特別展 高麗郡 一三〇〇年~物と語り~@埼玉県立歴史と民俗の博物館

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特別展 高麗郡 一三〇〇年~物と語り~を鑑賞に埼玉県立歴史と民俗の博物館へ出かけた.
以下概要.


プロローグ 高麗郡ヲ置ク

続日本紀 巻7(井上家文書)
駿河,甲斐,相模,上総,下総,常陸,下野の東国七か国の高麗人一七九九人を武蔵国に移し,新たに高麗郡を置いたという記述部分である.

当時,東国にそんなにも高麗人がいたのかと驚かされる.


物~もの~

第一章 高句麗―高麗人―のふるさと

高句麗広開土王碑墨本(模刻本)Ⅰ面

広開土王碑を木版に模刻して刷ったものだという.

拓本以外にも碑文をとる方法があるとは勉強になる.

碑文の内容自体については,もっと解明されるよう,今後の研究に期待したい.


模写 梅山里四神塚「玄室東壁」

梅山里狩塚の東壁には日像と青龍などが描かれている.

玄室の四神図ということで,高松塚古墳やキトラ古墳壁画を思い出すが,中国大陸だけではなく朝鮮半島の影響を受けているのだろうなと思わせられる.


第二章 東国の渡来文化

牛塚古墳 金銅製指輪

銅板を曲げて円環をつくり,薄い金板で覆った指輪ということである.

その様子がはっきり見て取れるのが面白い.


那須国造碑拓本

那須国造碑は簡単に説明すると墓碑の一つで日本三大古碑の一つであるという.

北魏風の書風であることや唐や新羅の年号を使用していることから,新羅人の関与が示唆されているという.


多胡碑拓本

多胡碑も日本三代古碑の一つだそうだ.

「多胡=多くの故人」,「韓級」という郷名,文中に存在する渡来系氏族とされる「羊」など朝鮮半島の影響があるそうだ.

日本三代古碑のうち那須国造碑と多胡碑の二つが大陸の影響を色濃く残すということを考えると,碑に対しては当時の日本は後進国であったのだろうか.


第三章 古代高麗郡の景観―寺院・集落・産業―

寺院

古代高麗郡には女影廃寺,大寺廃寺,そして高岡廃寺と3つの寺院が存在し,後者2寺院は本格的な建物であったことが確認できているようだ.

大寺廃寺跡からは平城宮系の瓦,高岡廃寺からは円面硯や灰釉陶器,緑釉陶器などが発掘されているそうで,平城京から遠く離れた地といえども,かなり先進的な地であったのではないだろうか.


集落

堂ノ根遺跡からは常陸国新治産の須恵器が発見されており,続日本紀に記されているように常陸国からの高麗人の移住を示す資料ということで面白い.

捨石・王神遺跡からは官人の存在を思わせる遺物,そして光山遺跡群を含めて掘立柱建物跡も存在しているそうである.


産業

東八木窯跡,高岡窯跡など須恵器や瓦の生産が行われていたようである.


第四章 高倉福信―高麗郡出身の官人―

続日本紀 巻四〇(井上家文書)

高倉福信は高句麗で活躍した軍人を祖父に,長屋王に仕えた学者を叔父にもった地方出身者であったが,中央の要職についた人物で当時の皇太子の孝謙天皇や光明皇太后と交流をもった人物であったそうである.

上記のような内容が続日本紀に記されているそうである.


法隆寺献物帳(狩谷棭斎 模刻

孝謙天皇が父親の聖武天皇所縁の品々を法隆寺に献納した際の目録ということである.

聖武天皇の遺品は光明皇后が東大寺に献納し,それが正倉院の根幹をなす宝物となったはずで,かなりの品々が納められたはずだが,それ以外にも法隆寺に献納されていたとは,当時の天皇とはどれだけものすごいのだろう.

ここに福信の自署が藤原仲麻呂や藤原永手と並んで記されているのはすごい.


群書類従 一二二巻 文筆部「懐風藻」

福信の叔父肖奈王行文は懐風藻にも記載されているということである.

また,改めて確認してみたい.


語り~かたり~

第一章 高麗郡の始祖―高麗若光―

日本書紀 天智天皇五年にやってきた高句麗の使者の中に二位玄武若光という人物が記されており,母国が滅亡してしまったことにより,後に高麗若光として日本に留まることになったと考えられているそうだ.

続日本紀では王姓を与えられたことが記されているそうである.

藤原宮跡東面大垣地区では西暦七〇〇年前後の木簡が発掘されているがその中に「若光」と記されているものも発見されている.

また,箱根山縁起井序,相模国鶏足山高麗時略縁起,新編相模国風土記には相模国大磯の高麗山に「高麗和光大神」が勧請されたことなど高麗寺や高麗権現社に関する記事があり,高句麗や高麗郡との関係を考えさせられる.

さらに,高麗郡内の白鬚神社の御祭神白髭明神は高麗若光と同体とされているそうで,神として今なお祀られているようである.


第二章 高麗神社と高麗山聖天院の宝物

日本の古い寺社では神仏習合の影響がみられることが多く,高麗神社の宝物として大般若経などが見られることは納得できることである.

その一方で,聖護院門跡御教書(金襴袈裟免許状)や熊野三山若王子奉書(院号免許状),そして大宮御宝印など修験道を示唆する宝物が残されているのは不思議なことである.

これについて,聞いてみたいとは思ったものの,質問するチャンスがなく残念である.


第三章 記憶の浮上―高麗神社を中心にー

明治期の神仏分離令により,当時の修験道は大打撃を受けたように大宮寺別当も復飾を願い出て神官として勤めることになったそうである.

その他,高麗神社を訪れた人々として,歴代総理大臣ほか,太宰治,坂口安吾などが紹介されていた.


以上.

高麗郡を対象にした特別展というのは珍しく,また今年は渡来人に興味を持っていたこともあって,非常に面白かった.

古代朝鮮や渡来人となると任那や百済が話題となることが多い中,高句麗を対象にした本展は非常に勉強になった.

機会があれば高麗郡周辺や高麗神社にも行ってみたい.


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by Allegro-nontroppo | 2016-08-21 21:03 | 博物館
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