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「福岡県世界遺産シンポジウム ―「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群―」

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「福岡県世界遺産シンポジウム ―「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群―」を聴講に東京国立博物館に出かけた.

開会の挨拶は福岡県知事,また関係者席に宗像市長,福津市長がいらっしゃったようなので福岡県を挙げてのイベントであったのだろう.

講師,コーディネーター及びパネリストは以下のとおりである(敬称略).

【基調講演】

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

西谷 正 (海の道むなかた館館長・九州大学名誉教授)

【パネルディスカッション】

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群―世界遺産としての価値について―

・コーディネーター

 佐藤 信 (東京大学大学院教授)

・パネリスト

 西谷 正

 稲葉 信子 (筑波大学大学院教授)

 岡田 保良 (国士舘大学大学院教授)
 金田 章裕 (京都大学名誉教授)

 三輪 嘉六 (前九州国立博物館長)


今回のシンポジウムでは特に東アジアの情勢が沖ノ島祭祀に大きく影響を与えているという部分についての重要性を学ぶことができた.

今回学んだことを含めて,東アジアの情勢について調べて見たことや沖ノ島や宗形君などについての私の知識をここにまとめておく.


沖ノ島祭祀

小規模であったものが大規模になっていく→広い場所へと移っていく

(岩上祭祀の頃はまだ国家祭祀ではなく宗像君による祭祀だったのでは?複数の豪族による祭祀?岩陰祭祀で国家神へと昇格した?とのご意見)

最終段階では大島,田島(下高宮祭祀)も含めた三か所での祭祀になる

沖ノ島と同じような遺物が発見される.


岩上祭祀(4世紀中頃~5世紀中頃)

・永楽10年好太王碑文

・倭の五王・讃,宋との交流

・奉納品は鏡,剣,玉の三種の神器の組み合わせなど(21枚の鏡)


岩陰祭祀(5世紀中頃~7世紀中頃)

・倭の五王・武,宋,南斉,梁との交流

・磐井の乱,新羅との内通

・欽明天皇,百済の王子を九州の豪族に命じて送る

・来目皇子を新羅討伐の将軍とする

・中国大陸,北朝と南朝が統一し,隋・唐が興る→遣唐使,遣隋使

・奉納品は鉄製武器などのミニチュアや金銅製の馬具など


半岩陰・半露天祭祀(7世紀中頃~8世紀前半)

・遣唐使の派遣

・白村江の戦い後,関係修復し新羅との外交→遣新羅使

・奉納品は唐三彩,金銅製龍頭など

露天祭祀(8世紀前半~9世紀末)

・空海が遣唐使として唐に行った際,宗像神社へお礼参り

・第17次遣唐使は宗像神社の僧侶に祈らせた

836年最後の遣新羅使

838年最後の遣唐使

・奉納品は奈良三彩小坪など国内の官営工房で作られたもの(半岩陰・半露天祭祀までは国際性豊か)


新原・奴山古墳

・古墳群から大島やその先をのぞむ

・勝浦古墳群からは画文体神獣鏡,手光古墳群からは穴の開いた祭祀用土器など沖ノ島と同じものが出土している.

・宮地嶽古墳は高市皇子の祖父,宗形徳善の古墳ではないか???


以上.

今回のシンポジウムはもしかしたら,私の興味のあるお話は少ないかもしれないと危惧していたけれども,参加してみると興味のないお話しなど全くない,充実したシンポジウムであった.

遺産群の中では宗像大社辺津宮のみしか訪問したことがないので,沖ノ島は無理としてもいずれ,中津宮や新原・奴山古墳群には行ってみたいと思う.


今回配布された資料の一部は下記から見ることができるようである.

http://www.okinoshima-heritage.jp/pamphlets/


追記

本シンポジウムは211日に開催されたのだが,13:00頃東京国立博物館平成館入口付近には待機列ができていた.

特別展 「始皇帝と大兵馬俑」(本ブログの記事→)目当ての方々だろう.

1223日に鑑賞した際には少なくとも待機列はなかったから,やっぱりあの日,行っておいてよかった.

梅がかなり咲いており美しかった.

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見ごろである.




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by Allegro-nontroppo | 2016-02-14 23:06 | 講演会,シンポジウムなど

「宗像・沖ノ島と関連遺産群」について思う

今年,日本からは「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界遺産として登録された.

また,2017年の世界文化遺産登録を目指す候補として、福岡県の古代遺跡「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が選ばれた.

他に,「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」,「百舌鳥・古市古墳群」及び「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」が2017年審議に向けた推薦候補であったが,2018年審議以降の推薦となった.

公益社団法人 日本ユネスコ協会連盟のHPによれば,

世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物です。現在を生きる世界中の人びとが過去から引継ぎ、未来へと伝えていかなければならない人類共通の遺産です。

世界遺産は、1972年の第17UNESCO総会で採択された世界遺産条約(正式には『世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約』)の中で定義されています。

とのことである.

「世界遺産としての価値が下がるので,そうそう推薦するのもどうか」というような意見も耳にするが,そのような方たちは世界遺産を観光すべき遺産と勘違いされているのかもしれない.

未来へ伝えていくべき遺産が今,登録されている遺産だけだとは私には思えない.


さて,日本の世界遺産については常々,疑問があった.

何故,古いものを推薦しないのだろうという単純なものである.

自然遺産を除けば,最も古い歴史を持つ文化遺産は日本で初めて世界遺産として登録された「法隆寺地域の仏教建造物」である.

飛鳥時代以前の遺跡・遺構はたくさん発見されている.

法隆寺のように建築物として,明確に残っているわけではないが,「古都奈良の文化財」も平城宮遺構が含まれているのである.

「メンフィスとその墓地遺跡 - ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」が登録されているのをみるにつけ,日本の古墳群は未来に残す価値がピラミッド群より下がるのであろうかなどと考えてしまう.

もちろん,大王墓など皇族が被葬者とされる古墳は内部調査不可なので,これが変わらない限りは難しいのだろうかとも考えていた.


そのような中で2017年推薦候補となった4つの遺産群の内,3つが古墳時代以前の遺産群ということで気になっていたのだが,選ばれたのは「宗像・沖ノ島と関連遺産群」ということで,ついに日本の世界遺産の時代上限が更新される日がきたのかと期待している.


沖ノ島は島全体が御神体であり,男性は年一回の上陸(ただし200人程度)が許されるが,女人禁制という神宿る島であり,宗像大社沖津宮が所在していること知られている.

また,4世紀後半から9世紀後半にかけての祭祀遺構・遺物が多数発見されており,これら関連遺物は全て国宝指定されている.

倭国,ヤマト王権そして朝廷が朝鮮半島や中国大陸わたる際の航海の無事を祈り,また日本へ帰ってきたお礼参りのための祭祀と考えられており,中国・朝鮮製品のみならず,ペルシャ・サーサーン朝製と見られるガラス椀の破片までもが出土遺物に含まれる,まさに海の正倉院と称されるにふさわしいし島である.

また構成資産とされている宗像大社,沖津宮・中津宮・辺津宮はそれぞれ宗像三女神,田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神を祀っている.

宗像三女神は記紀・天照大御神と素戔嗚命の誓約によって生まれた神であり,沖ノ島祭祀からも分かるように海上・交通の守り神とされてきた.

このように沖ノ島含む玄界灘や宗像地方を支配し,宗像三女神を祭神とする祭祀を行ったのが宗像海人とも言われる宗像氏である.

構成資産である新原・奴山古墳群は宗像氏関係者が埋葬された推測される.

天武天皇妃の一人,尼子娘は宗像氏であり,当時,天皇に妃を差し出すことのできる力があったと推測できる.

ちなみに尼子娘の産んだ皇子が高市皇子である.


以上が「宗像・沖ノ島と関連遺産群」である.

日本の世界遺産は観光地化されていくことから,基本的に上陸が許されない,上陸しても島内の「一草一木」も持ち帰ることはできない,海上からでも沖ノ島に関して見たことは決してもらしてはいけないという「お言わずさま」の伝統をどのように守っていくのかというのは特に重要な課題となっていくだろう.

しかし,日本の根幹部分が形成された4世紀の遺跡を世界遺産として推薦するという日本の決定を喜びたいと思う.
宗像周辺は世界遺産に登録される前にじっくり廻っておきたいものである.

ちなみに上記内容については宗像大社の史跡案内にコンパクトにまとめられていたので貼っておく.

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by Allegro-nontroppo | 2015-08-09 20:46 | あれやこれ