三井記念美術館は久しぶりで、前回はブログ開設前に訪問したのである. 蔵王権現といえば,昨年,金峯山寺を訪れたときに秘仏・金剛蔵王大権現に朝昼晩と三回も会うことができた. 特に夜間拝感は素晴らしい体験をさせていただいたという思い出がある. そのような理由でこの特別展に出かけてみようと思い立ったわけである. 以下、展示品の感想. 蔵王権現像,蔵王権現懸仏 平安時代~鎌倉時代に鋳造されたとされる蔵王権現像が10体程度,懸仏はここでは1体出陳されていた. 全体的なポーズ等で蔵王権現と認識できるものの,右手に独鈷所を握っていたり,いなかったり左手は剣印を結んでいたり,いなかったりとちょっとした違いがある. これが,鋳造された時期の微妙な差を表しているのかどうかは私にはわからないが,興味深い. また,金峯山寺の秘仏・金剛蔵王大権現の印象があるのか,桜木造でなく,これらの蔵王権現像が銅製というのも面白い. 経箱・脚台付,双鳥宝相華文様箱 どちらも金峯山寺山上より出土したと伝えられているそうである. 経箱・脚台付には特に模様はないが,双鳥宝相華文様箱はガラス越しから見ても認識できるくらいには模様が残っていた. 平安時代に埋納されたのであろうから,模様が残っているのは驚異である. ところで埋納目的で作成された経箱のどちらにも脚や床脚がついているのは不思議に思う. 弥勒上生経残闕 下半分が焼失してしまっている経である. 奥書の発願文や記された年などから,藤原道長経筒に納められていた経の一つとされているそうだ. 藤原道長経筒は御堂関白日記から,埋納者がはっきりしているということで,もっとも有名な経筒の一つである. まさか,経の一部が残っているとは知らず,道長の文字の美しさに感嘆した. 聖徳太子立像,童子立像 金峯山寺蔵王堂外陣の厨子に安置されている聖徳太子立像と蔵王堂後陣に安置される童子立像二体である. 聖徳太子立像内には金堂舎利塔や摺仏残闕や経巻が納められていたそうである. 気になるのは童子立像で作風が聖徳太子立像と共通していることから,当初は山背大兄王と殖栗王であったという見解があるところである. もし,そうであるならば,なぜこの三体が金峯山寺蔵王堂に安置されているのか,興味深い. 吉野曼荼羅図 吉野曼荼羅図として二品,出陳されていた. 一品目には蔵王権現,大峯八大童子,役行者,前鬼,後鬼,牛頭天王,女神,金精明神,佐抛明神,勝手明神,若宮,子守明神,若宮姫,天満明神,八王子神が描かれている. 二品目には蔵王権現,雨師明神,役行者,前鬼,後鬼,金精明神,子守明神,若宮,勝手明神,若宮,大南持が描かれている. 吉野にはこんなにたくさんの神がいる,またはいたのである. 蔵王権現や役行者ばかりがクローズアップされるけれども,彼らが現れる前の吉野山はどのようであったのだろうか. ところで二品目に描かれた”大南持”は紀ノ川の湾曲点に築かれた大名持神社と関係があるのではないだろうか. 釈迦如来坐像 このような姿を裳懸座というそうである. この像は吉野では最古の彫像とされており,飛鳥時代に通じる古様であるそうだが,衣文表現から白鳳時代の作例と考えられるそうである. 加えて,所蔵しておられるのが櫻本坊とのことであるから,天武天皇と関わりがあるのではないかと思うのだが,どうだろう. 蔵王権現鏡像,蔵王権現懸仏 10を超える鏡像と懸仏が出陳されていた. 平安時代~鎌倉時代の作品である. これらを見比べてみると,蹴り上げる足と踏みしめる足の右左が逆転している蔵王権現がいらっしゃることに気付く. 作成時期が蔵王権現の姿が現在のように確定する前であったと考えてよいのだろうか. 国宝 蔵王権現鏡像は特に蔵王権現の迫力が素晴らしい. 国宝指定された理由は「山上導師所蔵霊鏡事」に記されているなどもあるのだろうが,毛彫りやデザインの素晴らしさを素人でも感じる凄さも理由の一つではないかと思う. 女神鏡像,僧形神・男神・女神鏡像,女神鏡像,僧形神懸仏,女神懸仏,男神坐像,女神坐像 吉野曼荼羅図のところでも書いたが,吉野には蔵王権現以外の神様もいらっしゃり,しかも信仰されていたというのを感じられる. 特に女神は優美にしようという気持ちが感じられる. 笈 山伏が山中で修行する際にさまざまな用具を入れて運搬したという笈である. 透かし彫りの美しい作品である. しかし,このような美しい笈を背負ってよく修行できたなあと感心する. 少しでも軽い方がいいのではないかなどと余計な心配までしてしまうほどの作品である. 投入堂古材,投入堂棟札 ここからは平安時代の建築国宝「投入堂(奥院)」で有名な鳥取県三徳山三佛寺関連の出品である. 解体修理時に取り換えられた古材と古い修理時の棟札である. 年代測定より縁板は1098年,垂木は974年,979年などの結果が得られたそうである. また投入堂はかつて塗装と飾金具で荘厳されていたことも分かっているらしい. 古材や棟札などから,今後も分かってくることがたくさんありそうで楽しみである. ところでこの投入堂の由来だが,役行者が法力で小さくして投入れたことからということである. TVなどでよく見かける投入堂であるが,知らないことばかりでもっと興味を持っていきたいと思う. 獅子・狛犬,狛犬 獅子・狛犬はかつて,投入堂の中に安置されていたそうである. どちらも木彫りであり,狛犬の方も雨ざらし出会った様子はうかがえなかったので,建物内に安置されていたのであろう. 平安時代から鎌倉時代のものだそうなので,その時代の獅子と狛犬の在り方に考えさせられる思いである. 蔵王権現像 かつて投入堂には正本尊,御前立,さらに六体の蔵王権現像が祀られていたそうで,この中から御前立と六体のうち五体の蔵王権現像が出陳されていた. 出陳された蔵王権現像はそれぞれポーズが違っている. さらに,かつては彩色されていたらしい. 一つのお堂に同じ仏像が八体も並んでいる姿というのは見たことがないし,聞いたこともない. 例えば釈迦如来が八体も並んでいらっしゃったらかなり驚くと思う. 三体であれば金峯山寺の秘仏・金剛蔵王大権現の例があるが,それぞれ釈迦如来,千手観音,弥勒菩薩の化身とのことであったので,投入堂にも何か謂れがあるのかもしれない. また,ここでは他に蔵王権現像三体も出陳されていた. 釈迦誕生仏像 素朴な釈迦如来で天上天下唯我独尊の姿をしていらっしゃる. 非常に微笑ましいお姿であった. 以上が印象に残った個々の出陳物である. 全体的には修験に関してというよりも,とにかく蔵王権現の出陳物が多かったという印象である. そのおかげで,いろいろな蔵王権現の違いというのを楽しませていただいた. いずれ三徳山三佛寺を訪れてみたい(投入堂は厳しいであろうが…). ところで,たまたまではあるが訪問日に法話 山伏説法が開催されていた. 講師は総本山金峯山寺長臈 田中利典氏である. 昨年,講座を拝聴させて頂いたこともあるし,なにより,金峯山寺の夜間拝観の声明を取り仕切っておられた. 昨年は宗務総長と聞いたような気がするけれども,今は長臈となられたのだろう. 参加したのは,山伏説法「修験道はすばらしい②,③」である. 感銘を受けたのはReligionの定義についてである. 一般的にReligionは宗教と訳されるけれども,日本人に分かりやすいように訳せば“一神教”とするべきである. 日本人は今,無宗教だという人が多くを占めているが,それと気づかず生活に入り込んでいるものが宗教であるから,本当に無宗教の人はなかなかいないのではないかというお話であった. このお話は普段から私がもやもやと考えていることを的確に表現して下さっているように思う. 日本に生まれて日本人として生きている人のほとんど(もちろん例外の方もいるでしょう)は,それと気づかないうちに実は多神教徒であるのだが,太平洋戦争,オウム真理教の事件,そして海外の宗教戦争を目の当たりにしたことで宗教の恐ろしさから,なにかしらの教徒であることを恐れるようになってしまったのではないかと思うのである. しかし,日常生活に入り込んだ宗教観のようなものは未だ日本人に残り続けていると思うのだが…. ちなみに,日本人の恐れる宗教は全て一神教である. この件については,いずれブログできちんと取り上げたいのでここまでにしておく. とにかくいろいろ得るものの多い特別展であった. 今年はまだまだ,行きたい博物館がいくつあるのでうれしい悲鳴を上げているところである. 全部,訪れられるといいが.
by Allegro-nontroppo
| 2015-10-19 18:59
| 博物館
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