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キトラ 最古の天文図のミステリー by コズミックフロントNEXT

コズミックフロントNEXTを初めて視聴した.

コズミックフロントの時代にはたまに視聴していたのだが….

2015716日は「キトラ 最古の天文図のミステリー」と題した放送であった.

これは見逃すわけにはいくまい.


星座の一部や模式的な天文図であればエジプトやギリシャなどにもっと古いものが残っているのだが,精緻な星図として世界で一番古いのはキトラ古墳の石室天井の天文図となる.

このキトラ古墳の天文図を初めて天文学者を交えて,考古学の知見+天文学の解析から解き明かそうというのが今回のプロジェクトということである.


キトラ古墳の天文図は星官68,350個もの星々が描かれており,星座でいうところのオリオン座,北斗七星などの星座も確認できる.

加えて,「黄道」や「内規」,「外規」,「天の赤道」が描かれていることも特徴である.

また,この天文図には下書きの跡があり,モデルとなる天文図を写した可能性が高い.

古代中国の宇宙観は「宇宙は球状」とされていた.

また,星官の中の二十八宿の内,距星と呼ばれる精密に観測される天空の座標があった.


ところで,地球の自転軸は一定ではなく回転している.

これを歳差運動といい,古代中国で既に発見されていたという.

この距星と歳差運動から二人の天文学者がいつ頃の時代の空を写した天文図であるかを解析していた.

一人の天文学者写し間違いの少ないと思われる五つの星から384年ごろと推定していた.

星官が400年ごろ,天文学者によってまとめられ,さらに歳差運動が発見されたのもこの頃であることから信憑性が高まる.

一方でもう一人の天文学者は28の距星のうちはっきりと確認できる25の距星の誤差が最も少なくなる空は紀元前80年であるとした.

渾天儀は紀元前200年頃には発明されており,高度な天文学が発達していたことから可能性はあるといえる.


次に観測された地点について解析していた.

宇宙を天球としたときの天の赤道と内規(観測地の緯度でかわる)から,北緯37~38度で観測された空ということになるらしい.

日本では福島で高句麗・漢城(今のソウル)も同じくらいの緯度にあたる.

ソウルでは天象列次分野之図という,古い天文図を写したとされる天文図が発見されているが,これは紀元前60年頃の中国で観測されたと推測される.

中国では太原・北魏の都市が同じ緯度にあたる.

北魏で天文観測を行っていたという直接的な証拠は残っていないが,北魏は自分たちの暦をもっていたので天文学が発達していたのは間違いないということらしい.

北緯37~38度で観測されたとするには問題となるのが老人星・カノープスがキトラ古墳の天文図に描かれている点である.

カノープスは北緯37~38度では観測できなかったと思われる.

つまり,もっと南の地で観測された可能性があるということだ.

400年ごろの北緯34度・洛陽や長安では先の天文学者の解析したふたつの星官の位置が一致するという(ただし他の星官では一致しない).


最後にどのように日本にやってきたのかについて推定されていた.

1247年蘇州天文図では星が全て同じ大きさに描かれているが,1395年朝鮮の天象列次分野之図ではカノープスやシリウスなど大きく描かれている星がキトラ古墳の天文図と同様,見受けられる.

従って,朝鮮半島の影響をうけたと考えられる.

元嘉暦(西暦400年ごろ)に朝鮮半島を経由して日本へ?.

飛鳥でも元嘉暦をもとにした暦を使っていた.

602年百済の僧が暦本を献上と日本書紀に記載有.

600年代天文現象に関する記事が飛躍的に増える.

628年日食,675年占星台設立など.

日本でも天文学が進歩してくる.


最終的な結論としては古くからデータをつぎ足しながら(観測の集積),完成したのがキトラ古墳の天文図でないかということであった.


個人的にはキトラ古墳の築造時期は700年前後と考えている(高松塚・キトラ古墳考② ー時期の特定ー).

そこからさかのぼること300年前に天文図は日本にやってきていたとなると,この天文図の位置づけがどのようなものであったのか気になる.

たとえば大王の象徴として飛鳥の宮殿に飾られていたとかありえないだろうか.

また,天文図や四神図,十二支図が同じ時期に日本に流入したかどうかも謎である.

同じ壁画古墳の高松塚古墳の人物群像は章懐太子,懿徳太子,永泰公主の陵墓の壁画と類似する点があるという.

彼らが亡くなったのは700年前後であることから,高松塚古墳の人物群像のモデルとなった何かもそれ以降に日本にやってきたのであろう.

そうなるとキトラ古墳の四神図や十二支図が単純に400年頃に天文図と一緒にやってきたとも言い切れないだろう.


いろいろ考えさせられると同時に,まだまだ解明できそうなことがたくさんありそうだと思わせてくれる番組であった.

再放送も予定されているようなので,もう一度見てみようかと思う.


by Allegro-nontroppo | 2015-07-21 01:18 | 高松塚・キトラ古墳
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