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飛鳥 ASUKA@新国立劇場オペラパレス

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初めてバレエを生で鑑賞してきた。

60周年記念講演シリーズⅦ 「飛鳥 ASUKA」である.

制作は牧阿佐美バレエ団である.


飛鳥時代を舞台に乙女と猟師の息子、そして竜神や竜たちが絡みあうファンタジーであった.


歴史上の人物や出来事を描いているわけではなかったが、特に祭司や宮司,献舞使の衣装は古代の服装を思い出させるものであったし,五色の布奉納舞は五節の舞姫の舞とはこのようなものではなかろうかと想像させるようなバレエであった.


音楽も雅楽ではないのに,日本の伝統ある音楽のように聞こえるのである.

曲の音階の問題だろうか.


舞台のセットは想像していたほど設置されておらず,その代わりかもしれないが,ステージには巨大なスクリーンが設置されており,場面に合わせて映像が多用されていた.

バレエは他の舞台より踊りが重視されるだろうから,映像が舞台装置がわりになるのは大変都合がよいのだろう.


近年,舞台を見る機会がなく,また今年は「ラ・フォル・ジュルネ」に行くこともできなかったのだが,やはり,舞台や音楽もいいものである.


また,機会があれば,舞台や音楽にも触れていきたい.

補足
当然,新国立劇場オペラパレスは初めてであったのだが,広さより高さに驚いた.
4階で見たのだが,うっかり落ちたら大変なことになってしまうと恐怖を感じるほどであった.
このような施設は西洋にしかないのではと思っていたので,そこについても驚いた.
次回の機会があれば,楽団も見える高さのある場所,そしてもう少しいい席で見たいものである.


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by Allegro-nontroppo | 2016-08-31 22:12 | あれやこれ

コレクション展 はじめての古美術鑑賞―絵画の技法と表現―@根津美術館

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根津美術館にコレクション展 はじめての古美術鑑賞―絵画の技法と表現―を鑑賞しに出かけた.

お盆の時期に開館している美術館は貴重なのでありがたい.

以下感想である.


たらしこみ

墨や絵の具が乾ききらないうちに,より多く水を含んだ墨や絵の具を加えて複雑な滲みをつくりだすのだそうだ.

私の大好きな琳派の特徴となる技術の一つである.

伝俵屋宗達筆の老子図では牛の毛に光が反射して見えるよう「たらしこみ」が使われている.

一方,伝立林何帠筆の木蓮棕櫚芭蕉図屏風や伝喜多川相説筆の四季草花図屏風では木肌を表現したり,同じ葉の繰り返しに複雑さや奥行を加えたりしており,日本絵画には遠近法がなかったというような話も聞いたことがあるが,他の方法で奥行を与えていると知り面白い.


潑墨

筆に墨をたっぷりと含ませ,それをはねちらかすように大胆な筆さばきで一気に形状を表現する技法ということである.

雲渓永怡筆 沢庵宗彭賛,周徳筆,周珍筆のそれぞれの潑墨山水図と狩野常信筆の瀟湘八景図巻を鑑賞することができた.

遠近を表現するために水を多く含んだ墨で遠くの山や崖を,濃墨で木や舟を描いている.

表現技法から考えるととにかく一筆で描くことが肝要で,最初にかなり計算されていなければ描けないのだと思う.

たらしこみは紙の表面に生じるムラで潑墨は紙の繊維にしみ込んだにじみの効果を利用しているのだそうで,紙の上でどのようなことが起こっているのか解説されているのもありがたい.


ぐま

雪や光など白いもの,明るいものを描くときに外側を墨や暗色のぼかしでくま取り形が浮き上がるように表す方法ということである.

赤脚子筆の白衣観音図,仲安真康筆の富嶽図,そして楊柳白鷺図で使われている.

白衣観音図の光背や雲,富嶽図の雪山などは他の絵でも見かけたことがあるが楊柳白鷺図の白鷺はなかなかインパクトがある.


つけ立て

輪郭線を用いず,筆の穂の側面を利用してひと筆で対象を描き,陰影や立体感を表す方法ということである.

長沢蘆雪筆の竹狗児図と松村景文筆の花卉図襖ではそれぞれ竹と花卉につけ立ての技術が使用されている.

筆の紙に対する角度だけでなく,筆のどこにどのくらいの量の墨や絵の具をつけるかを計算しなければならないとなるとこちらも計算が必要な技術であろう.

竹狗児図の子犬が可愛らしかった.


金雲

箔を貼って雲や霞をかたどったもので,場面の区切りや省略のために用いるが装飾的な効果も高いということである.

洛中洛外図屏風のような絵を見ていつも感心してしまうのだが,雲があることで高みから見下ろすように感じられることと雲による画面の切り替えができるということが両立しており,しかも不自然でないことが素晴らしいと思う.狩野探幽筆の両帝図屏風でも素晴らしい皇帝を盛り立てるように金雲が使われているようで,そのようなパターンもあるのかと面白い.


白描

墨の線のみで描いた絵で水墨画にみられるような滲みやぼかしなどは用いない.密教図像,あるいは絵巻などにも用いられたという.

経典や口伝に説かれる諸尊の像形式や曼荼羅の図様を伝えるために密教では白描がもっぱら使われたということである.

仏像画などでよく見かけるが書きかけなのだろうかという,しょうもない疑問が解けた.

毘沙門天図像と大元帥明王・四天王図像をそのような視点で見てみると,確かに分かりやすいように思う.

ただし,金光明経巻第四断簡(目無経)は後白河法皇崩御により中止になった物語絵巻の下絵を料紙として用いているそうで,白描の理由もいろいろのようである.

鳥獣戯画断簡(模本)も鑑賞することができたのが,高山寺の僧が描いたという説が本当ならば,密教の図像にも詳しい僧なのかもしれない.


截金

金箔や銀箔を細い線や三角・四角・菱形などに切って絵画や彫刻に貼り付ける技法で仏の着衣や背景の文様,光線などの表現に用いられるということである.

阿弥陀三尊来迎図,善導大師像,愛染曼荼羅,大威徳明王像,そして不動明王立像に截金の技術が用いられているようである.

善導大師像では善導大師には下半身が光り輝いたという伝説があるらしく,下半身に截金が用いられている.

また,阿弥陀三尊来迎図では背景光背や光芒に光り輝く截金を使い,阿弥陀三尊の体には光が穏やかな金泥を使い,光の加減を調整されているのが面白い.

また,仏像の着衣にも使用されているそうである.


裏箔

絵絹の裏側から金箔や銀箔を貼り付け,絹目を通すことで,金銀の強い輝きを抑える方法ということである.

興福寺南円堂曼荼羅では肉身を金泥で塗り,着衣や宝冠などは裏箔で光り輝かせ表から墨線でかたどっているということである.

藤原鎌足像は多武峰曼荼羅ということでこちらも背面全体に裏箔がつかわれているようである.

裏箔については一体,絵の裏側がどうなっているのか気になって仕方ない.


繧繝彩色

色の濃淡をぼかしの方法でなく,明るい色から次第に同系の暗い色を帯状に並べることによって表現する技法ということである.

愛染明王像,壬生寺地蔵菩薩像,そして求聞持虚空蔵菩薩・明星天子像が展示されていた.

どれも連弁に繧繝彩色が用いられている.

実物を見ても帯状になっている様子はよく見えなかったがチラシを見るとその様子がよくわかる.

次に見る機会があれば詳しく見てみたい.


以上.

いろいろな日本画の技術を学ぶことができて,今後の美術館ライフが充実しそうで嬉しい.

ただ,裏箔は初見で技術を見分ける自信はないというのが感想である.


補足

根津美術館の庭園には4つの茶室があるが,この茶室は月1回,一棟ずつ一般公開されているそうなのだが,たまたま,その日にあたったので,弘仁亭・無事庵を拝観してきた.

思ったよりも広くて,またやかんなどもたくさん並んでおり,驚いた.

とはいえ,茶室から眺める庭園は美しく,春や秋になればさらに季節を楽しみながら茶をたしなむことができるのだろうと思った.

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by Allegro-nontroppo | 2016-08-28 22:45 | 博物館

古代史Day 壬申の乱と継体天皇

クラブツーリズムの古代史Dayの2講座に参加してきた.

以下,感想である.


古代史史上未曾有の内乱「壬申の乱」を知る

講師:玉城妙子氏


近江には百済の高官が多数住んでおり,大友皇子の養育係も百済の高官であったことから,大海人皇子が百済の影響を恐れて,壬申の乱を起こすに至ったのではないかという説は,一つ理由として面白いと思った.

大海人皇子一行が吉野を出立する2日前に村国連男依・和珥部臣君手・身毛君広ら3人を先達としたという部分に注目され,米や馬の準備や「伊賀の中山」に集結するよう豪族たちを集めたりという準備をすすめたのがこの3人ではなかったかというのも面白かった.

実際の吉野からの脱出~壬申の乱までのルートについては,今の定説とは少し違ったルートを想定しているとのことであったが,画面表示の地図が小さくよく分からなかった.


大和政権の命脈を保った継体天皇の足跡を追う

講師:来村多加史氏

継体天皇についてはいろいろ議論のあることは知っていたが,実際に詳しく読む機会はなかったので,勉強になった.

継体天皇について読むべき文書は「上宮記逸文継体記」(釈日本紀),古事記,日本書紀である.

上宮記は記紀で省略されている継体天皇の出自が記載されている.

日本書紀は上宮記,古事記と比べて継体天皇についての文章が長いが,史記や漢書からの引用や八人の妃についての説明が長い.

古事記は日本書紀を簡略化したような内容である.

継体天皇陵と手白香皇女の陵は今城塚古墳と西山塚古墳(同形式の埴輪が出土)という説が妥当という話が面白かった.

また,辛亥の変論争も興味深く,やはり継体天皇はいろいろ考えるべきことが多いと思った.

来村多加史氏については著書や記事なども読ませていただいており,実際の講演会にも参加できて本当に嬉しかった.

お話も非常に面白く,分かりやすくためになったのでもし,機会があればまた参加したい.


クラブツーリズムは古代史に関して面白そうなツアーや講演会を開催しているようなので今後も注目したい.


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by Allegro-nontroppo | 2016-08-24 21:45 | 講演会,シンポジウムなど

特別展 高麗郡 一三〇〇年~物と語り~@埼玉県立歴史と民俗の博物館

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特別展 高麗郡 一三〇〇年~物と語り~を鑑賞に埼玉県立歴史と民俗の博物館へ出かけた.
以下概要.


プロローグ 高麗郡ヲ置ク

続日本紀 巻7(井上家文書)
駿河,甲斐,相模,上総,下総,常陸,下野の東国七か国の高麗人一七九九人を武蔵国に移し,新たに高麗郡を置いたという記述部分である.

当時,東国にそんなにも高麗人がいたのかと驚かされる.


物~もの~

第一章 高句麗―高麗人―のふるさと

高句麗広開土王碑墨本(模刻本)Ⅰ面

広開土王碑を木版に模刻して刷ったものだという.

拓本以外にも碑文をとる方法があるとは勉強になる.

碑文の内容自体については,もっと解明されるよう,今後の研究に期待したい.


模写 梅山里四神塚「玄室東壁」

梅山里狩塚の東壁には日像と青龍などが描かれている.

玄室の四神図ということで,高松塚古墳やキトラ古墳壁画を思い出すが,中国大陸だけではなく朝鮮半島の影響を受けているのだろうなと思わせられる.


第二章 東国の渡来文化

牛塚古墳 金銅製指輪

銅板を曲げて円環をつくり,薄い金板で覆った指輪ということである.

その様子がはっきり見て取れるのが面白い.


那須国造碑拓本

那須国造碑は簡単に説明すると墓碑の一つで日本三大古碑の一つであるという.

北魏風の書風であることや唐や新羅の年号を使用していることから,新羅人の関与が示唆されているという.


多胡碑拓本

多胡碑も日本三代古碑の一つだそうだ.

「多胡=多くの故人」,「韓級」という郷名,文中に存在する渡来系氏族とされる「羊」など朝鮮半島の影響があるそうだ.

日本三代古碑のうち那須国造碑と多胡碑の二つが大陸の影響を色濃く残すということを考えると,碑に対しては当時の日本は後進国であったのだろうか.


第三章 古代高麗郡の景観―寺院・集落・産業―

寺院

古代高麗郡には女影廃寺,大寺廃寺,そして高岡廃寺と3つの寺院が存在し,後者2寺院は本格的な建物であったことが確認できているようだ.

大寺廃寺跡からは平城宮系の瓦,高岡廃寺からは円面硯や灰釉陶器,緑釉陶器などが発掘されているそうで,平城京から遠く離れた地といえども,かなり先進的な地であったのではないだろうか.


集落

堂ノ根遺跡からは常陸国新治産の須恵器が発見されており,続日本紀に記されているように常陸国からの高麗人の移住を示す資料ということで面白い.

捨石・王神遺跡からは官人の存在を思わせる遺物,そして光山遺跡群を含めて掘立柱建物跡も存在しているそうである.


産業

東八木窯跡,高岡窯跡など須恵器や瓦の生産が行われていたようである.


第四章 高倉福信―高麗郡出身の官人―

続日本紀 巻四〇(井上家文書)

高倉福信は高句麗で活躍した軍人を祖父に,長屋王に仕えた学者を叔父にもった地方出身者であったが,中央の要職についた人物で当時の皇太子の孝謙天皇や光明皇太后と交流をもった人物であったそうである.

上記のような内容が続日本紀に記されているそうである.


法隆寺献物帳(狩谷棭斎 模刻

孝謙天皇が父親の聖武天皇所縁の品々を法隆寺に献納した際の目録ということである.

聖武天皇の遺品は光明皇后が東大寺に献納し,それが正倉院の根幹をなす宝物となったはずで,かなりの品々が納められたはずだが,それ以外にも法隆寺に献納されていたとは,当時の天皇とはどれだけものすごいのだろう.

ここに福信の自署が藤原仲麻呂や藤原永手と並んで記されているのはすごい.


群書類従 一二二巻 文筆部「懐風藻」

福信の叔父肖奈王行文は懐風藻にも記載されているということである.

また,改めて確認してみたい.


語り~かたり~

第一章 高麗郡の始祖―高麗若光―

日本書紀 天智天皇五年にやってきた高句麗の使者の中に二位玄武若光という人物が記されており,母国が滅亡してしまったことにより,後に高麗若光として日本に留まることになったと考えられているそうだ.

続日本紀では王姓を与えられたことが記されているそうである.

藤原宮跡東面大垣地区では西暦七〇〇年前後の木簡が発掘されているがその中に「若光」と記されているものも発見されている.

また,箱根山縁起井序,相模国鶏足山高麗時略縁起,新編相模国風土記には相模国大磯の高麗山に「高麗和光大神」が勧請されたことなど高麗寺や高麗権現社に関する記事があり,高句麗や高麗郡との関係を考えさせられる.

さらに,高麗郡内の白鬚神社の御祭神白髭明神は高麗若光と同体とされているそうで,神として今なお祀られているようである.


第二章 高麗神社と高麗山聖天院の宝物

日本の古い寺社では神仏習合の影響がみられることが多く,高麗神社の宝物として大般若経などが見られることは納得できることである.

その一方で,聖護院門跡御教書(金襴袈裟免許状)や熊野三山若王子奉書(院号免許状),そして大宮御宝印など修験道を示唆する宝物が残されているのは不思議なことである.

これについて,聞いてみたいとは思ったものの,質問するチャンスがなく残念である.


第三章 記憶の浮上―高麗神社を中心にー

明治期の神仏分離令により,当時の修験道は大打撃を受けたように大宮寺別当も復飾を願い出て神官として勤めることになったそうである.

その他,高麗神社を訪れた人々として,歴代総理大臣ほか,太宰治,坂口安吾などが紹介されていた.


以上.

高麗郡を対象にした特別展というのは珍しく,また今年は渡来人に興味を持っていたこともあって,非常に面白かった.

古代朝鮮や渡来人となると任那や百済が話題となることが多い中,高句麗を対象にした本展は非常に勉強になった.

機会があれば高麗郡周辺や高麗神社にも行ってみたい.


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by Allegro-nontroppo | 2016-08-21 21:03 | 博物館

かんだい明日香まほろば講座「国際都市飛鳥と渡来文化」@有楽町朝日ホール

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第24回 かんだい明日香まほろば講座に参加した.
テーマは「国際都市飛鳥と渡来文化」である.

渡来人や渡来文化についてはあまり知識がないため,ひたすら知識を自分にため込むための講座となった.
今回は理解が追い付かず,ポイントをまとめようがなかったので概要を記しようがない.

ただ,面白かったのは檜隈地域は東漢氏の本拠地であり,そこから韓国の暖房であるオンドルのような遺跡や格子状のタタキの入った新羅系土器,百済の影響を受けた檜隈寺講堂跡,そして北魏様式の飛天など国際色豊かな遺物が出土していることである.
東漢氏や西文氏がいつ頃渡来してきたかというようなパネルディスカッションも面白かった.

渡来人についは,数か月程前から知識が足りないと思っていたので,頂いた分厚い資料から勉強を始めてみたい.

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by Allegro-nontroppo | 2016-08-17 23:36 | 講演会,シンポジウムなど

第28年度第2回企画展 ようこそ地獄,楽しい地獄@国立公文書館

国立公文書館に出かけた.

28年度第2回企画展 ようこそ地獄,楽しい地獄を見に行くためである.

終戦の日にふさわしい展示を見てきたので,他より先にこちらの記事を記したい.


Ⅰ.地獄行きの罪

宇治拾遺物語(成立:鎌倉時代前期)

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歌人の藤原敏行が地獄に堕ちたという話があるという.

魚を食べるなどの不浄の身で法華経を書写したという罪で地獄に堕ちたのだが,金光明経を書写することを誓い,現世に戻ったが,色好みであったことや,日々を無為に過ごしたために再び地獄に堕ちてしまったということである.

ここに書かれているような生活は当時の貴族たちは当たり前の生活だったように思うが、あえて藤原敏行が地獄に堕ちたとされたのか,他に理由があるように勘ぐってしまう.


続古事談(成立:1219年頃か)

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孝謙天皇が西大寺の建立を命じた際,藤原永手が五層の塔を三層に縮めてしまい,その罪によって熱く焼けた銅の柱を抱かされる報いを受けたと書かれているという.

藤原永手に関して,あまり内容がいいといえない話を書くことができる時代であったのだろう.


宝物集(成立:1179年頃か)

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宝物集では醍醐天皇までもが地獄に堕ちたとされているということである.

罪は父の醍醐天皇のいいつけに背き,菅原道真を無実の罪で左遷したためということである.

それならば藤原時平はどうなのだろうと思わずにはいられない.

藤原氏に対して,そのようなことが書けない時代となってしまったのだろうか.

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また,紫式部についても虚言を用いて源氏物語を執筆した罪のために地獄に堕ちたとされているらしい.

紫式部の地獄行き話の大本はこの本なのだろうか.


源氏供養表白

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中世には紫式部や源氏物語の読者を供養する文化が生まれた.

そこで使用された表白文では巻名が順を追って登場するのだが,これは表白文に合わせて源氏物語を火にくべたためらしい.


Ⅱ.地獄は何処に

小袖曽我(成立未詳)

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悪行を繰り返す兄弟とその罪を償おうとする母親の話が引用されているということである.

場面は地獄に堕ちようとする兄弟の髪を引っ張って救おうとする母親の姿である.


Ⅲ.地獄の責め苦

三教指帰(成立:797年)

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三教指帰には地獄の恐ろしい様子が記されているということで,仏教または密教の布教にもこのような罰の様子が必要だったのかと空海の苦労を考えてしまう.


本朝文粋(成立:9891066年)

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本朝文粋によれば,源融も地獄に堕ちてしまったようである.

現世で殺生を行ったためというが,死を厭う貴族が本当に殺生などするだろうか.

源融といえば平安時代の憧れの貴族の一人という認識であったので不思議に思ってしまう.


金葉和歌集(成立:11261127年)

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和泉式部が地獄絵を見て詠んだ歌がとられている.

詠んだ内容は現代人にも通じるところがあって面白い.


Ⅳ.冥官と極卒

江談抄(成立:11041108年)

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小野篁が閻魔王に仕える冥官であったという逸話とともに,大江匡房が小野篁と似た星回りだったために冥官であると勘違いされたという逸話もあるということである.

当時は星回りも重要視されていたのだろう.

今昔物語集(成立:1120年以降)

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小野篁が藤原良相を地獄の冥官として助けたという有名な逸話が記載されている.

藤原良相といえば藤原良房の弟ということと,この小野篁との逸話くらいしかよく知らないが,

あの時代の藤原北家の人間ということで,いろいろ調べてみたい人物でもある.


古今和歌集

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平家物語(成立:鎌倉時代)

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平家物語では平時子が平清盛を迎えに来る地獄の極卒たちの夢を見た後,清盛が亡くなってしまうという逸話があり,これは清盛が東大寺を焼き討ちし,大仏殿を焼亡させた報いという.

先の藤原敏行などと比べると仕方ないなあという感想を持ってしまう.

未来記(成立:未詳)

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牛若丸と出会った鞍馬天狗が,平清盛が南都焼討の報いによって熱病に苦しむ未来を演じて見せたという場面ということである.


Ⅵ.六道輪廻―三悪道の世界

源平盛衰記(成立:未詳)

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平家一門滅亡後の建礼門院が後白河院と六道輪廻の苦しみを語るという場面である.

平家一門の没落,一門の人々や我が子との別れ,都落ちから源氏との戦いが続くという人生が六道輪廻に例えられているという.

しかし,後白河院は平家一門と親しいイメージはないのだが,実際は違ったのだろうか.


難福図(成立:1768年)

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この世の地獄と極楽を描くよう円山応挙に依頼したという.

今回の展示は明治時代に原本を模して出版されたものということである.

円山応挙は植物を描いているイメージが強かったので意外な作品に思えた.

福岡県下水害之図

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18897月に筑後川が氾濫し,多数の犠牲者が出た水害の図ということである.

私は福岡出身だが,筑後川の氾濫に関しては毎年,道徳などの授業で取り上げられていたという記憶がある.

まさに地獄であっただろう.


さいごにーたのしい地獄

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可愛らしい閻魔大王たちが描かれていた.

暁斎画談

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人間が賢くなって極楽に行ってしまうため,地獄はいつも不景気であったということであった.

そのため,閻魔大王ほか地獄の王や役人たちは極楽で就職活動をし,鬼たちは角を切り取って売ろうとしているという.

日本で漫画文化が盛んになった理由がよくわかる.


視聴草

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盗みを働いた罪人を曳くための鉄の臼は贅沢なので石を臼がわりにつかうように,剣山地獄は剣でなく竹で間に合わせるようにというようなことが書かれており,コミカルで面白い.


さて,「ようこそ地獄,たのしい地獄」が開催中であったが,終戦の詔書原本が同時展示されていた.

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修正跡がはっきり残っているのに驚いた.

清書する時間もないとはどのような状況であったのだろうか.

いろいろ考えさせられる.


国立公文書館は初めてであったが,なかなか楽しめた.

これで無料とはお得である.

次の企画展も確認してまた訪れたいと思う.


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by Allegro-nontroppo | 2016-08-15 00:17 | 博物館

発掘された日本列島 2016

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前回の記事で遺跡発表会に絡めて「発掘された日本列島2016」についても,かなりの部分を記したが,発表会に絡められなかった展示物についても記しておきたい.

なお,当日は先日の遺跡発表会でも講演されていた,文化庁文化財部記念物課埋蔵文化財部門 文部科学技官の川畑 純氏による展示解説を聞くことができ,勉強になった.

以下,概略.


北中島西原遺跡

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たくさんの接合資料が発見されたという.

接合資料とは組み合わせることのできる石片のことで,一つの原石からどのように石器を作っていったのか確認できるということで貴重ということである.


星ヶ塔黒曜石原産地遺跡

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縄文時代の黒曜石の採掘遺跡ということである.

この採掘跡は現在でも埋まりきらずに大きな窪地のままとなっているということである.


館崎遺跡

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上記,星ヶ塔黒曜石産地遺跡は長野県に位置しているが,ここから採掘された黒曜石が北海道に位置している,この館崎遺跡で発見されたということで,直線距離620kmを移動したということになる.

縄文時代と考えるとものすごい移動距離である.

他にも巨大な岩偶が発掘されている.


六反田南遺跡

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まず,入ると装飾的な土器がたくさん並んでいて,圧巻である.

この遺跡は居住域と廃棄域を分けるための石列が出たというのが面白い.


松帆銅鐸

昨年大きなニュースになった銅鐸である.

淡路島の石材製造業者の砂山から発見された銅鐸なのだが,入れ子状態で発見され,さらに舌とつり手に紐が残っていたという.

この松帆銅鐸は古い形式の銅鐸であるらしい.
が,今回,実物の展示はなかった.

銅鐸研究に大きく寄与する発見であることは間違いない.

いずれ,実物を見てみたいものである.

恒川遺跡群

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古代の官衙的性格をもつ遺跡であるが,ここから和同開珎が発見されている.
何が,珍しいかというと,この和同開珎は銀銭なのである.
銅銭とどういうふうに使い分けていたのか気になるところである.

上渋佐原田遺跡

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円面硯が発掘されている.

円面硯は何人かで同時に使えるよう円形になっていると考えられているらしい.


横野山王原遺跡

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この遺跡は富士山の1707年の宝永大噴火で火山灰が堆積した遺跡である.

ここでは土地を再利用するため,溝を掘り,土壌の表層と深層を入れ替える天地返しを行っている.

深さ60cmもの天地返しを行っており,多大な労力を使っているだろうことが分かる.


以上である.

発掘された日本列島展は毎年,本当に楽しませていただいている.

また,来年も期待したい.


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by Allegro-nontroppo | 2016-08-10 01:30 | 博物館

遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2016」@江戸東京博物館

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遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2016」 に出かけた.
発表された遺跡は「発掘された日本列島2016」で取り上げられている遺跡であった.
後日,「発掘された日本列島2016」に出かけたので感想も交えつつ,概略を記す.


河原口坊中遺跡(相模川左岸)

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弥生時代河遺跡(深さ最大5m

→しがらみ状遺跡…編まれている

・弥生時代後期と推定

・縦材等間隔

・横材60cm近く

・袋状につくられている部分がある…魚猟施設


弥生時代中期…竪穴式住居,方形周溝墓

しがらみ状遺跡より古い…大型槽,木製鍬,農具,掘立柱建物の柱材,一木ばしご,櫂状木製品,杵と臼,紡織具(機織具),朱漆塗りの木製品

卜骨(複数点),鹿角製剣把,柄付き環状石器,小銅鐸,鉄斧

現在でも使用されている魚猟施設とよく似ているというところが,当時の技術力を全く馬鹿にできないと感じさせられる.
実際に使用された卜骨も発掘されていることから,後の邪馬台国につながってくような文化力が関東にもあったことが面白い.


有馬条里遺跡

古代条里制が残っている地域

榛名山 二つ岳の噴火

6世紀初…降下火山灰,火砕流,泥流

  ↓2030

6世紀中葉…降下軽石,泥流


6世紀噴火直前

溝…畑が展開(その前は竪穴式住居)

6世紀中葉の噴火直前

水田は小さな区画 淡水面を狭くする 傾斜地

高い部分に水路…噴火で埋まったが2030年以内に復興

6世紀中葉に堆積した泥流上面

竪穴式住居,集落域として復興


噴火からの復興遺跡…前橋市総社北川遺跡,千足遺跡,高崎市下芝天神遺跡,金井下新田遺跡,金井東裏遺跡


地域豪族の地域開発の真っ最中…豪族手動での復旧作業

古代の人々も自然災害から復興してきたということが,連綿と続く人の営みを感じさせてくれる.
どのように土地利用をしていくのか試行錯誤している様子は東日本大震災後の土地利用を模索する現代日本人と同じであるように感じる.

神屋遺跡(常陸国信太郡小野郷)

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奈良・平安時代

竪穴式住居74

土玉637点…全体の9割 13cm 30g以下:小型の魚の刺し網漁

管状土錘…全体の1割 51cm 50g前後:コイ・フナの引き網漁


紡錘車

8C前葉 13車 3

↓建物少なく紡錘車が出ない

9C中葉 21車 7個 糸を紡ぐのが盛んになる

後葉 17車 8

元々は赤く塗られており、「大刀自」とヘラ書きされているものが発見される→女性の有力者がいた

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大型円形土坑

→火のし(古代のアイロン,長さ27cmくらい),緑釉土器など:祭祀埋納(10世紀前葉)

火のしのX線調査

最初は2つの鋲でとめていたが改良し3つの鋲へ

木製の取っ手(少し木が残る)

その他…墨書土器,施釉陶器,人面土器(災いから逃れるため埋める:祭祀)


・漁労中心

・糸や布による生産・経済活動

・信太郡太野郷→正倉院,中家郷→法隆寺:調庸

・緑釉陶器をもてる,読み書きできる有力者,大刀自のような有力者:経済的に有利

X線調査から火のしが改良されたことまで分かるとは科学技術とはすばらしい.
糸や布の生産活動が盛んな地らしく,火のしを祭祀埋納しているというのが面白い.


発掘された日本列島みどころ解説
乙訓古墳群 古墳時代前期~終末期

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400年にわたって古墳が築造された

古墳が築造された場所が少しずつ移動・大王墓の地域移動とリンク,影響を受けている
水鳥の埴輪の表情が可愛らしい


中山瓦窯跡 奈良時代

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平城京(大極殿)に瓦を供給していた

最古の鬼瓦…奈良時代初期は鬼の全身であった


中津居館跡 南北朝

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45万枚の銭(45百万円分):百文を一束(97枚ずつ…手数料が引かれている)

大量の輸入銭を納めた備前焼壺


伏見城跡(指月城) 安土桃山~江戸時代初頭

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多数の金箔瓦

→赤い漆を塗って金箔を貼っていた…漆のみ残っている


大萱古窯跡群 安土桃山~江戸時代

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国宝「卯花墻」が作られた窯元

瀬戸黒,黄瀬戸,志野:窯道具,窯の構造変化など


旗本花房家屋敷跡遺跡 江戸時代

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「地下室」信楽焼壺に黒色火薬

花房家:鉄砲に関する役職:火消しをしていない時は鉄砲の練習をしていた

→火薬を身近に置いていた(湿気の多い地下室で安全に保管した)


徳川幕府安定・1686年花房家は落ち度により逼塞・小普請に降格…しばらくの間無役でいた,火薬をしまったままになった

幕末に需要が増えても忘れたままになっていた(掘り出した痕跡がない)


石峠Ⅱ遺跡 縄文時代早期~中期

特殊な複式炉(実際の機能は分からない)


高橋遺跡 縄文時代

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男性土偶の発見


横野山王原遺跡

「天地返し」の痕跡

畑の復興…かなり深く掘り込んでいる


多賀城

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日本三代実録:朝廷による復興→京から官人が送られる

新羅人瓦工の派遣

地震の直前→博多で瓦職人がつかまる…多賀城に送った

→文献とあう発掘成果


「発掘された日本列島2016」は発掘速報の意味もあるというのはあるが,知らない遺跡や遺物が多く,なるほどと思うばかりである.
一番気になったのは,男性土偶である.
土偶は女性ばかりという常識があったので,本当に珍しいものを見ることができてよかった.

次回も「発掘された日本列島2016」の感想を取り上げたい.


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by Allegro-nontroppo | 2016-08-07 21:38 | 講演会,シンポジウムなど

大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで@江戸東京博物館

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大妖怪展に出かけた.

同日に江戸東京博物館で開催されていた「発掘された日本列島2016」が一番の目的ではあったが,1日お休みをもらえたので,こちらも見ておこうと思ったのだ.

平日であったにも関わらず,結構な人出で,土日や夏休み(行ったのは夏休み前だったのだ)はどうなるのだろうと思った.

以下、感想である.


1章 江戸の妖怪,大行進!

天狗図 葛飾北斎

落ちる紅葉を拾おうとする天狗のスピード感もすごいのだが,バックの蜘蛛の巣のリアルさに驚いた.


妖怪図 高井鴻山

顔や体がどうなっているのか,よくわからなかったが妖怪とはそんなものかもしれない.


妖怪図 高井鴻山

愛らしい表情をした妖怪たちで先の高井鴻山の作品と趣が少し違っているように見える.

家の窓からのぞくネコのような顔もかわいい.


付喪神図 伊藤若冲

雰囲気のある妖怪たちだが,表情は楽しそうである.

某妖怪アニメの主題歌にある「夜は墓場で運動会!」とはこんな感じだろうか.


稲生物怪録絵巻

この絵巻の主題である稲生平太郎の話はどこかの博物館で同主題の作品を見たことがあるように思う.

絵にしやすい主題であったのだろう.


化物婚礼絵巻 岡義訓

化物の婚礼の過程を描いたものだが駕籠や長櫃にも目がある.

そうなるとこの駕籠や長櫃も結婚するのだろうかと化物の世界にも考えさせられる.


針聞書 茨木元行

人間の病のもとになるとされた妖怪たちをまとめたものである.

祟りによって病になるという考えと共通しており,非常に興味深い.


海坊主 歌川芳延

のっぺらぼうの海坊主はどこか影のようで印象深かった.


竜宮玉取姫之図 歌川国芳

大織冠図屏風

どちらも藤原鎌足のために龍玉を取り戻そうとする海女を描いたものである.

藤原鎌足のどのようなイメージからこの物語が生まれたのか気になる.


画図百鬼夜行 鳥山石燕

百鬼夜行図といえば鳥山石燕である.

一度,最初から最後まで通して見てみたい.


2章 中世にうごめく妖怪

土蜘蛛草紙絵巻 小田切直

雑誌やネット上で土蜘蛛退治の絵などは見るが,実際に作品としてみるとまた迫力がある.


3章 妖怪の源流 地獄・もののけ

辟邪絵 神虫

悪鬼を退ける善神とのことであるが,おどろおどろしく迫力がある.

神虫のような異形のものたちが妖怪へと発展していったのもうなずける.


ミミズク土偶

遮光器土偶

遮光器土偶

土偶

今回の一番のお目当て,土偶である.

ミミズク土偶については今回初めて見ることができた.

人の形にかなりの飾りが取り付けられているように思える.

神や巫女などを表しているのだろうか.

遮光器土偶については進化の過程を見ることができてよかった.


4章 妖怪転生 現代の妖怪

妖怪ウォッチ

妖怪ウォッチについてはよく知らないのだが,日常生活の異変を妖怪のせいにするというのは今も昔も共通しているというところは面白いと思った.

民俗学的な部分を期待していたのだが,そういいう部分はなく妖怪絵画の展覧会であったように思う.

それはそれとして,当時の人々の妖怪への認識を垣間見ることができて面白かった.
展示数も非常に多く,感想を書けなかった作品もたくさんあった.
充実した展示会であった.


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by Allegro-nontroppo | 2016-08-03 22:57 | 博物館