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アマテラス及び神宮考⑤ -記紀・人代(景行天皇、倭建命)と神宮-

前回のブログ(アマテラス及び神宮考④ -記紀・人代(持統天皇)と神宮-
)で日本書紀の最後まで辿り着いたが、今回は一旦、前に戻りたいと思う。

 ところで、記紀における最大のヒーローは誰であろう。
 スサノオやオオクニヌシは「ヤマタノオロチ」や「因幡の素兎」などで子供のころから知っている人は多いだろうし、神武天皇は皇室の祖として、聖徳太子は存在しなかったなど新しい説が出るほど、歴史観に影響を与え続けてくれている。
そんな中で、最大のヒーローに必ず挙がってきそうなのが、倭健命である。

 倭健命は景行天皇の皇子である。
 景行天皇治世時はヤマトに従わない地方豪族がいくつもあったようで、倭健命はそれらを従わせるために、あちらこちらに行かされている。
記紀のどちらにおいても、景行紀では倭健命について、かなり紙面を割いているので、ここでは、神宮にかかわりのある点を特に抜き出したい。




概略 
 古事記では、倭健命は兄を殺し、その性状を天皇に恐れられて、蛮族征討の旅にむかうのである。
まず、熊襲を討つために西に向かい、それから東に向かうこととなった。
その際、伊勢に立ち寄っている。
当時、伊勢にはあの倭姫命がいた(詳しくはアマテラス及び神宮考② -記紀・人代(崇神天皇、垂仁天皇)と神宮-参照の事)。
倭姫命は倭健命から見て叔母にあたる。
彼は神宮に参拝し、そこで草薙剣と袋を受け取った。
 そして、各地を制圧していくが、駿河または相模で野火攻めにあってしまう。
その際に袋に入っていた、または自分の所持していた火打石(記紀で記述が違う)でつけた向い火で、逃げ延びた。
日本書紀には異説として、草薙剣で草を薙いだので草薙剣というという一説がある。
 その後も豪族を打ち取り続けるが、近江の伊吹山に向かう際に、剣を置いていってしまう。
伊吹山では山の神が雹を降らせ、倭健命は遭難してしまい、それがもとで伊勢の能褒野でなくなってしまう。
 倭健命没後の景行天皇は倭健命の平定した国を巡幸したいと伊勢から東海道へ向かい東国を回られた。
東国より伊勢にお住みになり、約3ヶ月後に纏向に戻られた。
 倭建命の息子の帯中津日子命は後の仲哀天皇である。


 ここから分かることは、神宮に草薙剣があったということだ。
倭姫命巡幸においてはアマテラスを託したというような記載になっているので、アマテラス自身がどのような状態で伊勢へ移っていったのかはよく分からない。
まさか、アマテラス自身が倭姫命と一緒に伊勢まで行ったということはないだろう。
そこで、気になるのは天孫降臨の際に、アマテラスはニニギに八尺瓊勾玉、草薙剣、そして八咫鏡を授け、「この鏡を私の御魂と思って私を拝むのと同じように敬い、祀りなさい」と指示した一件である。
八咫鏡をアマテラスの御魂と思えと言うのならば、倭姫命巡幸では、八咫鏡を祀りながら進んだと考えるのが妥当であろう。
現に八咫鏡は現在、伊勢に存在している。
 一方、草薙剣は天孫降臨の記述の後からこの景行紀まで記述がないことから考えて、この間のどこかで宮中から伊勢に遷されたと考えられる。
そうなると他に記載がない以上、倭姫命巡幸では草薙剣及び八咫鏡を携えて、伊勢へ巡幸したという結論になる。
 こうなると三種の神器のうち、なぜ八尺瓊勾玉は伊勢に遷らなかったのかという疑問が出てくる。
もちろん、三種の神器のうち、八尺瓊勾玉は後で付け加えられたもので、もともとは草薙剣と八咫鏡のみが神器であったという説は知っている。
しかし、神器についてはその後の天皇家の正当性に関わる部分であるだろうに、何故うまいこと記述しなかったのだろうという点も気になるのだ。

 また、この草薙剣であるが、倭健命が伊吹山に向かう際に置いて行ったことも気になる。初めて置いて行ったと書くからには、それまでは携えて戦いに赴いていたのだろう。
それが、急に置いて行ったとなると何かを暗示しているように思えてならない。
安直に考えれば、倭健命の慢心とその後の悲劇を暗示していると考えればよいのだろうが、何しろ、ものは草薙剣であるから、単純なものと考えられない。

 最後に倭健命没後の景行天皇であるが、彼は伊勢に行っているのに、参拝したという記述がない。
景行天皇の望みは倭健命の平定した国々を見たいということだったが、神宮周辺は既に倭姫命がいるのだから、倭健命以前に平定されていたという考え方もできる。
伊勢国だって、そんなに狭い地域ではないのだからたまたま立ち寄らなかったということだろうか。
しかし、記述を見る限りは伊勢で3ヶ月間暮らしていたようなのに、一度も参拝しなかったのだろうか。
しかも、遥拝したという記述さえない。
持統天皇について考えてみたように(アマテラス及び神宮考④ -記紀・人代(持統天皇)と神宮-参照の事)、伊勢に行ったのだから、参拝するのは当然で、記述する必要はなかったのだろうか。
この件については持統天皇の参拝問題と一緒に考察してみるべきかもしれない。

 以上で、記紀のアマテラスと神宮に関する疑問点を抜き出せたのではないかと思う。
 次回は伊勢地方近辺に鎮座する神社や伝わっている民話などから、神宮周辺の神々について、記紀、風土記、そして民話などから確認してみたいと考えている。
by Allegro-nontroppo | 2013-11-11 00:09 | アマテラスと伊勢
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