でのタカミムスビは、天若日子神話以下国譲り神話までは、本文では一貫して皇祖タカミムスヒ一神を指令神としており、アマテラスは登場しない。 ただ一書になると、それぞれに指令神を異にしている。 また、宮中三殿においては天皇守護の神と言われる御神巫八神を祀っているが、この八神にはアマテラスは含まれていない。 もちろん、タカミムスビは含まれている。 これは、アマテラスが正当な皇祖神でなかったことを示していると考えられる。 このようなことから、おそらく、本当の皇祖神はタカミムスビであったと考えられる。 この説は何人もの方が唱えている説で私も同意するところである。 ともかく、神宮に祀られているのはタカミムスビではないかと考えたのだが、上に記載したように未だ宮中に祀られているという部分が引っかかる。 もちろん、神々が分霊されることがあることは八幡神等の例をみれば明らかであるが、他の御神巫八神にそのような例がないのが気になる。 ここで、タカミムスビについては置いておいて、他の神についても神宮に祀られている可能性がないか考えてみたいと思う。 もっとすっきりする仮説が立てられれば、タカミムスビの説を否定できるということになるだろう。 伊勢の地が選ばれた理由を考えると伊勢の土着神が祀られる可能性があることも考えたいと思う。 伊勢の土着神としてはサルタヒコが挙げられるが、サルタヒコの可能性はないと考えても良いと思う。 理由としては伊勢周辺にはサルタヒコを祀る神社がいくつもある(二見興玉神社、椿神社、猿田彦神社など)ためである。 祭神にアマテラスという看板をかかげ、サルタヒコを祀っていると考えるならば、何故、サルタヒコの名前を出して祀ることができなかったのか考えなくてはならないが、周辺地域にサルタヒコの名前を出している神社がいくつもある以上は、祀りたければ祀ることができる状況にあったということだ。 つまり、神宮に祀られている可能性はないだろう。 そのうえ内宮正宮内には一般人に見ることは叶わないが、興玉神を祀る社も存在しているとのことである。 よって、伊勢の土着神としてイセツヒコとアメノヒワケを検討してみたい。 この二柱は伊勢国風土記に登場するにも関わらず、不思議なほど伊勢で祀られていない。 もし、神宮で祀られていれば、その不思議も解消されるというわけだ。 まず、イセツヒコはその行動に太陽神の一面を見せている。 風土記を読む限り、イセツヒコは殺されてしまったとも思えるが彼を祀る一族たちは東、信濃に逃げていったように思える。 とすると、元々イセツヒコを祀っていた一族はイセツヒコを奉じずに東に行ってしまったということになる。 ただし、神を滅ぼした一族が祟りを恐れて、その神に仕えるということもある。 その場合、度会氏はイセツヒコを滅ぼしたアメノヒワケの末裔であるのであてはまるだろう。 そうなると、太陽神イセツヒコを皇大神宮に祀るが、仕えるべき禰宜は豊受大神宮にいるという図式になる。 この図式はアメノヒワケを神宮に祀ると仮定した場合にも同様の図式が成り立ってしまう。 アメノヒワケはその名を見れば一目瞭然の太陽神である。 よって、太陽神アメノヒワケは皇大神宮に祀り、その末裔は豊受大神宮に仕えるという形だ。 イセツヒコ説、アメノヒワケ説ともに正しいと主張するならば、この図式の意味や理由を説かねばならないであろう。 ここまで考えてみて、私は皇大神宮にばかり目がいってしまっていることに気が付いた。 神宮は皇大神宮と豊受大神宮を中心として成り立っているわけであるから、これはまずいかもしれない。 そもそも、神宮というひとつの神社に全く別の二柱が君臨しているという形はかなり珍しい。 この形式についてももう少し考えてみる必要があるだろう。 そこで、次回は先に豊受大神宮に祀られる神について考えてみたいと思う。 そこから、皇大神宮の神について考えていきたい。
by Allegro-nontroppo
| 2013-11-26 20:19
| アマテラスと伊勢
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