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鎌倉の旅ー二階堂ー

有給休暇を取得して鎌倉に出かけた.

梅かまくら寺社特別参拝に参加するためである.


鎌倉には何度か足を運んだが鶴岡八幡宮から江ノ電沿いを拝観するばかりで他の地域は訪れたことがない.

未だに鎌倉五山を一社たりとも拝観したことがない始末である.


そんな中で以前から気になっていた鎌倉宮で217日に特別参拝できるということで,今年に入ってからまだ取得していない有給休暇を取得して訪れてみようと思い立ったのである.


鎌倉宮についてはものすごい所とは聞いていたが,南北朝時代直前の頃の出来事がメインなので,正直大まかな流れもよくわからない.

太平記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)を購入し,慌てて読んで出かけた.


覚園寺

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覚園寺の本堂薬師堂,地蔵堂,旧内海家住宅,百八やぐらは各拝観時間に案内の方とともに拝観させていただけた.

案内の方による解説をまとめてみた.

鎌倉幕府2代執権北条義時が建立した大倉薬師堂が覚園寺の前身とのことである.

義時が将軍実朝の鶴岡八幡宮参拝に付き従った夜,夢の中に薬師十二神将の「戌神」が現れ,「今年は無事だったが来年の将軍の参拝のときには供奉するな」というので,大倉の地に薬師堂を建てた.

その翌年,鶴岡八幡宮寺で将軍実朝の右大臣拝賀の式典では,義時も御剣を持って従ったが,気分が悪くなり立っていられず,御剣役を代わってもらったところが,代役の源仲章は,実朝ともに公暁に斬り殺されてしまった.

その後9代執権北条貞時の時代に元寇の再来がないように正式の寺院として覚園寺としたそうである.


薬師堂(本堂)

茅葺の仏堂で,足利尊氏が建立したものを江戸時代に改築したそうで,天井には尊氏自筆の銘が残されている.

本尊薬師三尊像,十二神将像,阿弥陀如来坐像(廃寺理智光寺の旧本尊で鞘阿弥陀というそうである.川端康成も愛していたそうである)、伽藍神像が安置されている.


自由に拝観できる愛染堂は廃寺となった大楽寺に所属していたそうで,本尊の木造愛染明王坐像,鉄造不動明王坐像,木造阿閦如来坐像が安置されている.


本堂など雰囲気があって神聖な気持ちとなった.

少なくとも二つの廃寺から客仏を預かっていることなどから,昔は権勢を振るっていたのだろう.


荏柄天神社

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北野天満宮,太宰府天満宮とともに三大天神と称される.

1104年に雷雨とともに天神画像が天降り,神験を恐れて社殿を建てて画像を納め祀ったのが始まりだそうである.

1180年に源頼朝は鎌倉大蔵の地に開いた幕府の鬼門の守護神として改めて社殿を造立したという.


ちょうど梅の季節で本格的に撮影している方もたくさん見かけた.


白旗神社

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解説板によれば,源頼朝の北隅に石橋山の合戦で髪の中に納めて戦ったという観音像を安置した持仏堂があり,頼朝が亡くなるとこの場所に葬り,法華堂としたという.

明治に至り,白旗神社と改めたそうである.


源頼朝の墓

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頼朝は法華堂に葬られたが後に廃絶してしまった.

現在の塔は島津藩主・島津重豪が整備したものである.


白旗神社,源頼朝の墓を巡って考えてみるに,結局,源頼朝の葬られた正確な位置は分かっていないということになるのではないかと思う.

後々,大名たちが源氏平氏を強く意識していたのにも関わらず,法華堂も廃絶してしまっていたとは,もう少し尊崇されていてもよいのではと思ってしまう.


島津忠久,大江広元,北条義時の墓

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そもそも北条義時の墓があったとされるそうで,現在は大江広元,大江季光,島津忠久のやぐらが並ぶ.


鎌倉宮

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梅かまくら・寺社特別参拝で参加させていただいた.

正式参拝後,講和を拝聴させていただいた.

鎌倉宮の歴史については以下のようであった.

ご祭神・護良親王は後醍醐天皇の第一皇子であり,比叡山延暦寺で大塔宮尊雲法親王として天台座主となっていた.

後醍醐天皇が隠岐にながされたときに還俗して,鎌倉幕府打倒に貢献した.

しかし,足利尊氏に警戒心を抱いていた護良親王は逆に無実の罪を着せられ尊氏の弟・直義により土牢に幽閉され,北条高時の遺児・時行が鎌倉に攻め込んだ戦に敗れた直義は逃れる際に親王暗殺を命じ,最期を迎えた.

江戸時代末期には尊王攘夷の機運が高まると護良親王の功績を偲び,参拝者が増えたそうである.

明治時代に鎌倉宮として創建し,官幣中社として列せられたという.


土牢,御構廟,そして護良親王の着物(直垂?)などを所蔵する宝物殿を見学させていただいた.

衣張山や御霊神社の面掛行列の話などは私の考えていたようなご意見をお持ちのようで自信をもったが,意見が異なるようなお話もされていた.

そのあたりを突っ込んで質問してみたいとも思ったが,お忙しい方のようで今回は遠慮させていただいた.

その他に鎌倉の歴史(和賀江島など)のお話をされていた.

面白い時間であった.


護良親王墓

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鎌倉宮に出かけたのに素通りはできないと思い参拝した.

現在,理智光寺跡に1347年に建立されたそうである.


瑞泉寺

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鎌倉五山に次ぐ関東十刹に列せられた格式のある寺院で,復元された仏殿背後の庭園は、夢窓国師の作として、国の名勝に指定されているそうである.


永福寺跡

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源頼朝が奥州合戦の戦没者慰霊のために平泉の二階大堂大長寿院を模して創建した寺院とのことである.

史跡公園として整備がすすめられている.



この日は通り雨こそあったが(鎌倉宮で講和を拝聴している最中のことで,屋内にいたため影響なくラッキーであった),それ以外は天気も良く,散策日和であったといえるであろう.

二階堂周辺は鎌倉幕府があったともいわれる場所なので,鎌倉でも重要な土地であったはずである.

そのような場所を散策できてよかったと思う.

最後に二階堂の花々の写真を.
覚園寺の梅

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荏柄天神社の梅
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鎌倉宮の河津桜
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瑞泉寺の黄梅

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by Allegro-nontroppo | 2016-02-22 00:03 | 旅行記

「福岡県世界遺産シンポジウム ―「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群―」

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「福岡県世界遺産シンポジウム ―「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群―」を聴講に東京国立博物館に出かけた.

開会の挨拶は福岡県知事,また関係者席に宗像市長,福津市長がいらっしゃったようなので福岡県を挙げてのイベントであったのだろう.

講師,コーディネーター及びパネリストは以下のとおりである(敬称略).

【基調講演】

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

西谷 正 (海の道むなかた館館長・九州大学名誉教授)

【パネルディスカッション】

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群―世界遺産としての価値について―

・コーディネーター

 佐藤 信 (東京大学大学院教授)

・パネリスト

 西谷 正

 稲葉 信子 (筑波大学大学院教授)

 岡田 保良 (国士舘大学大学院教授)
 金田 章裕 (京都大学名誉教授)

 三輪 嘉六 (前九州国立博物館長)


今回のシンポジウムでは特に東アジアの情勢が沖ノ島祭祀に大きく影響を与えているという部分についての重要性を学ぶことができた.

今回学んだことを含めて,東アジアの情勢について調べて見たことや沖ノ島や宗形君などについての私の知識をここにまとめておく.


沖ノ島祭祀

小規模であったものが大規模になっていく→広い場所へと移っていく

(岩上祭祀の頃はまだ国家祭祀ではなく宗像君による祭祀だったのでは?複数の豪族による祭祀?岩陰祭祀で国家神へと昇格した?とのご意見)

最終段階では大島,田島(下高宮祭祀)も含めた三か所での祭祀になる

沖ノ島と同じような遺物が発見される.


岩上祭祀(4世紀中頃~5世紀中頃)

・永楽10年好太王碑文

・倭の五王・讃,宋との交流

・奉納品は鏡,剣,玉の三種の神器の組み合わせなど(21枚の鏡)


岩陰祭祀(5世紀中頃~7世紀中頃)

・倭の五王・武,宋,南斉,梁との交流

・磐井の乱,新羅との内通

・欽明天皇,百済の王子を九州の豪族に命じて送る

・来目皇子を新羅討伐の将軍とする

・中国大陸,北朝と南朝が統一し,隋・唐が興る→遣唐使,遣隋使

・奉納品は鉄製武器などのミニチュアや金銅製の馬具など


半岩陰・半露天祭祀(7世紀中頃~8世紀前半)

・遣唐使の派遣

・白村江の戦い後,関係修復し新羅との外交→遣新羅使

・奉納品は唐三彩,金銅製龍頭など

露天祭祀(8世紀前半~9世紀末)

・空海が遣唐使として唐に行った際,宗像神社へお礼参り

・第17次遣唐使は宗像神社の僧侶に祈らせた

836年最後の遣新羅使

838年最後の遣唐使

・奉納品は奈良三彩小坪など国内の官営工房で作られたもの(半岩陰・半露天祭祀までは国際性豊か)


新原・奴山古墳

・古墳群から大島やその先をのぞむ

・勝浦古墳群からは画文体神獣鏡,手光古墳群からは穴の開いた祭祀用土器など沖ノ島と同じものが出土している.

・宮地嶽古墳は高市皇子の祖父,宗形徳善の古墳ではないか???


以上.

今回のシンポジウムはもしかしたら,私の興味のあるお話は少ないかもしれないと危惧していたけれども,参加してみると興味のないお話しなど全くない,充実したシンポジウムであった.

遺産群の中では宗像大社辺津宮のみしか訪問したことがないので,沖ノ島は無理としてもいずれ,中津宮や新原・奴山古墳群には行ってみたいと思う.


今回配布された資料の一部は下記から見ることができるようである.

http://www.okinoshima-heritage.jp/pamphlets/


追記

本シンポジウムは211日に開催されたのだが,13:00頃東京国立博物館平成館入口付近には待機列ができていた.

特別展 「始皇帝と大兵馬俑」(本ブログの記事→)目当ての方々だろう.

1223日に鑑賞した際には少なくとも待機列はなかったから,やっぱりあの日,行っておいてよかった.

梅がかなり咲いており美しかった.

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見ごろである.




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by Allegro-nontroppo | 2016-02-14 23:06 | 講演会,シンポジウムなど

「うましうるわし奈良」の10年

2015年のCM好感度ランキングではそれまでの8年間,1位でありつづけたソフトバンクを抜いて,KDDI/auの「三太郎」シリーズが1位となったという.

「三太郎」シリーズやソフトバンクの「白戸家」シリーズなどはCMでありながら,その放映時間の大部分は宣伝を意識せずに楽しむことができる.

宣伝は最後一部分のみに集約されており,それ以外の部分は映像作品として楽しんでいる.

ところで「白戸家」シリーズよりも前から映像作品として楽しんでいるCMといえばJR東海の「そうだ京都、行こう」キャンペーンのCMがある.

放映時期の季節に合わせた京都の寺社を美しくテレビに映し出してくれる.

見るたびに京都へ行きたくなる素晴らしい宣伝効果をもつCMだと思う.

一方でJR東海のキャンペーンでCMは作られているようだがテレビでの放映を目にしたことがないものもある.

「うましうるわし奈良」のキャンペーンである.

そもそも私はテレビを見る方ではないから,もしかしたら全国どこでも放映しているのかもしれない.

しかし,京都を特集した番組に比べて奈良の番組が明らかに少ないのを見て取ると,「そうだ京都、行こう」より,圧倒的に少ないのではないか.

「そうだ京都、行こう」のCMは京都特集の番組の合間に見かけることが多いように思う.


「うましうるわし奈良」のCMはテレビで見ることができないので,JR東海提携イベントやホームページから眺めている.

奈良の各神社仏閣を美しく映し出すだけでなく,ナレーションも素晴らしいのだ.

奈良に行く前や行った後,そして少し疲れたときなどは奈良旅を思ったり癒されたり,何度も見たくなる素晴らしい映像作品だと思っている.


何故,急にCMや映像作品の話について,つらつらと綴ったかというとこの本について書きたかったのだ.

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「うましうるわし奈良」の10年である.

最近,とみに仕事が忙しく,多少荒んでいる.

癒しを求めて購入である.

中身についてはこれまでのCMを切り取った写真集といったところである.

静止画だからこそ素晴らしいその一瞬を切り取っている.

訪れたことがある寺社が多いのであるが,その寺社にもまだ見ていない一画があることに気づかされる.

しばらく続く忙しい日々をこの本の癒しの力で乗り越えよう.

次に奈良に行くまではこの本から「いま、ふたたびの奈良へ」

(奈良はふたたびどころでなく訪れているのだが….)

JR東海「うましうるわし奈良」のホームページは下のアドレスから飛べます.
http://nara.jr-central.co.jp/index.html


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by Allegro-nontroppo | 2016-02-07 23:08 |