先の記事にも書いたが,「発掘された日本列島2015」を見に行った. 場所は江戸東京博物館である. 昨年も「発掘された日本列島2014」を見に行った(記事はこちら→)のだが,その時の文化庁職員の方の展示解説が勉強になったので,今年も聞かせて頂いた. そのあたりも踏まえながら,以下感想(展示順)である. 古墳時代 甲塚遺跡(栃木県下野市) 約1400年前 前方後円墳であり,下野国分寺跡の隣に位置しているとのこと. 沖ノ島の祭祀遺物にもミニチュア版の機織機が出土しているが,埴輪としても出土したということで学術的意義が高いそうだ. 当時既に形の異なる2種類の機織機があったことが分かる. 色が塗られていたようで,復元すると下写真のようになる. 人物埴輪は表情豊かで,右4体は男性(みずらを結っていたりする),左は女性と推定されている. 一番左の女性がもっているものはこれまで出土例はあったが,今までのところ何のためのものかよく分かっていない. 右の馬は鐙が片側にしかないので横座り用かもしれない. 馬も色を塗られていたようである. 埴輪たちはなんらかの儀礼の様子をあらわしていると思われるが,お葬式なのか,それとも別の儀式かどうかは決着がついていない.
埴輪は素焼きのまま古墳に飾られていたというイメージがあったが,色が塗られていたということで,当時の美意識の高さには驚かされる. 沖ノ島の機織機は数年前,トーハクの「大神社展」で見た記憶がある. 記紀では天照大御神も機織りをしていることだし,当時の信仰的にも大きな意味合いがあったのであろう. 旧石器時代 福井洞窟 約15000年前 洞窟の中なので地層が乱れにくく,掘り進めるほど時代が古くなる. この展示は発掘地点の深い順に棚が高くなっている. 土器を使うようになると縄文時代と言えるが,上から2番目と3番目に土器が出てくるので,ここ辺りは縄文時代である. それ以前はないので旧石器時代から縄文時代となる. 黒曜石すら一番古い時代には見つからない. 旧石器時代と言っても黒曜石すら加工できなかった時代であろうか. 縄文時代 けや木の平団地遺跡 約4000年前 深鉢型の土器で人型が張り付けられている. この人型はおなかがすこしぽっこりしており,また土偶の表現と似ている(点々=女性を表している?). 参考までに他遺跡の土偶を貼っておく. 女性は再生の象徴である. また,この土器には蛇のような模様がみられる(蛇は脱皮から再生の象徴). 祭祀に使われたと思われる. 私の中で今回一番印象に残ったのがこの展示である. 人型が張り付けられた土器というのは聞いたことがない. 板状土偶の発展版のようにも思える. 弥生時代 東奈良遺跡 約2000年前 銅鐸の鋳型が完全な形で発掘された遺跡である. 他にガラス玉の鋳型なども見つかっており,生産を行っていた遺跡として知られている. 鋳型の中に銅を流し込むための容器が見つかった他,銅鐸の絵が描かれた絵画土器も見つかった. 銅鐸を作っていた人たちが土器にも銅鐸を描いて何らかのお祭りをしていた. 土器の割れ目部分に銅鐸の耳が彫られているのが見える. 銅鐸と言えば,信仰の道具なのに,祭祀等で使用された土器に描かれているのを見たことがなかった. 銅鐸を作っていた遺跡で見つかったということで,他の遺跡より銅鐸を描いた土器の数がよその遺跡より多かったのか,それともよその遺跡では描くことすらしていなかったのか,祭祀の形が気になるところである. 速報 速報として最近のニュースが取り上げられていた. 淡路島でたくさん銅鐸が出てきたが,これは砂とりの業者さんが10年くらい貯めていた砂から出てきたものである. 銅鐸の中には舌が入っており,古い銅鐸であることは分かっている. 現在,これらの銅鐸は調査中であり,実際に埋まっていた場所の特定などが行われているところである. 古代 瓦塚窯跡 約1300年前 同時代,東北では蝦夷との戦いが行われていたが,瓦塚窯跡の近くでは鉄製品を作っていた遺跡もあり,ここで戦いのための道具を作って北に送っていたといわれている. 当時は役所や寺にのみ,瓦を葺いていた. この窯では蓮華文や唐草文の瓦が出土している. 蓮の花の模様から時代比較の研究が行われ,ほぼ時代が特定できるようになっている. 奈良の飛鳥寺だったと思うが,蓮華文の瓦の時代比較の展示が行われていたのを見たことがある. 時代ごとの流行などあるのだろうか. 同時代の別の場所の蓮華文の瓦の比較展示など見てみたくなった. 中世 大雲院跡 約400年前 織田信長の長男・信忠(本能寺の変で亡くなった)の供養のため建立されたお寺である. 二代目の関白にまでなった豊臣秀吉の甥の秀次の供養塔の一部が発見された. 高野山に追いやられ自刃した文禄四年七月十五日や秀次が高野山で名乗った法号・道意などが彫られている. 大雲院は秀次と親交の篤かった貞安和尚がいたお寺であり,妻子まで処刑された秀次を悼んだ貞安和尚が建立したと考えられる. このあたりの時代はあまり詳しくないのだが,秀次の追放や一族皆処刑の件などは豊臣秀吉乱心のエピソードとしてよく聞く. 来年の大河ドラマでも出てきそうな予感がする. 秀次に関しては内密に供養されていたという話がいろいろあるようなので,実際の追放の理由というのは分かっていないようだが,秀次に大きな非はなかったのであろう.
シャトーカミヤ旧醸造施設 約110年前 大震災で被害を受けたため,修理する前に発掘調査を行ったところ,作った場所・会社名が彫られている耐火レンガが発見された. 耐火レンガは江戸末期から使用されており,富岡製糸場や韮山の反射炉などでも使用されている. 耐火レンガというものが,普通のレンガとどのように違って耐火性となっているのかよく分からないけれども,江戸時代末期から既に使われていたというのは面白い. 特集1 復興のための文化力―東日本大震災の復興と埋蔵文化財の保護― 東日本大震災からの復興のため,防潮堤や土地の造成を行う前に,土地の歴史を調査しておくために発掘調査を行っている. 本当に広範囲なうえ,急ピッチで行う必要もあり,発掘現場の方は苦労されていると思う. しかし,私見ではあるが,地域の歴史を残すというのはアイデンティティの確立などなどにおいて重要と考えるのでどうぞケガ等なさらず,無事終えられることをお祈りいたしたい. 縄文時代 東町遺跡 約4500年前 竪穴住居跡に特徴的な複式炉が発見されている. 複式炉は奥には土器を置き,手前は石組みという,二つの機能に分かれている. どっちで何をしたのかははっきりとは分かっていないが,おそらくは手前で調理して奥に火や灰を置いたと考えられる. 弥生時代 天神原遺跡 約1900年前 再葬墓で有名な遺跡である. 重要文化財となったが,大震災で壊れてしまった(ただし修繕済み) 奈良時代 天化沢A遺跡 約1300年前 羽口(溶鉱炉に風を送る入口のこと.溶鉱炉側が焦げている)等,製鉄にかかわるものが発掘されている. 平安時代 地層の跡から津波が来た時期が分かる. 東日本大震災,1611年の慶長の大地震,貞観地震など. 津波の痕跡と周辺住居がいつあって,いつないのかを重ね合わせる. その土地の変遷が分かるとどこが安全でどこが危ないのか分かるようになる. 発掘調査から危険地域などをあらかじめ予測できるようになると,天災に対する備えも充実してくるはずである. 発掘成果が楽しみである. 特集2 全国史跡整備市町村協議会50周年記念 全国史跡整備市町村協議会は史跡名勝を整備し,保護する活動を行っているそうだ. 史跡整備の事例が挙げられていた.
ウトグチ瓦窯跡 約1400年前 ウトグチ瓦窯は場所からいえば,大宰府のための瓦を焼いていたのだろう. 現在のウトグチ瓦窯は展示館として,発掘調査当時の状態で保存・展示されているようだ.
歌津中山の津波記念碑 内容としては,後世の人たちへの津波の警告ということである. この碑については,芸術性とかそういうところとは別にしてずっと残していくべき日本の宝だと思う. 以上が「発掘された日本列島2015」の個々の展示の感想である. ところで「発掘された日本列島2015」では若い解説スタッフ(おそらく学生さんであろう)が来場者に説明して回っていた. けや木の平団地遺跡の人の文様が付いた縄文土器について私に親切に解説してくださった方もいる. 若い方に解説して頂くというのも疑問点など聞きやすくていいものである.
by Allegro-nontroppo
| 2015-07-06 19:00
| 博物館
|
メモ帳
最新の記事
カテゴリ
タグ
記事ランキング
以前の記事
2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 more... 画像一覧
検索
ブログジャンル
その他のジャンル
|
ファン申請 |
||