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特別展 「始皇帝と大兵馬俑」@東京国立博物館

あけましておめでとうございます.

昨年はゆるい頻度で更新を続けておりましたが,本年も頻度は変わらないと思います.

昨年同様、あたたかく見守っていただけるとありがたいです.

昨年の予告通り,特別展「始皇帝と大兵馬俑」から更新を始めます.


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特別展「始皇帝と大兵馬俑」を見に,東京国立博物館まで出かけた.

20151223日,東京国立博物館の2015年最後の開館日のことである.

そのような日だったので,混雑するのではないかと散々行くのをためらったが,私の周りは23日にクリスマスを行ったという人が多かったようで,自分が世間ズレしていることを思い知らされた.

それはともかく,人が多くて見えない出陳物があったなどということはなかったので,東京国立博物館にしては混雑してなかったのかもしれない.

さて,兵馬俑といえば,実物を見たことがなくても,写真や動画から受けるインパクトは非常に大きい.

また,始皇帝陵も世界三大巨大陵には数えられる規模である.

古墳や埴輪に関心のある私としては興味をそそられる特別展である.

会期が長いので,終了時期が早い展覧会から訪れていたため,やっと訪れることができたのであった.


以下,概要である.


南宮乎鐘, 秦公鐘

南宮乎鐘は西周時代に作成されたもので,秦公鐘は西周時代の鐘をまねて作成することで西周の後継者であることをアピールしようとしたそうである.

中国の歴史については非常にうといため,日本の歴史に当てはめて考えてみると,戦国時代の武将たちが,源氏の血統や平氏の血統をくむとアピールしていたのに似ているように思う.

権力者たちの考えることは一緒だ.


龍文透彫玉佩*, 玉觹*, 玉璋形器* , 玉璋形器*, 玉環, 玉璜, 玉佩

*印は秦で作成されたもので,印のないものは他の地域で作成されたと考えられているそうだ.

いずれも表面に文様が刻み込まれているが,秦で作成されたものは直線的であり,それに比べるとその他の地域で作成されたものは曲線を帯びている.

これも,西周の遺風を受け継いだものとのことで,最終的に秦が中華統一となったのも,ここに一つ要因がありはしまいかと思う.


(), 陶胎漆鼎(), 「工ちょう」鼎(中山国), 加彩陶鼎(), 灰陶鼎()

春秋戦国時代の各国の遺物が出陳されていたが,ここではあえて鼎に注目してみた.

鼎は祭祀儀礼の際に主に肉や魚を供えるのに用いられたとされる.

どれも鼎とはいえ,それぞれ違いがあって面白い.

例えば鼎といえば青銅器というイメージであったが,陶胎漆鼎,加彩陶鼎及び灰陶鼎はその名の通り陶製である.

周がかなり広い範囲を統治していたから,ある一定の文化を共有しているのだろうが,あまりに広い地域であったので地域ごとの個性が出てきたということだろうか.


蟠螭文鏡

卑弥呼の鏡として有名になった三角縁神獣鏡よりももっと古い鏡である.

細かい細工は三角縁神獣鏡から500600年も前に作成されたとはとても思えない.


獣面文金製金具, 獣面文金製金具, 鴨形金帯扣, 金円形装飾, 鍍金牛文帯飾板, 人物文帯飾板陶模, 馬文帯飾板陶模, 紅陶鏟足鬲, 紅陶鏟足鬲

秦に遊牧文化や西戎の文化が流入していたということを示す遺物ということである.

遊牧文化をうまく取り入れたことが秦が中華統一するほどの強かった理由かもしれない.


両詔権, 両詔量

両詔権は分銅,両詔量は升であり,どちらも始皇帝と二世皇帝の命が刻まれている.

始皇帝は度量衡を統一したということでその後の中国文化に大きく影響を与えたということである.

この時代の中国文化は圧倒的に突出していたのだなと思う.


半両銭, 半両銭母笵

始皇帝時代の時代に円形で四角形の穴の銅銭で中国の通貨は統一されたという.

日本での通貨は近江朝の無文銀銭が今のところ最も古い通貨と言われていることを考えるとあきれてしまう.


「郎中丞印」封泥, 「内官丞印」封泥, 「高章宦丞」封泥, 「上寝」封泥

既にこの時代から封泥が使用されていたという.

印については西洋と中華文化とでその信用度が全く異なっていると感じるが,このように古い歴史があればこそだからだろう.


平瓦, 丸瓦, 鹿文瓦当, 虎雁文瓦当, 狩猟文瓦当, 鳳凰文瓦当笵, 太陽文瓦当, 夔鳳文大瓦当, 取水口, L字形水道管, 水道管, 五角形水道管

始皇帝の宮殿は瓦葺で導水施設が整っていたという証拠である.

またしても日本と比べてみると,瓦葺の建物が建設されたのが早くても飛鳥時代ではないかと思う.

日本の建設技術が遅れていたというより,秦の技術が突出していたのだろう.

この特別展の出陳物から考えるに,秦というのはその技術力から考えると日本の飛鳥時代から奈良時代に相当すると考えられる.

中華の文明はなんて進歩していたのだろうと思う.


騎馬俑, 侍女俑, 侍従俑, 跽坐俑, 騎馬俑, 馬, 穀倉, 穀倉, 穀倉,

始皇帝の兵馬俑以前にも当然,兵馬俑は作成されていた.

サイズとしては,小さい人形レベルで素朴な造形である.

日本の古墳から出土する埴輪とよく似ている.

形象埴輪は兵馬俑から影響されている可能性があるのであろうか.


将軍俑, 軍吏俑, 歩兵俑, 立射俑, 跪射俑, 騎兵俑, 軍馬, 御者俑, 馬丁俑, 水鳥, 雑技俑

今回のメインである始皇帝陵の兵馬俑たちである.

先に鑑賞した秦以前の兵馬俑とは異なって,おそらく実寸大であろうサイズと写実性のある造形であった.

秦以前から急速に技術が発展したというより,かけた手間の規模が全く違っているのであろう.

一人ひとり容貌が異なっており,非常に凝った造りである.

兵馬俑の複製で再現した兵馬俑抗はあくまでも再現でありながら,迫力がすごかった.


弩弓(複製)

様々な本などで弩弓という言葉を目にしてきたが,実際の使用方法について深く考えたことがなかった.

ただ,狙いを定める必要があるはずなので,コントロールしやすいだろう手を使って使用するものだと思い込んでいた.

今回は複製の弩弓とともに使用方法の解説パネルが展示してあった.

足を使用して撃つものだとは驚いたが,弓をひくのにはかなり力がいると聞いたことがあるので,理に適っているのかもしれない.


石製鎧, 石製冑

古代中国の戦の再現画像や動画でよく見かける形の鎧と冑である.

鋼かなにかの金属で作成されているのかと思っていたが石製であったとは驚きである.


1号銅車馬(複製), 2号銅車馬(複製)

1号銅車馬が始皇帝の先導車,2号銅車馬が始皇帝の御用車ということである.

6000もの部品からなる銅車馬が完全に写しとられているそうである.

それぞれの銅車馬には御者の像をともなっている.

始皇帝陵墳丘のすぐそばから発見されたそうである.

それにもかかわらず,始皇帝の姿はないので,始皇帝の魂を乗せて運ぶための銅車馬ではないかと考えられているそうだ.

馬を見ても,かなりリアルに作成されていることが分かる.

遺物の質や量だけでも世界有数の大陵墓といえるだろう.


金馬面, 銜, 円形金銀辻金具, 金製管金具, 銀頸木飾り

上記の銅車馬以外にも木製の馬車が埋蔵されていたのだが,腐食してしまい,現在は形をとどめていない.

しかし,青銅や石,金銀などの木製馬車を飾りは残されていたそうである.

木製馬車の豪勢さが偲ばれる.


以上が概要である.

ついつい日本の古墳と比べてしまうのだが,古墳時代より数百年以上まえに築造された始皇帝陵の技術や埋葬品については数段上であったことが衝撃であった.

秦や始皇帝については知識がなかったので,おおまかに概要を知ることができたのはよかったと思う.

兵馬俑も見ておいて損はないものであった.

下写真は兵馬俑抗を再現したエリアで写真撮影をしたものである.

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写真撮影スポットといえば,漫画「キングダム」パネルも設置されていた.

特別展 「始皇帝と大兵馬俑」@東京国立博物館_f0305926_18550926.jpg
秦時代の最近の人気はこの漫画によるものが多いだろう.

私も面白いと思う.


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