「飛鳥学講演会」 推古女帝の時代~飛鳥を翔けた女性たち~

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「飛鳥学講演会」に参加してきた.

本年度は「推古女帝の時代~飛鳥を翔けた女性たち~」をテーマに講演やパネルディスカッションが行われた.


「最近の発掘成果―牽牛子塚古墳・飛鳥寺西方遺跡の調査―」

講師:長谷川透氏(明日香村教育委員会文化財技師)

◎牽牛子塚古墳

8年前の調査で墳丘が八角形,凝灰岩を敷石にバラス敷であり,仕切り石(長方形)を挟むことが判明していた.

今回の調査では一部,凝灰岩の敷石が抜き取られていることが分かった(貼り石があったはずだが痕跡のみ)

バラス敷の下から版築層(大規模な造成)→性質の異なる土を交互に敷いて突き固める

牽牛子塚古墳のほど近く,越塚御門古墳からは墓壙が発見された.

→牽牛子塚古墳の版築を壊して作った(土の性質が違う)


◎飛鳥寺西方遺跡

石組溝の発見…一旦埋め立てて作り直した

槻の木の広場を区画するor排水のためか?

平安時代(10世紀)の土師器2枚土器8枚×3の1セット,土師器5枚の1セット発見

→槻の木の広場のその後,特殊な祭祀か?

2石列…飛鳥時代でも古い段階→槻の木の広場以前


長谷川先生は以前参加させて頂いた飛鳥寺西方遺跡の現地説明会でも講師をされていた方である.

あの旅が懐かしい.


「夜の政」

講師:里中満智子氏(漫画家)

藤原仲麻呂が天皇を唐風に“皇帝”と呼ぶようにした→日本の歴史上,女帝は孝謙天皇のみ

推古天皇の名前の由来は「古(いにしえ)を推し量る」という意味で,古事記が記された当時の古代現代(奈良時代)の境目であったのではないか→古事記の最後を飾る天皇が推古天皇

推古朝から正式な外交が始まる…推古天皇八年(600年)遣隋使

日本のように王朝が変わらないと神話・伝説が歴史につながる

古事記…明らかな歴史は箇条書き→このあたりでリセット

日本書紀…外交に使える→漢文


アマテラスは最高神ではあるが圧倒的な力はない

卑弥呼・神功皇后

女性:神の声を聞く

男性:実行する(実務)

天皇は夜に神の声を聞いていたのが昼に政治をするように変化

推古天皇39才で即位→74才まで


里中先生は持統天皇を主人公に据えた「天上の虹」の作者でいらっしゃる.

今回も資料の中に推古天皇と厩戸皇子(聖徳太子)の漫画を寄稿されていた.


「女帝の誕生と推古朝」

講師:吉村武彦氏(明治大学名誉教授)

7世紀初め 推古朝:厩戸皇子・蘇我馬子で語られる

→太子信仰の影響…奈良時代以降10世紀~の人物のイメージ(彫刻・画)

推古天皇…聖徳太子絵伝(鎌倉時代)のイメージ

天皇の歴史

古事記…推古女帝まで,元明天皇へ献上される

日本書紀…持統女帝まで,元正天皇へ献上される


孫への継承:推古天皇→舒明天皇,持統天皇→文武天皇


推古天皇

額田部皇女,豊御食炊屋比売命(シャーマン的)

→古事記最後…推古以前で分ける

541年 誕生

571年 18歳 敏達天皇妃

572年 19歳 敏達天皇即位

575年 22歳 広姫立后(正月),広姫(11月)

576年 23歳 額田部皇女立后


幼名 額田部皇女

額田部連比羅夫が海外交渉…額田寺付近(斑鳩寺の近く)で幼いころ過ごした

→聖徳太子と推古天皇の関係

「姿色端麗しく,進止軌制し」と記される.


即位の事情 一夫一妻多妾制

・欽明天皇の子供世代

・即位の適齢年齢は35歳以上

・孫の世代は20歳前後


欽明朝:百済から仏教伝来

蘇我稲目は受け入れを主張

稲目の邸宅

小治田家(飛鳥寺北方付近):仏像

向原家(豊浦寺付近):寺


推古朝

5世紀「倭の五王」の冊封体制から離脱

607年 「日出(東)処天子」,「日没(西)処天子」

608年 裴世清 国王と対面

    隋書 国王は男性

    →外交においては厩戸皇子…姿を見せない女帝の外交(大殿に推古はいる):隋は国王に会ったことにした


改葬記事

推古元年 用明天皇陵

推古20年 堅媛


推古天皇 薄葬(竹田皇子)


日本の国号 701


飛鳥・奈良時代の人の古代は推古朝までという認識


「パネルディスカッション」

パネラー:里中満智子氏(マンガ家),吉村武彦氏(明治大学名誉教授)

律令制

女官はいない

男性社会

人=男

夫人=女

律令制以前以後で変わった

律令制の常識で日本書紀を考えている

男性中心社会ではあったが,実力のある人がいなければ女性でも構わない


推古天皇:頂点に立っているのは推古天皇

蘇我氏:近代化へ,官僚制までいかなかった

藤原鎌足:仏教,儒教に関心(中臣は神祇の家柄)

藤原不比等:官僚制へ(蔭位の制度など制度化した)


「姿色端麗しく,進止軌制し」と書かれた推古天皇と元正天皇のみ

→当時の人からすると本当に美しかった

終身王位制→大化の改新まで

幼帝は天皇制がしっかりしないと難しい(誰がなっても構わない)


新しい視点が得られた講演会であった.

来年も飛鳥を翔けた女性たちを取り上げるのだろうか.

来年も楽しみにしたい.


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by Allegro-nontroppo | 2016-07-18 22:20 | 講演会,シンポジウムなど
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