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日本発掘 -発掘された日本列島2014- 追記

本題に入る前に,前回「日本発掘 -発掘された日本列島2014-」のHPのリンクを貼り忘れたのでここに貼っておく.
文化庁
http://www.bunka.go.jp/oshirase_event/2014/hakkutsu_2014.html

江戸東京博物館
http://edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/project/2014/6/index.html

さて,日本発掘 -発掘された日本列島2014-のワークショップに参加させて頂いた.

決して,一人でぼーっとしているかわいそうな人と思われ,声をかけられたとは信じないことにする.

それなりに真面目に考えごとをしていたはずである.

ワークショップの内容は「発掘された遺物を写し取ろう」ということで,約四千年前の土器を実際に用いて「干拓」を行った.

難しいものではなく,土器をきっちりと画仙紙できっちり包んだ後にクーピーの尖っていないほうでごりごりと塗っていく作業である.
出来上がった拓本はこちら.

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撮影許可を頂いたので,実際の土器と拓本を並べて撮影した.

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現在は写真技術も発展しているが,写真よりも拓本の方が模様が分かりやすいので,拓本を行い,必ず写真と共に保管されているとのこと.

拓本は頂いた台紙に張り付けて完成.

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関係者の方々,なかなかない機会をありがとうございました.

ちなみに私の拓本だが,最初オレンジで塗っていたのだが,模様が分かりにくかったので,赤で上から塗りなおしている.


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by Allegro-nontroppo | 2014-08-29 19:59 | 博物館

日本発掘-発掘された日本列島2014-

東京都江戸東京博物館に出かけた.

見に行ったのはもちろん「マーニー展」ではなく「日本発掘-発掘された日本列島2014-」である.

たまたま第一部の「発掘された日本列島展」20年の歴史と優品の数々について,文化庁の方の展示解説に行きあったのでついてまわった.


合掌土偶

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八戸市風張1遺跡より出土.

今回唯一の国宝ということである.
一度壊れた土偶を接合していることから,大事に使われていたことが分かる.

アスファルトを接着剤として利用している.

手を合わせている様子から合掌土偶と言われているが,お産のシーンをかたどっていると言われている.

平安時代は座産であったことが文献(山幸彦の乙姫様の出産)から分かる.

この絵巻物では侍女がお皿を積んで踏み割っている.

また,屋敷の外では弓弦を鳴らしている.

出産のときにやってくる鬼を追い払うため,音で驚かしている.

また,土偶の9割は女性である.

出産儀礼のお祈りのための道具だったとも言われる.


埴輪

大阪府高槻市史跡今城塚古墳より出土.

継体天皇のお墓と言われている.

埴輪は葬送儀礼を表しているといわれる


鞘に入った太刀

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盾の埴輪や弓の埴輪などもある.



牛・・・動物埴輪の中では数が少ない

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鶏や水鳥の埴輪が多い

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鶏が鳴くと夜が明けて朝が来る.

夜は死んだ人や神の世界で朝は生きている世界,鶏がその境を告げてくれると当時は信じられていた.

箸墓古墳:夜は神つくり,昼は人つくる.

昼は埴輪の馬が夜は馬となって走り出す(日本書紀)

力士

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全国の古墳で出ている.

最初の相撲に関する文献は景行天皇(古墳時代):當麻蹴速と野見宿禰

ルール無用の相撲一週間 當麻蹴速,腰の骨を折って絶命させる.

天覧相撲の起源・・・奈良時代(相撲所と書かれた土器が発掘されている)


家形埴輪

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高床式の建物

祠・・・穂倉が起源

神さまに備えるための穂を入れた場所が高床倉庫,つまり神聖な場所である.

神の代弁者=偉い人の家の住む場所に代わる.

日本霊異記・・・雷を捕まえた男の話→雄略天皇の屋敷が高床式(高倉)であった(梯子を上って行ったため)

ごてごてした屋根は伊勢神宮などの屋根の形と同じである.

高貴な人の住まいは立派な屋根であり,屋根の形によってどんな建物か表していた.

古代の日本人は屋根の形にこだわった.

雄略天皇は大和を歩いていた時に自分の住まいの屋根と同じ屋根を見つけて焼打ちにしている.


編み籠

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つるを丹念に織っている.

中にはどんぐりが入っていた.

佐賀県東名遺跡出土で時代は縄文時代の初め.

木で作ったものや人の骨は残りにくいが,100%に近い湿度があるときにのこる.

東名遺跡は海抜0m地帯である.


どんぐりを湿度の多いところに穴を掘っていれておくと
どんぐりは水浸し状態・・・あくが抜けて食べられる.

すりつぶして鳥肉と混ぜて食べたりしていた.

どんぐりピット(どんぐりの詰まった穴)・・・貯蔵しておいたどんぐりを食べなかった.

縄文時代は貝塚の貝や骨の量から食べたくなったら取りに行けば食べられる時代であったことが分かっている.

食べ飽きるほど食べ物があった.


三内丸山遺跡の出土遺物でまだ重要文化財になっていないものが展示されている.

板状土偶はこの地域に特有なもの.

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女性を表している.


翡翠製品
が出てきている.

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きめの細かい砂をまいておき,竹の棒でその部分をきりきりと削っている.

あまりに大変なので途中で辞めたものも見つかっており,この穴の底は出べそ状になっている.

植物繊維の硬いところは深いが柔らかい中心は少し残ってしまう.

真ん中まで行ったら,裏からまた穴をあける.

下手な人は穴がかみ合わない.

しかし,失敗作をみることで初めて当時の技術が分かる.


火焔土器

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新潟県十日町市野首遺跡出土

新潟県の限られた地域で4500年前の限られた時期のみつくられていた.

神さまに備えるための特殊な土器と言われていたが,全てがこの形で煮炊きに使っていた痕跡があることから,普通に使っていたと思われる.

分厚いので熱効率も良くないはずだが,なぜかこのような土器が流行っていた.

理由はよく分かっていない.


貝輪

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佐賀県吉野ケ里遺跡

イモガイ(毒がある)を縦割りにした腕輪.

腕輪をつけた女性の人骨が多数出土している.

腕が入らないほど小さいサイズなので子供のころにつけて,死ぬまでつけっぱなしか?

腕輪を通している手の骨が砕けている人骨も見つかっていることから,死後に無理矢理装着させている可能性もある.

腕輪には傷がほとんどないので,死後につけたか,王族につけたような可能性がある.

ほとんどが左手に装着しいているため,右の腕輪は生きている間に壊れてしまった可能性も考えられる.

古墳時代には腕輪は石で作られるようになり,最終的には腕にはつけずに亡くなった人の横においておいたり,棺桶に粘土をぬって張り付けたりしている.

飛鳥時代には廃れていく.


骨壺

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茨城県常陸大宮出土

この地域では一回埋葬し,骨になった段階で骨壺にいれて埋葬する再葬を行っていた.

この顔は刺青を表現している.

魏志倭人伝にも書かれているが日本ではある程度権力がある人が刺青をしていた.

この骨壺はこの地域の権力がある人の顔をかたどったのではないかと言われている.

中国では犯罪者に刺青をいれていた.


銅鐸

弥生時代の代表的な遺物.

最初の銅鐸は聞く銅鐸で木につるして,ひれを持って振って音を鳴らす.

銅鐸の舌が一緒に出土した例や銅鐸の中が何かで傷ついていたりすりへったりしているものも出土している.

サイズが大きくなって,拝むものとして使われるような見る銅鐸への変化する.

そして銅鐸の祭祀が終わり,粉々に打ち壊されたものが発掘されている.

弥生時代の神である銅鐸から新しい神である鏡・剣・玉を迎え入れた.


水鳥の埴輪

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亡くなった人の魂を遠くの世界に運ぶ鳥.

記紀にはヤマトタケルノミコトが亡くなった時に白鳥が飛び立って,近畿の方へ飛んでいく話がある.

亡くなったミコトの魂が故郷に帰ったということ

白鳥などの渡り鳥が多い.

水かきまで表現されているものも発掘されている.

水鳥の埴輪は近畿に多く,関東に少ないため,当時の人の死生観が地域によって違っていた可能性がある.

今後の研究が期待される.


家屋紋鏡

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普段は宮内庁に納められており,一年を通じて展覧会で回るのは初めてで,今後もあまり出展されることはないと思われる.

非常に貴重

四軒の家を鏡の文様にしている.

この屋根の形も家形埴輪と同じ形をしている.

高貴な人の使う衣笠が立てかけられているため,家も高貴な人のものであろう.

軒には鳥がとまっている.

日本では家形模様この一面のみである.


塑像

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川原寺跡出土.

飛鳥時代.

木で芯をつくり,植物繊維を混ぜた粘土をくっつけていき,きめの細かい粘土をはりつけて完成させる.

通常は土で作られた塑像を埋めると発掘することはできないが,山田寺は12世紀になって焼けたために,焼き物の形で残った.

建築素材は寺のそばにまとめて捨てられていたが仏の類は裏山の麓に大きな穴を掘って埋めており,ゴミと一緒に捨てずに供養していた.

興福寺の阿修羅も塑像である.

飛鳥時代は平和な時代で武力ではなく先進の文化を見せつけることで周りを屈服させる.

飛鳥時代のひとは先進の文化をどんどん取り入れていた.

その一つが仏教であり,飛鳥のまわりには四十五,六の寺が建てられていた.

瓦葺,柱は朱塗りという当時では特殊な建物であった.

伊勢神宮はお寺のことを瓦葺と呼んで蔑んでいた.


博多遺跡群

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中世

国際貿易港として古くから栄えた.

継体天皇の時代に那の津の屯倉として国の直轄地となっていた.

その後,鴻臚館から貿易商人の町へ.

中世になると博多を巡って争い,争奪戦が起きる.

貿易商人たち(中国人もいた)は戦乱が起きると自分たちの財産がなくならないように穴をほって隠していた.

戦争が終わったら掘り出して商売品として取り扱う.

この遺物は隠したまま掘り起こされていないので,貿易商人は戦乱に巻き込まれた可能性が高い.

この遺物は九州ではたくさん出土していることから,九州では安く買えたが,他の地方(大阪や関東)では値が上がった.

博多の商人たちが手広く商売をしていたという記述も残っている.

中国製品のようなめったに手に入らないものを売りさばいて巨万の富を手に入れていたと考えられる.


瀬戸古窯群

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古墳時代から日本でも有数の焼き物の産地であった.

平安時代になると,中央や貴族の命令で中国の焼き物のまねをし始める.
上記の写真はまねした焼き物である.

国家の力が衰えると下火になるが,焼き物で儲ける人が出てきて,自発的に焼き物を焼くようになる.

15世紀になると独自の焼き物を作るようになる.

15世紀末には茶の湯の流行をうけて天目茶碗など茶道具の代表的な生産地になる.

当時,他の産地では日用雑器は作るが,嗜好品はまだ作られていない.

その後,織田信長によって美濃に連れていかれて美濃焼や織部焼などのルーツになる.

江戸時代になると,尾張の徳川家が陶工たちを瀬戸に戻す.

尾張徳川家は茶器生産をバックアップしたようで,茶器などの遺物には尾張徳川家の家老たちの名前が書かれているものもある.

江戸時代の終わりにはパリの万博に瀬戸焼が展示されたり,西洋の陶器をまねて磁器生産を始める.


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狛犬は天皇皇后両陛下がご覧になられた際に,皇后陛下が天皇陛下に「見て,あれかわいい」とおっしゃっておられたとの事である.


以上が今回展示解説であった.
一部写真に私の服が写ってしまっており申し訳ない.

展示内容から派生する部分についても説明していただき,非常に面白い解説であった.

それにしてもなぜ,この「日本発掘」が江戸東京博物館で行われたのであろうか.

博物館のコンセプトとあっていないように感じてしまうのだが.

まあ,「マーニー展」の方がより謎ではある.


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by Allegro-nontroppo | 2014-08-26 20:18 | 博物館

纏向遺跡と国の成り立ち

「纏向遺跡と国の成り立ち」を受講した.

講師は桜井市教育委員会文化財課の森暢郎氏である.

森氏はあの「纏向遺跡」を担当していらっしゃるそうだ.

なお,今回の講座は「ヤマト王権はいかにして始まったか~ムラから国へ 唐古・鍵遺跡,纒向遺跡,オオヤマト古墳群~」のイベント関連ミニ講座の一つである.


纏向遺跡
は桜井市の北部,大和川の右岸に所在する遺跡で,奈良盆地東側の縁辺部に立地している.

3~4世紀に栄え,記紀に大王の宮殿の所在地として登場しており,近年大型建物跡を検出し話題になった.


纏向遺跡が注目される理由としては,

・日本最古にして,当時最大という説もある箸墓古墳の存在

・箸墓古墳(3世紀後半)より古いお墓の存在・・・纏向石塚古墳,ホケノ山古墳,矢塚古墳など

・特殊な遺物の出土・・・最古級の木製仮面,染織を示すベニバナ花粉・特殊器台

・外来からもたらされた土器の多さ

・農耕具の欠如 居館遺構の存在


日本列島の国のはじまり

今年(2014年)は皇紀二六七四年=日本国建国は紀元前660211日とされる(建国記念日).

日本書紀の記述にある神武天皇即位記事を元に明治時代に制定.


国の定義は様々・・・税金,軍隊,官僚,外交能力,政府の存在など


日本列島で「国」とよばれるまとまりができるのは弥生時代(紀元前1世紀)の九州.

「漢委奴国王」金印,奴国の前漢朝貢(AD57

国のはじまりを3(纏向遺跡)・5(仁徳天皇陵)・7(飛鳥時代)世紀のいずれと考えるのかという議論=七五三論争

1世紀を国のはじまりと捉える説・・・「初期国家」


纏向遺跡と国の成り立ち

箸墓古墳など,纏向古墳群の存在・・・他の地域にはない大きな古墳づくりのはじまり

箸墓古墳は全長約280m(堀の跡を含めると400m超える),体積35m2を人力で築造(当時,日本列島には馬がいない)

奈良の人々だけで出来たとは考えにくい.

各地のたくさんの人に命令し,モノを動かし,計画的に古墳を作る組織があることを示している.

弥生時代の墳墓とは規模が違っている.

3世紀当時最も大きいお墓があるのは纏向遺跡.

古墳の形と規模が優劣を示す社会で,中心的な土地であることを物語る.

前方後円墳は九州から東北南部におよぶ(それまでは地域ごとの独自の形)

=祭りの考えかたが共有されている(特にエリート層は考え方のまとまった集団).

多くの外来系土器や特殊な遺物の出土

多くの物資や人々・情報が集散していたことを示している.

居館遺構の存在(大型土坑・2~3千の桃の種,漆塗りの弓)

支配者の存在を直接に示している可能性.

3世紀前半としては最大規模の建物.

日本列島を広く覆う最初の「国」の成立を考える上で中心ともいえる,非常に重要な遺構.


纏向遺跡についての基本を学ぶための講座だったように思う.

纏向遺跡といえば必ず話題にでる,卑弥呼や邪馬台国に触れずに国の成り立ちの部分に絞って講義されていた.

卑弥呼問題は興味深くはあるが,これが絡むと必ず講義内容がぶれることが多い.

纏向遺跡は大王制の成立など重要なことが多いのでぶれずにお話頂いたのは非常によかった.

「ヤマト王権はいかにして始まったか~ムラから国へ 唐古・鍵遺跡,纒向遺跡,オオヤマト古墳群~」の企画の一つとしてパネル展示があったので撮影させていただいた.
以下はその写真.

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纏向遺跡

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纏向遺跡綾辻地区

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箸墓古墳

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特殊遺物ー仮面ー




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by Allegro-nontroppo | 2014-08-24 20:14 | 講演会,シンポジウムなど

大和弥生社会の終焉とオオヤマト古墳群の出現

「大和弥生社会の終焉とオオヤマト古墳群の出現」を受講した.

講師は天理市教育委員会文化財課の青木勘時氏である.

青木氏はオオヤマト古墳群を構成する「黒塚古墳」を担当していらっしゃるそうだ.

なお,今回の講座は「ヤマト王権はいかにして始まったか~ムラから国へ 唐古・鍵遺跡,纒向遺跡,オオヤマト古墳群~」のイベント関連ミニ講座の一つである.


まず,古墳出現前史としての大和地域概観の説明があった.

オオヤマト古墳群は大和古墳群,柳本古墳群,纏向古墳群の三つの古墳群の総称である.

この中で大和古墳群が最も古い.

オオヤマト古墳群のある大和地域は大和川水系が網の目状に走っている.

そのため,農業への利便性がよく,物流の中心となることができた.

考古学的にみると,痕跡が残りにくい地域である.

奈良盆地における弥生集落は川筋ごとに展開しており,水を制御できた集団が拠点を築いているのが分かるらしい.


次に弥生拠点集落についての説明があった.

例として平等坊・岩室遺跡が挙げられた.

この平等坊・岩室遺跡は環濠をもつ歴代・拠点遺跡ということである.

平等坊・岩室遺跡は扇状地で,この地形ができたところで人が住み始めた.

弥生時代前期~中期では水を制御する環濠ができる.

始めは輪の閉じない小さな環濠だったが,二重,三重と拡大していき,近接地にも環濠が造られるようになる.

これは人口が増えたためである.

さらに環濠の周辺には生産域や墓域が造られる.

弥生時代後期後半には環濠の中の小高い特定の囲まれた地域ができる.

これは首長居宅と思われる.

また,後期の環濠は中期の環濠と交差して造られる.

遺物としては,外来系遺物が発掘されるようになり,弥生時代後期末には庄内式土器が発掘されるようになるということだ.

この庄内式土器はおおやまとの範囲からのみ発掘されるとのことで,模様のつけ方からいくつかの集団が存在することが分かるとのことである.

そして,オオヤマト古墳群はいくつかの集団が一系のみではなく,多系で古墳を作ったということがわかるらしい.

纏向遺跡は古墳を作るために集まった人々が住んでいたのではないかと考えられるとのことだ.


正直なところ,古墳の出現の話あたりはよく理解できなかった.

天理市立黒塚古墳展示館というものがあるらしいので機会があったら訪れて,このあたりを理解したいと思う.


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by Allegro-nontroppo | 2014-08-21 20:51 | 講演会,シンポジウムなど

エボラ出血熱の流行から,製薬業界を考える

エボラ出血熱が流行している.

今回の流行は今までとは違い,都市部で流行しているために防除が追い付かないようで,終息の見通しも立たないとのことだ.

このエボラ出血熱の病原体であるエボラウイルスは致死率が50-80%という死亡率を持つ種類も存在する一方で,有効な治療薬がないことが問題である.


この治療薬がないという問題を業界の怠慢と見出しにつけた記事を発見した.

本当にそうだろうか?


先発医薬品の開発には,一般的に、917年という長い年月と,200300億円もの開発費がかかります.また,有望な新しい成分が発見されても,開発していく段階で,人の体内でうまく働かなかったり,毒性が強すぎたりして,途中で開発を中断することも多く,実際に先発医薬品として承認されるのは,医薬品として開発を始めた成分の4000分の1以下といわれています.

日本ジェネリックのHP抜粋してみた.

先発医薬品とは新薬と同じ意味であるから,これは新薬の開発の話でもある.

開発に200300億円かかり,さらに生産にもお金がかかる.

その一方で今回の流行では2014811日までのWHOまとめによれば,感染疑い例も含め1975名が感染し,1069名が死亡(死亡率54%)している.

1976年の発見以来の大流行だというから,これまでの感染者は5000名を超えないのではないのだろうか.

この規模で,また被害の対象がアフリカということから,例え治療薬開発にこぎつけたとしても,開発費を回収できないと製薬業者が断念していたとしても仕方ないように思われる.

まさか,開発費を製薬会社にまるかぶりさせてでも開発させるわけにはいくまい.

以上を踏まえても,製薬企業を批判するのならば,現在開発中の治療薬の治験に謝礼金なしで参加するくらいの覚悟はもつべきである.


私とて,企業は金儲けのみすればよく,社会貢献の必要性はないなどと言うつもりはない.

製薬会社は特に新薬開発という点で社会貢献をしていくべきだろう.

ところが,製薬会社にもキャパシティというものがある.

この世に存在する全ての病に対する治療薬を同時に開発など到底不可能である.

当然,優先順位というものがある.

では,エボラ出血熱の優先順位は高かったのだろうか.

エボラ出血熱の致死率はかなり高い.

しかし,これまでの年間死亡者数でいうならば,そう高いものではないだろう.

例えば,インフルエンザや癌などエボラ出血熱より死亡者数の多い病気はいくつか思いつく.

人の命を数ではかるなという人道的な意見もあるかもしれないが,治療薬の開発順序をつける際にこれ以上の理由は無いように思う.

また,現在,治験実施中の薬はこれらの病気が圧倒的に多いのだ.

治験中であるということはイコール開発中ということである.

必要とする人の多い薬を先に開発しているということであろう.


以上から,今回のエボラ出血熱の流行に関して,治療薬がないことに,簡単に怠慢だと言ってしまうのは近視眼的ではないかと思う.

さて,まだエボラ出血熱に対する治療薬はないと言われているものの,開発していないわけではない.

例えば,今回,アメリカ人医師に投与された未承認薬である「ZMapp」である.

また,富山化学工業の「ファビピラビル」はインフルエンザの治療薬として国内で製造販売承認を取得しているが,エボラ出血熱にも効果があるのではないかと期待されている.

終息の見込みがない今の状態はさらに,治療薬の開発に加速をかけると思われる.


また,新薬の開発もすすめていけたらいいと思う.

例えば,「希少疾病用医薬品・希少疾病用医療機器の指定制度」のような支援が受けられればよいと思う.

エボラ出血熱の感染者は今のところ国内にはいないためこの制度を適用することはできないが,WHOFDAPMDAなど,連携してこのような制度をつくることができればいいと思う.

それが,エボラ出血熱のみならず今後の新たな病気の治療薬開発に役にたつものと思う.


さて,随分,製薬業界を擁護する記事を書いてしまったものだと,このブログを書くに至った「業界の怠慢」の記事を確認してみたら,訂正されていた.

理不尽な記事だと考えた人が他にもいたのだろうか.

「業界の怠慢」を「市場の失敗」と言い換えたところで,近視眼的であることには変わりない.


とりあえずリンクをはっておく.
訂正:アングル:エボラ熱拡大、背景には製薬市場の「失敗」も


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by Allegro-nontroppo | 2014-08-16 20:09 | あれやこれ

上生菓子で夏花を愛でる2014 ②

またまた,上生菓子を購入してしまった.

今回はくらづくり本舗(HPはこちら→)の上生菓子である.

里の萩(さとのはぎ)

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小倉餡包みの草色と白煉切のキントンソボロです.
本紅色新挽粉を散らして『夏萩』を表しました.

萩の花は,秋の七草のひとつです.

9月頃に蝶形の花を総状につけます.

山地など,秋の到来が早いところでは,夏の間に早々と咲くものを『夏萩』といいます.

草色のキントンソボロで,萩の葉が青々と茂っている様子を表し,本紅新挽粉をかけて『萩の花』に見立てました.

以上HPより.

夏の草原に萩の花が咲いているところを遠くから見た風景ということで,非常に日本らしいお菓子だと思う.

餡は粒餡だが,そこまで粒が残っているように感じなかった.

粒餡には間違いないので,全体的に口どけは良くないということで,甘味は口に残る.


涼やか(すずやか)

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白中割餡包みの黒すり胡麻入り雪平餅です.
水色錦玉を流し,朝顔の葉を付け,涼やかな『井戸辺』の風景を模りました.

8月は,一年を通して一番暑い季節です.

涼を求めて,水辺に出かけることも多くなると思います.

涼水の中でも,一番冷たい水が地下から湧き出る井戸水で,夏の暑い季節の涼しげな井戸辺の風景を雪平餅を使い,涼感たっぷりに仕上げてみました.

以上HPより.

かなり好みである.

薄い雪平餅の中にぎっしりの白あんが入っているが,後にひかない適切な甘さであり,名前を裏切らない涼やかさであった.

見た目も「井戸辺の風景」ということで,涼しい.

上生菓子らしいとは言えないかもしれないが,このセンスを来月以降も期待したくなった.


紅芙蓉(べにふよう)

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薄紅色と白煉切のボカシで『芙蓉の花』を模りました.
中餡は,小豆皮むき餡です.

芙蓉の花は,晩夏から初秋にかけて淡紅色の10センチほどの五弁の花を咲かせますが,一日で萎びてしまいます.

まれに,白花もあり『白芙蓉』といい,はじめは白色から紅色に変わる『酔芙蓉』の八重咲きもあるそうです.

可憐に咲く芙蓉の花を煉切餡を使い表現しました.

以上HPより.

写真では分かりにくいが,薄紅色と白煉切のボカシで芙蓉の花を作っていて,細かいところに芸があるなと思わせる.

全体的に固いような気がしたけれど,口どけが良いのでこれはこれでよい.

今回,一番オーソドックスではあるけど,手抜きなくおいしいのが素晴らしい.


晩夏(ばんか)

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黄味中割餡に半栗を付けて『栗かの子』に仕上げました.
赤とんぼと氷餅を塗して,秋の近づく『晩夏』を表しました.

最近では、猛暑と呼ばれる暑さですが,旬ともなると朝晩は涼しくなり,なんとなく秋の気配が感じられます.

そんな風景を表現したく,栗かの子を使い『初茜』と『氷餅』で涼しげな風を表し,夏惜しむ晩夏を仕上げました.

以上HPより.

黄味中割餡はしっとりしている.

全体的にはやはり栗の味が口に広がる.

見た目といい,味と言い,秋のお菓子というイメージである.

旧暦にあわせて,8月と言えどもこのようなお菓子が必要なことも多いのであろう.

個人的には,9月以降に味わいたいお菓子であった.


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by Allegro-nontroppo | 2014-08-09 20:38 | あれやこれ

何故,吉野が「聖地」となったのか?

奈良学ナイトレッスン 平成26年度 第4夜「わたしたちの聖地、吉野」を受講した.

本年の奈良学ナイトレッスンの当ブログ記事はこちら→ 第1夜 第2夜 第3夜

講師は吉野歴史資料館館長の池田淳氏である.


聖地吉野の誕生

よき人のよしとよく見てよしと言ひし 芳野よく見よよき人よく見 「万葉集」巻第1・27


仙柘枝の歌三首

あられふり吉志美が嶽を険しみと草とりはなち妹が手を取る

右の一首は,或いは云わく,吉野の人味稲の柘枝仙媛に与へし歌なりといへり.但し,柘枝伝を見るに,この歌あることなし  「万葉集」巻第3・385


この夕柘のさ枝の流れ来ば梁は打たずて取らずかもあらむ    「万葉集」巻第3・386


古に梁打つ人の無かりせば此処にもあらまし柘の枝はも    「万葉集」巻第3・387

右の一首は,若宮年魚麻呂の作
よき人:雄略天皇説がある

あられふり:「肥前国風土記逸文」の杵島山条に「あられふる杵島が岳を峻しみと草採りかねて妹が手を取る」とあり,「あられふり吉志美…」と類似している.

歌垣の折の歌として広く流布していたと考えられている.


七言.吉野川に遊ぶ.一首  紀男人

萬丈の崇厳削成して秀で,千尋の素濤逆析して流る

鍾池越潭の跡を訪はまく欲り,留連す美稲が槎に逢ひし洲に


萬丈の崇厳:万丈もある高い厳

千尋:非常に深い谷

逆折:さかまき曲る

槎:浮き木.ここでは柘枝のこと.


上記の歌にもあるように吉野は天女が舞い降りるのにふさわしい場所と認識されていた.


突然の変化―吉野川の蛇行―

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上は吉野川周辺地図.
①は大名持神社の所在地.


「大和めくりの記」(貝原益軒)や「神々の乱心」(松本清張)に記されているように大和上市あたりを境に吉野川は上流では急激な曲りで蛇行し,山地に挟まれた渓谷を流れているが,下流では大河のようにまっすぐ流れ,河原も形成されている.


この変化の地点に鎮座しているのが「大名持神社」である.

大名持神社は「延喜式」に記載される式内であり,吉野郡十座 大五座のうちの一社で名神でもある.

「三代実録」貞観元年(859)正月27日条によれば,京畿内七道諸神進階及新叙(中略)大和国従一位大己貴神正一位とある.

大神神社(大和国一宮)の大物主が正一位を授けられるのは,大己貴神より僅かに遅れ貞観元年21日,大和国内で大己貴神以前に正一位の神階を授けられているのは春日社のみ.


【参考】吉野郡十座 第五座 小五座

吉野水分神社 大 月次新嘗

吉野山口神社 大 月次新嘗

大名持神社 名神 大 月次相嘗新嘗

丹生川上神社 名神 大 月次新嘗 ※上社と中社のどちらか判明していない.

金峰神社 名神 大 月次相嘗新嘗

高桙神社 鍬

川上鹿塩神社 鍬

伊波多神社

波宝神社 鍬

比売神社


余談:大名持神社から大汝宮へ

室町時代の「大頭入衆日記」では,「応永七年カノエタツ九月四日座衆百姓評定云,天満神主殿大汝神主殿両人座敷事…」と記載されている.

「造営方仕日記」寛正4912日条でも,「大汝宮番匠ケン永代」とある.


読み方が「おおなもち」→「おおなんじ」に変化している.

おおなんじの意味は当時の日葡辞書より「危険な」「厄介な事」.

やっかいな宮,危険な宮と言う意味にとれる.

大蛇行のある川は非常に危険である.

大名持神社は蛇行の変化点に鎮座していることから,危険が始まる場所ということになる.

事実,この地点の吉野川には「南無阿弥陀仏」という名号が刻まれている.

つまり,大己貴神は「曲がり角の神」ということになる.


また,大名持神社の社前に潮生淵があったということが「大和志」や「大和名所図会」に記載されている.

周辺でかなり強い炭酸温泉が湧いていることから,この潮渕でも同様であったことが想像できる.

この潮渕の水を使い,明日香村や橿原では神事の前に禊を行っていた.

また,酒田では潮渕の石を使い湯立て神事を行っていた.

何故聖地に見えるのか?

七言.吉野の作 一首 多治比廣成

高嶺嵯峨奇勢多く,長河渺漫廻流を作す.

鍾池超譚凡類を異にし,美稲が仙に逢ひしは洛州に同じ.


長河:吉野川

渺漫:限りなく広い様子

鍾池と超譚:鍾池は古代中国の呉にあった池.超譚は越にあった深い淵

洛州に同じ:魏の曹植が落水の辺で仙女に出会ったという故事

大意:吉野の山々は険しくそばだって変化に富み,吉野川は限りなくとうとうと流れ,あるいは曲がりくねって流れている.呉の鍾池や越の淵を思わせる風景はありふれた平凡なものではなく,美稲が美しい仙女に逢ったという故事は,魏の曹植(曹操の五男.唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者)が洛水のほとりで仙女とであったという話と同じではないか.


つまり,飛鳥京から来た人々にとって,全く違う景観であり,自分の住む世界と違うことから「神仙境」と認識された.


吉野の位置

今国樔土毛献る日に,歌訖りて即ち口を撃ち仰ぎ咲ふは,蓋し上古の遣則なり.(中略)其の土は,京より東南,山を隔てて吉野河の上の居り.峯嶮しく谷深くして、道路狹く巘し.故に京に遠からずと雖も,本より来朝ること希なり. 「日本書紀」応神天皇1910月条


上記にあるように,京より遠くないところに,京とは異なる景観があったことが「吉野=神仙境=聖地」とされた理由であったろうと思われる.


以上が今回の講演内容であった.

何故,吉野が聖地となったか?という部分については深く述べられた本はあまりないので,非常に興味深かった.

しかし,内容に満足したかというとそれは別問題である.

例えば,神仙境といだけで大海人皇子が天智天皇のもとから逃れて吉野にくるものだろうか?

また,持統天皇が何十回も行幸するだろうか?

理由の一つにはなるかもしれないが,核心がつけていないように思える.

今回の講演を元にもっと他の観点から吉野を考察する必要がありそうである.


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by Allegro-nontroppo | 2014-08-05 19:16 | 講演会,シンポジウムなど

上生菓子で夏花を愛でる2014 ①

先月,楽しんだ上生菓子たちである.

こちらは全て「鶴屋吉信 TOKYO MISE」(HPはこちら→ )にて購入した.


・朝涼し-あさすずし-

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まだ涼しい夏の朝,花ひらくアサガオを表現したとのこと.

:白あんは甘さ控えめであったが,少し舌に残るような印象だった.

牛皮が分厚いのでその分甘さがさらに抑えられているようだった.

寒天で瑞々しさを表現してるのが見た目に涼しい.


・紅花-べにばな-

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紅花の花を表現したとのこと.

:きんとん製粒あんとあって,「朝涼し」に比べると確実に甘い.

その分口どけがよいのですっきり食べられる.

こしあんだったら確実に私の好みだった.


・水ぼたん-みずぼたん-

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葛を使い,牡丹を水中花の様に見立てたとのこと.

葛製紅あんということで,紅あんはもう少し,甘味が抑えられていた方が好みではある.

口どけはいいのだが.

また,葛部分ももっとやわらかい方が好み.

葛がやわらかければあんの甘みもそこまで気にならないのかもしれないが.


以上.

八月の上生菓子も楽しみである.


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by Allegro-nontroppo | 2014-08-03 19:17 | あれやこれ