奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で開催される速報展「大和を掘る33」の見どころ解説を聴講した. 講師は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館主任学芸員の鶴見泰寿氏である. 紹介された遺跡は以下の通りである.
・縄文土器の朱い漆を塗った耳栓(耳たぶにあけた穴につめる)が見つかった →大きいものが見つかった(年がいくほどに穴が大きくなるので大きな耳栓ほど年のいった人のものである) ・どんぐりピットの発見 ・辰砂の原石の発見 唐古・鍵遺跡 ・弥生土器,ひょうたん,桜の木の皮など ・稲の花粉…環濠の近くで水田を営んでいたと推測される. 纏向遺跡 ・猪の肩甲骨…卜骨として使用,朝鮮半島の土器など発見 都塚古墳 ・石室でよく知られている. ・墳丘は方形の三段,石をいれて化粧土を施したあと,石垣を積み上げている.一辺41m~42m. ・立地として石舞台古墳のすぐそばで(蘇我氏の領地),立派な石室石棺を持つことから,蘇我稲目の古墳と報道されたようだが,谷など地形の問題から,蘇我氏の領地として考えなくてもよいかもしれない. ・渡来系氏族が被葬者??? 赤田1号墳 ・横穴式石室,陶棺(焼き物の棺) ・藤原,奈良時代(7世紀ごろ)に金の耳飾りを追葬 →ずっと祭祀を続けていた 太田古墳群 ・古墳時代中期から後期の古墳 ・周囲にきれいな石垣を積んでいる 小山田遺跡 ・石を張った堀…古墳(方墳) →明日香では宮殿でよくある積み方 ・全長48m(もっと発掘すると長くなる?) ・付近では藤原宮の木簡が見つかっていた ・室生と吉野の石積(10cmくらいズラして積んでいる) ・舒明天皇の八角形古墳の板石と同じ ・菖蒲池古墳を蘇我入鹿の小陵とすると,蘇我蝦夷の甘樫丘の大陵??? 甘樫丘東麓遺跡 ・蘇我蝦夷,入鹿の邸宅があったとされる ・焼けた壁土,鞴など…鋳造の工房があった ・工房の製品は出土していない 西安寺跡 ・一辺13mの塔跡の礎石…法隆寺サイズ ・7世紀後半~8世紀後半の焼けた床面 飛鳥寺西方遺跡 ・この遺跡で初めての建物跡 →掘立柱穴(焼けた土が入り込んでいる)…柱穴が小さいので仮設の建物? (備考:飛鳥寺は一塔三金堂形式) 飛鳥京跡苑池 ・塀の柱穴 藤原京右京十一条二坊 ・建物(大型掘立柱…6×51m)の端及び塀らしき柱跡を発見 市尾瓦窯跡 ・藤原宮大極殿と同じ形式の瓦が発掘された →藤原宮大極殿が移築されて平城宮大極殿となった 史跡薬師寺旧境内 史跡唐招提寺旧境内 ・三彩の瓦(鑑真のいたとされたところ付近) →波状の模様…大事にされた場所に使われた? (この瓦は唐招提寺でしか見つからないので専用) 平城京左京五条四坊一坪 ・銅製獣脚…未完成品,失敗作? →金銅火舎(正倉院宝物)と同じもの 今井寺内町 ・内堀・外堀から江戸時代後期以降の磁器,火縄銃の玉(信長軍の放った玉の残り) →江戸時代前期は栄えていたが段々,整備できないようになっていった 郡山城天守台 ・梵字のある礎石,付櫓の地下部屋礎石,金箔瓦など 以上が,「大和を掘る33」の見どころ解説の概要である. 「大和を掘る」は一度,実際に橿原考古学研究所附属博物館に見に行ってみたいが,毎年の仕事の繁忙期と重なっているので難しい. 見どころ解説を東京でやって頂けるのは本当にありがたい. 今回のお話で面白かったのは現場の方とそれ以外の考えが違うような例がいくつも聞けたことである. 都塚古墳,小山田遺跡,そして,箸墓古墳. 都塚古墳や小山田古墳については新たな発見もあり,報道のために注目を集めるような意図もあったように思える. ただ,箸墓古墳については様々な学会などなどの思惑が入り乱れて,有利な学説に無理にしたてられているように感じてしまう. もっと,現場の方々の意見に注目していきたい.
by Allegro-nontroppo
| 2015-08-17 00:14
| 講演会,シンポジウムなど
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