アマテラス及び神宮考⑨ -神宮の神域-

今回は神宮の神域内について考えてみたい。

 まず境内がどのようになっているのか確認しておこう。
 神域に入るには豊受大神宮、皇大神宮ともに橋を渡らなければならない。
皇大神宮の橋は正月の初日の出で有名な宇治橋だ。
どちらも俗世と神域を川で分けていると考えられるだろう。
皇大神宮では橋を渡る前に鳥居をくぐる。
これは神宮内のどこでも見られる神明鳥居だ。
この鳥居は曲りや装飾のないシンプルな鳥居で、最も古い形と考えられる。
ここから参拝者たちは途中、手や身を清めながら正宮に向かうことになるが、参道は一直線に正宮まで向かっているわけではない。
曲がりくねっている。
祟り神は真っ直ぐにしか進めないためにその祟り神を封じるために参道を曲げているとの説があるがどうであろうか。
そのように考えると途中渡った川でさえも神を封じるために存在しているように思われる。
 また、途中、狛犬やおみくじがなかったのにも気づくかもしれない。
おみくじは鎌倉時代に仏閣にて始まったものであるから、神宮は受け入れなかったのだろうか。
狛犬の代わりに神使が置かれる神社(稲荷系のきつねなど)もあるが、ここには神宮系の神使である鶏の像があるわけでもない。
本物の鶏はうろうろしている。




そうこうしているうちに正宮にたどりつくだろう。
神宮の正宮には他の神社で神々(御神体)の鎮座する本殿と呼ばれる建物はなく、正殿と呼ばれる建物にアマテラスまたはトヨウケビメがお住まいになられていると言われている。
また拝殿もなく、参拝者は板垣の外から参拝することとなる。
ちなみに鈴と賽銭箱がない。
鈴は戦後広まったものであるし、賽銭箱は私幣禁断の名残であろうがお賽銭を納めるところはあるので有形無実というところかもしれない。
正殿は計五重の垣根が巡らされており、基本的に参拝者はそのうち一重の垣根を越えることしかできず、さらにそこからの写真撮影すら禁じられている。
先の記事(伊勢旅行記参照のこと)に記したが、私は式年遷宮に奉賛することで、もう一つ垣根を越えて参拝させて頂いたが、正殿の姿はとても屋根の上部しか見えなかった。
また、斎宮歴史博物館にて斎宮祭祀の様子を再現した3D映像を見たが、斎宮でさえも最後の垣根を越えていなかったようである。
 その全貌を直接見ることはかなわない正殿であるが、建築様式は「唯一神明造」である。
地面に穴を掘って礎石を置かずに柱を立てる「掘立柱」、屋根は「茅葺の切妻造」、入口は棟に平行につけられた「平入」、そして忘れてはいけないのは「高床式」であることである。
他にも「破風が伸びる千木」、「棟の上に並んだ鰹木」、「棟の両端の棟持柱」、「檜の素木造」などあるが、基本的に簡素で直線的で覆い金物や飾り金具の他に装飾はない。
正殿の原型は弥生時代の高床式穀物倉を原型としていると言われている。 この様式は神宮内のほかの社殿についても同様である。
余談だが、同じように古くからの形を残した社殿形式に大社造があり、その代表的な神社と言えばもちろん出雲大社である。
 この二つの建築形式は日本最古の建築様式で他の神社建築の様式の基礎となったと言われているが、面白い違いもある。
まず、両様式の千木についてであるが、出雲系大社造では先端を垂直に切った「外削ぎ=男神を祀る社」、先端を水平に切った「内削ぎ=女神を祭る社」となっているが、神宮では別宮を含め、皇大神宮は内削ぎ、豊受大神宮は外削ぎとなっている。
 また、心御柱の存在も気になる。 大社造では最も太い中心の柱を心御柱とし、田の字型に九本の柱で建物を支えているが、神宮の心御柱は正殿の中央の御神体の真下にあたる位置に建てられているが、建物には届かず、建築構造上、全く意味がない。 気になるのは神宮ではこの心御柱も御神体としていることだ。
この心御柱について下記にまとめてみた。

心御柱の概略
 皇大神宮儀式帳によれば、内宮外宮の正殿の床下の中心に据えられている柱を「心御柱」と称し,古くから「忌柱」とも称され,神聖視されてきた。
平安時代後期以降「心御柱」と表記し,「天御柱」「天御量柱」とも称され,天地を結ぶ中軸,神宮・国家の永遠性の象徴として神秘的宗教的な意味づけが進められたという(「宝基本紀」「御鎮座本紀」「元元集」に記載)。
その姿は五色のきぬが巻き付けられ,八重榊で飾り立て,まわりには天平瓦が積み重ねられていた(「宝基本紀」「御鎮座伝紀」「貞和御□紀」に記載)。
また、皇大神宮の心御柱はかつて半分以上が上に出ていたが今は地中に埋められ,豊受大神宮の場合は今も半分以上が上に出ている。
応和二年のこととして,心御柱を建てた位置がずれていたことが判明した。 遷宮で新たなに建てられた皇大神宮正殿の心御柱が,以前の古くなった柱穴に建てたにもかかわらず,正しい位置ではなかったこと,また旧殿の心御柱の位置も正しくなかったと明らかになったという。
また、村上天皇時代治世時には近頃は憚り忌むことがあって、多くもとの穴に心柱を建てることを避けているという記載もある(「新儀式」の「伊勢神宮遷宮の事」の条に記載)。
伊勢神宮の祭祀は基本的には庭上祭祀(白石が敷かれた地面の上での祭祀)であり、明治以前は由貴大御饌(特別に用意された神饌を供える祭)を床下の心御柱の前に供した。 古来は心御柱をまず奉献していた。
役目を終えた心御柱は「その旧柱は宮殿のうちで,人が足を踏みいれない清浄な霊地に納め奉り,神がいるかように斎き敬う」(宝基本記に記載)や「古い柱は荒祭宮の前にある谷に,葬送の儀式によって送る。
この谷を地獄谷という。人は知らない秘事である。」(鎌倉時代後期 太神宮両宮之御事に記載)など特別な神事を行う。


 心御柱が他の建築部位と比較していかに特別か分かってもらえただろうか。
 心御柱も御神体であるから、そういうものかもしれない。
ただ、皇大神宮と豊受大神宮では様子が違うこと、それから、以前の心御柱と同じ位置に建てたにも関わらず、正しい位置に建てられていなかったというのは何を意味するのだろうか。
また、役目を終えた心御柱について、神がいるかのように斎き敬うのは御神体であるが故であろうが、古い柱は葬送の儀式によって送るとか、その場所を地獄谷というとかいうのは、何か意味がありそうだ。



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by Allegro-nontroppo | 2013-11-23 19:21 | アマテラスと伊勢
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