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上生菓子の秋2014②

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2014年9月のラストを飾るのははくらづくり本舗の上生菓子である.


月夜(つきよ)

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柚子餡包みの黒すり胡麻入り雪平餅です.

黄色羊羹を流し,うさぎを添えて『名月』を表しました.

十五夜は,本来は『満月』のことですので,年に12回から13回めぐってきます.

特に,旧暦の8月は,1年の中で最も空が澄み渡り,月が明るく美しいので,観月の宴が開催され,収穫祭としても親しまれるようになりました.

十五夜のきれいな満月を雪平餅を使い,羊羹を流し込んで表現しました.

以上,HPより.

柚子風味の餡はさわやかで夏の名残を感じさせてくれる.

黒すり胡麻入り雪平餅は先月の「夏涼し」と同様,もちもちして美味しい.

好きなお味である.


夕映え(ゆうばえ)

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橙色練切餡で黄味餡を巻き,トンボの印と黄色氷餅を塗して,『夕焼け風景』を表現しました.

夕焼けの空は,一年を通じて見ることができますが,晩夏から初秋にかけてが,とりわけ壮大で一番きれいに見られる時期ではないでしょうか.

橙色と黄色のコントラストがとても綺麗で,夕焼けの下では『トンボ』が,楽しそうに飛んでいる風景を表現したく,黄味餡に練切を巻いて仕上げました.

以上,HPより.

上生菓子はいろいろな造形があって,本当に面白い.

くらづくり本舗は特に独創性があるように感じる.

夕映えはその代表みたいなものだろう.

味は甘さ控えめであった.


野菊(のぎく)

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小豆皮むき餡包みの大納言かの子豆です.

赤紫色の菊花をのせて,野菊を表しました.

9月9日は、重陽の節句と言って,『菊花の節句』です.

3月3日の桃の節句・5月5日の端午の節句などは有名でお祝いをしますが,重陽の節句はあまり知られていないのが現状です.

もっと、皆様に知っていただきたいと思い・・・大納言かの子豆を使い,野原に咲き始めた菊花を表現しました.

以上,HPより.

この野菊は重陽の節句に頂こうと購入したもので,HPにもそのように記載があって驚いた.

かのこは頂くのは初めてである.

煮豆が苦手な私にはハードルが高いと思いきや,そうでもない.

煮豆など特有のパサパサ感がないからかな.

今後もチャレンジしていきたいと思わせてくれた.


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by Allegro-nontroppo | 2014-09-29 20:04 | あれやこれ

御嶽山の噴火

昨日,御嶽山が噴火したという.

これ以上,被害が広がらないことをお祈りさせて頂きたい.

噴火する30分程前であろうか,私は飛行機からその方面を眺めていたはずである.

友人が今夏,穂高に登ったというので,あちらの方向であろうかと眺めたのである.

福岡―羽田便であったから,その方向には御嶽山もあったはずだ.

上空から見渡せるほど長野方面は雲一つない良い天気であった.

登山客も多かったはずだ.


このさらに二日前,桜島を見物していた(下記写真).

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桜島の周りに見えるほとんどは雲ではなく火山灰であろう.

また,噴火としては記憶に新しい新燃岳も見物した(下記写真).
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桜島の様子と比べれば,長野方面に何か異変を感じることはできなかった.

現場にいた方も直前まで異変を感じなかったというから当然であろう.

山の噴火というとどうしても雲仙普賢岳のことを思い出さずにはいられない.
今回は居住地域への土石流等はなかったようで,あの時ほどではないようだが,多くの登山客が巻き込まれてしまった.
今後,様々な影響が広がると考えられるが,重ねてとなるが,今は被害者の一人でも多くの無事を祈りたい.


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by Allegro-nontroppo | 2014-09-28 20:12 | あれやこれ

上生菓子の秋2014 ①

今回の上生菓子は「鶴屋吉信」のものである.
なかなか売り切れで購入することができなかったのでうれしい.

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乱桔梗

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夜露に濡れた桔梗が乱れ咲いている様子.

粒あん.

今まで食べたトンキンそぼろの中で一番しっとりしてる気がする.

私は好きだが,トンキンそぼろはもっとしっとりしてない方がよいという意見はあるかもしれない.

寒天で水滴をイメージしているところがすばらしい.



秋桜

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繊細なコスモスの花をこなしで表現しました.

白あん.

鶴屋吉信の白あんは独特の味がしておいしいと思う.

もう秋桜の季節になったのだなと思わせてくれる.



嵯峨野

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満月に映る京都の名所「嵯峨野」の秋の風情.

黄味しぐれ製 こしあん.

程よい甘さでおいしい.

ところで,嵯峨野は平安時代からの秋の名所である.

京都に店を構える「鶴屋吉信」ならではの造形で非常に私の好みである.


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by Allegro-nontroppo | 2014-09-27 20:00 | あれやこれ

知ってるつもりの東大寺ー聖武天皇と光明皇后ー

奈良学ナイトレッスン「知ってるつもりの東大寺 聖武天皇と光明皇后」を受講した.

講師は西山厚氏(帝塚山大学教授)である.

西山氏は「伊勢から春日へ」の鼎談 (当ブログの感想はこちら)でコーディネーターを務められていた方だったと思う.


お話は聖武天皇から

聖武天皇はどうして奈良の都に大仏を決意した理由として

「すべての動物,すべての植物が,ともに栄える世の中を作りたい」

全ての人間が共に栄える,みんなが幸せになる世の中はありえないと講師は考えているが,聖武天皇は本気でできると考えているためにとても苦しむことになる.


大きな大仏やその大仏殿を作るのはとても大変である(奈良時代の大仏殿はもっと大きかった).

しかし,聖武天皇は…

「大きな力で造るな,たくさんの富で造るな」

「一本の草を持ってきた人にも,一握りの土を持ってきた人にも手伝ってもらおう」

大きな力・富は何の意味があるのか,害悪にしかならない.

自分には何もできないかもしれないが大仏建立を手伝いたいという人が次々とあらわれてくれることが聖武天皇の望みであったのかもしれない.

極端に言えば,大仏はできなくても構わないと考えていたかもしれない.


聖武天皇はどうしてこのような考え方になったのか.

旱魃・飢饉・大地震・病気(天然痘)・内乱などが起きた時代であった→責めはわれ一人(聖武天皇)にあり.

自分の政治が悪いから天が災いを起こすと考えた.

牢屋に囚人がいるのは自分の政治が悪いからである.

みんなが幸せになってほしいのに,現実は逆→自分のせいである.


701
年 首皇子誕生(父:文武天皇,母:藤原宮子…古代日本のオールスターの血をひいている).

707年 文武天皇崩御

母:宮子は首皇子誕生後,心を病んで宮中奥深くにこもってしまう.

→聖武天皇は父母をしらない.

724年 聖武天皇即位する.

奈良時代は肖像画のない時代(平安時代後半から肖像画ができはじめる).

聖武天皇の肖像画,肖像彫刻はない.


聖武天皇が即位して行った仕事

社寺の清浄を命じる.

神を敬い,仏を尊ぶることは清浄を先とする(寺社の境内がくさい.動物を飼っている).

死刑・流刑の軽減を命じる(重い刑罰を与えると更正しない).

諸国の重病人を治療・穀物を与えなさい.

豊作を喜び,田祖を免除する.

善政の官人に褒美を与える.


727
年 皇子誕生…生まれて間もない皇子を皇太子にした.

病気の皇太子のために177体の観音菩薩と観音経を177回写経したが,一歳を迎える前に亡くなった.

奈良時代は6歳になる前に亡くなった子供のお葬式をやってはいけない.

皇子の冥福を祈る…平城京の東端の山房→後の東大寺

皇子の前に女の子を生まれていた.

奈良時代は7人天皇がいたが,そのうち4人は女性天皇.

ただし,基本は男性が天皇となる.

740年 聖武天皇,光明皇后 河内国の知識寺で盧舎那仏を拝し,大仏造立を決意

知識:仏教の信仰の下,様々な活動をする人,その人たちが作ったもの.

どのように作ればよいか,分かった.


741
214日 国分寺(金光明四天王護国之寺:金光明最勝王経)・国分尼寺(法華滅罪之寺:法華経)建立の詔

国分寺・国分尼寺のお坊さん,尼さんは国家公務員.

金光明四天王護国之寺…四天王があらわれて国家を守ってくれる.

法華滅罪之寺…国家の罪を消し去る.

大和国の国分寺=東大寺


中国の国分寺のモデル(男性の寺しかない)

大雲寺 690年 則天武后

龍興寺 707年 中宗

→道慈(遣唐使)が伝える.

開元寺 738年 玄宗

→玄昉が伝える(聖武天皇は知らなかった).


743
年 大仏造立の詔


752
49日 大仏開眼

260万人が協力(当時の日本の人口は500万人)→小さな力をたくさん集めてできた.

開眼:仏像に魂を入れる儀式


お話は光明皇后へ

父:藤原不比等,祖父:藤原鎌足(大化の改新の立役者)…古代日本を代表する最も優れた政治家.

鎌足:仏教の信仰の厚い人で「釈迦三尊」を作った→興福寺の本尊となる.

不比等:奈良時代の日本を形作った人.

光明皇后は「妾の珍財,これに過ぎるものなし」(公文書:不比等の書を東大寺に献納した際)

745年 法華寺の建立(大和国の国分尼寺)

光明皇后は亡くなった不比等の家を寺に作りかえる.

法華寺の本尊は十一面観音

室町時代の本に光明皇后の姿をうつしたといわれる(女性的な像:光明皇后のイメージで造られた?).

手が長く,蓮台から右足が外に出ている.


母:橘三千代…不比等と再婚し,光明皇后が生まれる(前の夫との間に三人の子供).

現代日本では橘三千代のような境遇の女性の子供が皇后になることはできない.

奈良時代は男女平等であり,平安時代中頃から男尊女卑になっていく.

平安時代半ばから国分尼寺の尼さんが国分寺のお坊さんの洗濯などをし,最終的に国分尼寺はなくなってしまう.


733
年正月11日 橘三千代死去

仏教の信仰があつい→光明皇后への影響?

光明皇后,母の冥福を祈り,興福寺に西金堂を建てる.

西金堂は碑のみが残る…阿修羅は西金堂に安置されていた(火事のたびに助け出されていた).

仏像は悲しみや苦しみの中から造られる.

八部衆…興福寺でのみ少年の姿→死んだ我が子のために作ったから?

沙羯羅像…6歳くらいの姿→死んだ皇子が生きていれば6歳.

737年 天然痘の大流行…藤原四兄弟(四人とも大臣)相次いで没.


お話は大仏へ

740年 聖武天皇が平城京を4年以上離れる.

聖武天皇は考えがあって平城京を離れたのではないか?

大仏を平城京ではないところに建立しようとしていた!

天武天皇が通ったコースと同じコースを通っていく.

伊勢神宮を遥拝する.

恭仁京…都の真ん中を川が流れている(洛陽と同じ).

洛陽から少し離れた竜門に大仏がある.

洛陽をモデルにしたい!

しかし,官僚全員にアンケートをとった結果,ほとんど全員が平城京に戻りたいと言ったために,平城京に戻ることになる.

(聖武天皇も肉体労働を行い,大仏を造り始めていた.)


天平18106日 金鐘寺(後の東大寺)で15700もの灯をつけた→大仏の原型ができた.

数千人を集めて法要が午前二時ごろまで行われた.

大仏:土で原型を作り,銅を流し込む.

東大寺:平城京の東にある大きな寺.

完成の三年前,作りかけの大仏の前で聖武天皇「三方の奴である」という.

光明皇后,皇太子,役人たち,一般庶民の前で宣言した.

聖武天皇は皇太子に位を譲る際に,「天皇を奴にしても,奴を天皇にしても良い.好きにせよ」という.

聖武天皇には身分の差というものがない.


盧舎那仏は華厳経に出てくる.

聖武天皇は華厳経が一番大事だと言っていた.

華厳:人の行い又は存在で飾るという意味.

蓮華雑世界:既に華で飾られているが,私たちが私たちの実践で飾っていこう.


752
49日 大仏開眼

菩提僊那(インド人):魂を入れた…筆に青い紐を結び,みんながこの紐を握って結縁を結んだ直前まで聖武天皇(既に出家していた)が自分で入れようと思っていたが,病気でできなかった(321日に断念).

菩提僊那しか頼める人がいないので断らないでほしいという手紙を書く.

4月8日に予定されていたが,聖武天皇の具合がとても悪く延期された?

大仏開眼の際に光明皇后が身に着けていた冠の飾りや聖武天皇がはいていた赤い靴が正倉院に納められている.

大仏ができた4年後に聖武天皇は亡くなる(病気がちであった).

光明皇后が聖武天皇の大事にしていたものを大仏に献納した.

光明皇后が目録を作った.

目録の筆頭は聖武天皇の御袈裟で最後は御床が二つ(聖武天皇と光明皇后のベッド).

御床は両床に亘る覆一條(二つのベッドのためのベッドカバー)も納められており,ここから御床二つはくっついていたことが分かる.

聖武天皇と光明皇后のお墓はくっついている(天皇皇后のお墓がすぐそばにあるのは聖武天皇と光明皇后のみ).

光明皇后は目録に「目にふれると,くずれ,くだけてしまう」と書いており,聖武天皇の遺品を全て大仏に献納した.


聖武天皇の筆跡(「雑集」)が残っている.

聖武天皇の筆跡(「雑集」)を使って奈良国立博物館の看板を作っている.

光明皇后の筆跡も残っている.

楽毅論を臨書しているが,脱字が三か所あり,順番を間違えている.

さらに臨書の年を間違えてごまかしたような跡がある.


光明皇后は聖武天皇の遺品を献納した際に六十種類の薬も献納しており,使って下さいということで実際に使われた.

どんな病も治る,どんな苦しみもなくなる,心の病,体の病も治る,どんなものも治る,夭折することなしと書いて添えている.


730
年 光明皇后が悲田院・施薬院を作る→子供が死んだ二年後.

723年 悲田院・施薬院が興福寺に作られる.

720年に不比等死去,翌年橘三千代が出家という背景から橘三千代が作ったのではないかと講師は考えている.

757年 孝謙天皇が施薬院に土地を寄進(テコ入れ)→聖武天皇が亡くなった翌年.


平安時代の伝承

東大寺,法華寺を建立し終えた光明皇后が天の声から法華寺に湯屋を作るよう言われ,湯屋に来る人々の垢を流そうと誓うが,みすぼらしい恰好の人がやってきたので躊躇していると,「誓いを破ることになるぞ」と言われたので,流し終えた後に「こんなこと誰にも言ってはダメよ」というと,「阿閦如来が垢を流してもらいに来たことは誰にも言ってはならぬ」と言って光り輝き飛び去って行った.


あとの時代になるともっと過激になる.

光明皇后が千人の体を流すという誓いをたてたが,千人目に体中膿だらけの病人がやってきたので体中に唇をはわせ,膿を吸い出した.病人は阿閦如来の姿となって光り輝き飛び去って行った.


光明皇后が救済活動を行ったのは本当である.


歴史を勉強するときに大事なのは「他人ごとにしない」ということであるというお話があった.

もちろん受験勉強のようなものであればその必要はないだろうが,当時の状況を自分自身に置き換えてみることは重要かもしれない.

非常に興味深いお話であった.


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by Allegro-nontroppo | 2014-09-17 19:12 | 講演会,シンポジウムなど

上生菓子に秋を感じる②

さて,前回に引き続き,今回も菓匠花見の上生菓子である.

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色づき

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もちもちとしている.

あんには干し柿が混ぜ込まれている

甘さひかえめ.


白菊

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黄身餡.
葉っぱは寒天.
一番スタンダードなお味.
おいしい.
うまい具合に重陽の節句に頂けたらよかったのだが.

やはり,菓匠花見の上生菓子はアニメチックで可愛らしい.
それと同時に干し柿を混ぜ込んだりしているのがすごくよいと思う.
来月も楽しみである.


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by Allegro-nontroppo | 2014-09-14 19:34 | あれやこれ

上生菓子に秋の訪れを感じる

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9月に入って上生菓子も秋らしくなった.
今年は例年より気温が低いので,この時期でも秋の趣を感じられるような気がする.
そんな趣の中,今回は菓匠 花見の上生菓子を頂いた.

いが栗

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まだ青いいが栗が表現されている.

粒あん.

栗の下にあんがある.

栗とあんのまわりは水あめと米粉を混ぜたものなのだろうか.

全体がこんなにしっとりしているのは初めてで,びっくりした.

しっとりが好みなので,おいしい.

葉っぱはて寒天.



桔梗

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いが栗と同じく葉っぱは寒天.

こしあん.

オーソドックスな味で,甘さも想像通りである.

桔梗の紫色は中(or あん?)の方が濃く,グラデーションというか,透けて見えるようなところが気に入った.



うさぎ

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こしあん

目は寒天.

しつこい甘さなどはなく,スタンダードなおいしさ.

うさぎは味より,かわいい見た目が売りであろう.

菓匠 花見の上生菓子は漫画チックなかわいい見た目のお菓子だと感じた.
特に女性や子ども向けにお土産にすると喜ばれそうである.


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by Allegro-nontroppo | 2014-09-10 20:20 | あれやこれ

役行者と蔵王信仰

連続講演 「伝えたい 世界遺産『吉野』の魅力」第3回「役行者と蔵王信仰」に参加した.

講師は五條 良知 師(金峯山寺執行長・東南院住職)であった.

五條氏はお坊さんであり,山伏であり,修験者であるそうで,大峰奥駈道を毎年1回修行している.


最初に開経偈を唱えられた.


伝統仏教は出家の約束をするが,修験道は在家の約束をしている.

明治時代,「肉食妻帯勝手なるべし」の御触れで仏教が変わった.


蔵王堂 日本一の桜の名所 1592年檜皮葺,東大寺に次ぐ二番目の木造古建築で古さでいうと法隆寺に次ぐ二番目.

道が世界遺産になったのも二番目でキリストの巡礼道が一番.

檜皮葺の建物は世界で一番大きいということをいう学者もいる.

吉野の桜は蔵王権現に供えしたもの.


修験道:日本の昔からの宗教.仏教が日本に入ってくる前から.

山:祖霊の住む山.先祖,神など聖なるものが住むところで普通の人は入れなかった.

聖なる気を崇めたり,恐れたりしていた.

家族の平和はお天道様に,亡くなった先祖が山に行ったということで手を合わせてきた.

嵐が来れば,山の神様に助けてほしいと願う.

春になれば山の神様を呼んで田んぼを耕す,夏は夏祭り,秋は収穫を喜んで祭をして,山の神様に帰っていただく.

このような信仰はキリスト以前のヨーロッパや世界でもそうだったのであろうし,ネイティブアメリカン,アボリジニもそうであるように人間がもっているもともとのものである.

大自然に合わせていた.


修験と言う形にしたのが役行者.

続日本紀,文武天皇三年54日の条に出てくる本当にいた人で史実である.

役行者と伴に修業した前鬼(夫)と後鬼(妻)の五人の子供は前鬼と言う村に住んでいたと言われその子孫の一人五鬼助さんが今でも修行の面倒をみている.

講師の自坊に富岡鉄斎の掛け軸有.


空海や最澄は唐に渡って書物を持ち帰り,さらに自分で研究したりして,書いたものを後の者のために残した.

例えば,経典,修行の仕方,戒め,勉強の仕方などを書いて残している。

それを勉強して後の人が最澄や空海のようになっていこうと努力する.

役行者の生涯―書いたものを残していない.

役行者の生き様をもって修験者は修行している.

舒明天皇六年637年正月,役行者はお母さんの夢の中に独鈷鍾と言われる密教の道具が現れて,生まれた.

大和国葛城郡,昔は金剛山と葛城山を分けずに葛城山と言っており,この辺一帯は役君の所領であった.

お父さんは出雲の人で役行者が生まれたあと帰ってしまった?

毎年77日には役行者が産湯をつかったという池の蓮の花を取ってきて蔵王権現に供える行事がある.

生まれて英邁の誉高く,17歳のときに葛城山に入り,華厳経の蜂起菩薩を勧請する.

19歳にはは大峰奥崖道に入って,修行の道を始めた.

25歳,箕面で仏々相伝.

そして大峰の金峰山で1000日修行.

これは末法の世の人々の過去現在未来を救うため修行である.

釈迦,千手千眼観音菩薩,弥勒菩薩が現れるが強情な人には合わない(やさしすぎる).

最後,山上ヶ岳の岩を打ち破って中から蔵王権現が出現した.

蔵王権現を山桜の木(御神木になった)で二体彫刻した.

出現して降り立ったところ(山上ヶ岳)に彫刻を置いて祠を建て,また吉野山にも置いた.

金峯山寺がはじまり修験道が形づいた.

山桜を蔵王権現にお供えするようになった→祈りの桜


蔵王権現とは?

元々の御姿はお釈迦様,観音様,弥勒様で仮の姿であるが,日本で祈りでてきた日本の仏様である.

役行者が感得した.

怒った表情(悪魔調伏の相)は親が子供を叱ってでも真っ直ぐな道を進ませてやりたいという気持ちである.

右手は天の悪魔を粉砕し,左手は人々の心の中の悪魔を断ち切る.

左足は地下の悪魔を抑えており(地震),右足は天と地の間の人々を襲う悪魔を退治する.

背後の火炎は仏様の知恵で,肌が青いのは青黒→仏様の慈悲を表す.

三体の中で真ん中お釈迦様,右千手千言観音,左弥勒菩薩の蔵王権現で過去現在未来を救う.

お釈迦様の本当の教えを包み隠さないことが蔵王権現の本当のお気持ち.

金剛胎蔵大如来は密教では金剛界,胎蔵界を総べる大日如来であり,顕教だとお釈迦様.

近畿の最高峰,八経ヶ峰に法華経(八巻)の埋納し,ここからの光で大勢の人を救ってあげたい.

権現…仮にあらわれるという意味.


本地垂迹

富士山も権現信仰:浅間大菩薩,熊野も権現信仰.

役行者は日本中の霊山を開山し,蔵王権現が日本中に広まった.

蔵王は昔は刈田嶺という山であり,今も刈田嶺神社がある.

勧請して蔵王と言う山に変わった.

京都の嵐山に保津峡があるが吉野山の嵐山の下にほおずきお??と言う山がある

これは吉野から,後嵯峨天皇と亀山上皇が持っていった名前であり,嵐山の中腹には蔵王権現が今も鎮座している.

上野の山の桜は上野寛永寺の天海僧正は金峯山寺の管領であった際に吉野から桜を持ってきたものだが,本人は来ていない.


役行者の教えは実修実験→修験であり,自分で修業して結果を自分で得なさいということ.

どんなことでも,自分が苦しくても心さえしっかりしていれば結果はやってくるという思いをもってする.

入峯修行…自然の中,山を歩かせていただき,そこには聖なるものがいらっしゃる.

擬死再生の行と言われているが,講師はすべて無くして入っていくが,出てくるときには生かされている自分に気づかせてもらうと考えている.

ありがたく思える,神仏に守られていると感じることが修験の神髄である.

在家の修行(男性 優婆塞 女性 優婆夷):在家主義.

役行者は菩薩の修行をした(法華経を一番大事になさった).

光格天皇から神変大菩薩という神号を役行者が頂いた.

悟る努力をすることが人々を救うことになるというような修行.

これらすべての修行をすることで蔵王権現を感得した

蔵王権現は全てにつながり(八百万の神々)また,役行者を拝めば蔵王権現がその後ろにいる.


蔵王権現は恕の心…見返りを求めず一切のことを許す

それに帰依するのが蔵王権現を拝むのに大切なこと.

講師の入峰修行のイメージは講師の前を役行者が歩き,首根っこを不動明王がつかみ,蔵王権現に見守られている

仁王門…修理される.

一番大きいのは東大寺の大仏殿の南大門で金峯山寺の仁王門は断トツの2位.

秘仏本尊の御開帳もある.


以上が今回の内容であった.

聞いている分には違和感なかったが,書き出してみるとまとまっていないのは,私の力量不足である.

次回の「伝えたい 世界遺産『吉野』の魅力」も楽しみである.


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by Allegro-nontroppo | 2014-09-07 19:13 | 講演会,シンポジウムなど