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ほとけの教え、とこしえに。―仏教絵画名品展―@根津美術館

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ほとけの教え、とこしえに。―仏教絵画名品展―を鑑賞に根津美術館に出かけた.

先日の三連休,二日目である.

実は三連休の一日目についても書きたいと思っているのだが,二日目を先に書くのはこの名品展についてはメモを作っていたので時間をかけずにブログにできたためである.

今週は先週よりゆっくりできそうなので,一日目について記事にする時間もありそうである.

言い訳はここまでにして,本名品展の概要を記す.


絵過去現在因果経 良盛筆/住吉慶忍・聖衆丸画

全体的には釈迦の前世と現世の物語を描いた絵巻で,展示部分は釈迦が白馬に乗って出家する場面であった.

可愛らしい釈迦等の姿が印象的であった.


釈迦三尊十六善神像

十六善神は般若経を守護する神ということで,大般若経を持ち帰るために天竺まで向かった玄奘三蔵を深沙大将が助けたという逸話から,深沙大将も一緒に描かれているのが興味深かった.


当麻曼荼羅

当麻曼荼羅縁起絵巻 模本 冷泉為恭筆

奈良県の当麻寺の御本尊は中将姫という女性が蓮の糸を用い,一夜で織り上げたという当麻曼荼羅であるそうだ.

当麻曼荼羅は曼荼羅という名ではあるものの,極楽浄土の様子を描いたものであった.

ただ,当麻曼荼羅縁起絵巻の内容は当麻寺の御本尊についてとは異なる内容であったのが疑問に思った.


阿弥陀三尊来迎図

阿弥陀三尊来迎図には正面から描かれた姿と向かって左上から降りてくるような姿の二種類があるそうで,並べて展示されることで見比べることができた.


山越阿弥陀図

来迎図の一種で山の向こうから阿弥陀如来がやってくる様子を描いたものということである.

このような形式の来迎図があるのだと知っていなければ,来迎図だとはとても思えない.


兜率天曼荼羅

未来に如来になることが約束された弥勒菩薩が兜率天に住まう様子を表しており,堂のなかに坐す弥勒菩薩を菩薩たちがとり囲み,その体や上階に置かれた宝珠が金色の光を放っているということである.

兜率天というところは今までうまく想像できず,もっと地獄に近いところかと思っていたが,驚くほど美しく描かれていた.

緑や青の彩色に精緻な截金文様と呼ばれる文様が素晴らしい.


法相曼荼羅

法相宗の教えがどのような高僧たちによって伝えられたかを表しているという.

描かれた高僧のうちの一人,玄昉には興味があるのでしっかり観させていただいた.


大日如来像

美麗な大日如来像であるなというのがこの図の印象である.

日本人の美意識を刺激する何かがあるのだろう.


両界曼荼羅

絵で仏教について分かりやすく表している代表といえば,やはり両界曼荼羅ではないかと思う.

いずれ,曼荼羅図の絵解きを学びたいと思いつつ,未だ叶っていないので今年こそと思う.


春日宮曼荼羅

本地垂迹を表す例として展示されていた.

この曼荼羅を見ていて不思議に思ったのは,「御神体である御笠山」,「春日大社の本殿」,「参道」が一直線に並んでいないということである.

特に本殿が御笠山方向に向いてないということは,参拝者は御神体とは別方向を向いて参拝していることになる.

昨年,春日大社で特別参拝させて頂いた際,御笠山参拝所が別に設けられていることは判明したが,そもそも本殿の方向が御笠山を向いていれば,設ける必要はないはずである.

藤原氏の関わる神社であるから一筋縄ではいかないと思うが,理由は考えていきたい.


以上.

三連休の割にいつもの根津美術館ほど人が多くないように感じたのは,あくまでも名品展で展覧会ではなかったためだろうか.

しかし,よいものをじっくり見ることができたのはラッキーであった.

庭園の池には燕子花の葉が頭を出していた.
桜が終われば,燕子花の季節である.


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by Allegro-nontroppo | 2016-03-28 00:39 | 博物館

山王塚古墳・発掘調査見学会

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少し前のことになるが,312日に川越市教育委員会による山王塚古墳の発掘調査見学会に出かけた.

山王塚古墳は非常に珍しい上円下方墳である.

午前中の見学会には何とか都合をつけられたので出かけることにしたのである.


山王塚古墳概要

南大塚古墳群(大袋新田支群,豊田本支群,大塚支群,豊田町支群)のうち最終段階と考えられる大塚支群に属する.

南大塚古墳群は5世紀前葉から7世紀代に造られ,小規模な前方後円墳と多くの小円墳から成っている.

形状:上円下方墳(上円径;35m, 下方一辺:約63m)

築造時期:7世紀後半(終末期古墳)と推定

7世紀頃の周辺地域:

716年に高麗郡の建郡(中央の地方経営政策の一環,渡来人の移住)

・南北に貫く古代の官道・東山道武蔵路(山王塚古墳の西方)

7世紀後半創建・勝呂廃寺(坂戸市)


・最初の上円下方墳がいつ,どこに造られたのか分かっていない.関西では石のカラト古墳のみ.

・国指定史跡を目指すため,詳細な石室の調査については指定が取れてからとなる(古墳盛土の形状が重要となるため)


上円部 版築の跡

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下方部 盛土の跡

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古墳正面の周溝には土橋がある

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石室に使われる筈だった石か?

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周溝の一部はだらだらと堀こまれている

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山王塚古墳,そして上円下方墳もまだまだ分からないことが多いことがよく分かった.

今後行われるであろう石室の調査で被葬者などの特定を心待ちにしたい.

追記
南大塚古墳群から出土した遺物も展示されていたので写真を貼っておく(山王塚古墳では見つかっていない).
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by Allegro-nontroppo | 2016-03-21 23:34 | 講演会,シンポジウムなど

鎌倉の旅ー金沢街道ー

更新に間が空いてしまったのに,またしても鎌倉の記事である.

38日に浄妙寺で特別参拝が行われるのに合わせて,金沢街道周辺を観光してきた.

先日の二階堂地域のすぐそばである.

この日は天気も良く,特に昼間は3月上旬と思えないほど暖かい日で,昼間は上着を抱えながら回ることとなった.

半袖の方もいらっしゃり,散策日和であった.

以下概要.


十二所神社

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御祭神:天神七代・地神五代

明治新政府の神仏分離政策や廃仏毀釈の動きにより現社名に改称されたようで,御祭神に関しても動きがあった可能性を感じる.

吾妻鏡によれば,1182811日には北条政子の出産に際する奉幣使の派遣や813日には十二所神社のほか諸社に源頼家誕生を祝って神馬を奉納した旨が記されているとのことである.

境内社は疱瘡神、宇佐八幡、地主神とのことであるが,字が薄れていて識別できず.


大江稲荷神社

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大江広元を祀る神社とのことである.

しかし,稲荷社ということもあるので御祭神はどうなるのだろうか.

大江広元と稲荷神というよりも,鎌倉政権と稲荷神のつながりゆえのこの形態ではないかと思う.


光触寺

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御本尊:木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(頬焼阿弥陀)

開基:時宗開祖・一遍上人

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御本尊は盗みの疑いをかけられた法師の身代わりに頬に焼印が残ったという伝説がある.

また,本堂前の塩嘗地蔵はその由来から,鎌倉には金沢方面から塩が入ってきていたことが窺えるとのこと.

私は寺社巡りの際,可能であれば御朱印を頂く事にしているが,光触寺では御朱印を頂いた後にお経をあげて頂いたようである.

本当にありがたいことである.


明王院

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建立:鎌倉幕府四代将軍藤原頼経

御本尊:五大明王

将軍の祈願寺として建立され,幕府の鬼門方向にあたることから,鬼門除け祈願寺とされていた.

御本尊から五大堂とも呼ばれており,鎌倉市内で祀られているのは明王院のみとのこと.

茅葺屋根の本堂等を含め,素晴らしい境内であったが写真撮影禁止ということで,境内外からの写真である.


足利公方邸跡

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青砥藤綱屋敷跡

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これらの邸跡や屋敷跡が点在していることから,二階堂地域も含めて,この周辺は鎌倉~室町時代における政治の中心であったといえるのではないかと思う.


杉本寺

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建立:藤原房前,行基

御本尊:734年行基御作,851年慈覚大師円仁御作,985年恵心僧都源信御作三体の十一面観音

奈良時代に建立されたという,鎌倉最古の寺である.

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擦り減った苔むした石段や茅葺屋根の本堂など古刹らしい雰囲気がある寺である.


浄妙寺

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創建:足利義兼

開山:退耕行勇

鎌倉五山第五位の寺格をもつ.

当初は密教系の寺院であったが月峯了然が住職となってから,禅刹に改め,ついで寺名を浄妙寺と改めたという.

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また,本堂裏には足利貞氏の墓がある.

貞氏は足利尊氏の父である.

先月,太平記を読みかじったこともあり,1352年浄妙寺境内の延福寺に足利直義が幽閉され,翌年226日急死したということで興味があるお寺である.

そのようなわけで,「2016年春・梅 かまくら 寺社特別参拝」に参加させていただいた.

本堂の阿弥陀如来立像や聖観音像,淡島大明神立像を本堂内でよくよく拝ませて頂いた.

さらに昨年新築され,一般には初公開となった開山堂で退耕行勇坐像,三宝荒神立像及び藤原鎌足像もしっかりと拝観させて頂いた.


報国寺

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開山:天岸慧広

足利,上杉両氏の菩提寺として栄えたとのこと.

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孟宗竹が茂る「竹の庭」が有名で,竹の寺とも言われている.

おそらく金沢街道地区ではもっとも有名なお寺ではないだろうか.

竹の庭が素晴らしかった.


田楽辻子のみち

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鎌倉時代に路沿いの釈迦堂前に田楽師が住んでいたのが名前の由来という.


上杉朝宗邸跡

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文覚上人屋敷跡

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上記石碑は田楽辻子のみちに点在している.

上杉朝宗も文覚も鎌倉幕府,室町幕府にとって重要な人物で,邸跡や屋敷跡から,政治の中心地であったことが窺える.


以上である.

今回は念願の鎌倉五山のひとつを初めて参拝させて頂いた.

来年もこのような社寺特別参拝の企画が行われるようであれば,是非とも参拝したことのない寺社に参加させていただきたいと思う.


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by Allegro-nontroppo | 2016-03-13 21:57 | 旅行記