高松塚・キトラ古墳孝⑦ ーキトラ古墳の被葬者ー

さて,高松塚・キトラ古墳考⑥で高松塚古墳の被葬者は高市皇子と比定した.

今回はキトラ古墳の被葬者を比定したい.

まず,キトラ古墳の被葬者について,文化庁から下記のように発表されているようだ.


奈良県明日香村のキトラ古墳の石室で見つかった人骨や歯を詳しく鑑定した結果,被葬者は熟年(40~60歳代)の男性で,50代の可能性が最も高いことがわかった.

文化庁の委託を受けた奈良文化財研究所が昨年6月,石室にたまった土砂の中から約100片の人骨と,23本の歯を見つけた.

鑑定した片山一道・京大大学院教授(自然人類学)によると,骨はすねの部分の破片1点を除いてすべて頭骨で最大4センチ四方.
粉状に砕けたものも多かった.重複する部分はなく、被葬者は1人とみられる.

目の付近の骨が丸みを帯び,耳の後ろの骨が凸凹して頑丈なことなど男性の特徴が目立った.
頭骨は全体にがっちりしており,骨太の印象があるという.身長は推定できなかった.

歯は全体に大きめで,すり減り方や奥歯の根元に付着した石灰,頭骨の状態などから,50代の可能性が高いという.
右上の奥歯1本はかなりひどい虫歯だった.

朝日新聞記事より抜粋.


上記の記事から,被葬者は男性である可能性が高いようだ.

すでに男性と比定していた私の考え(副葬品に大刀があることから)を裏付けるものとなる.

また,50代の可能性が高いとのことだが,「黄泉の王」(梅原猛氏)より,歯からの年齢推定はその人物の食生活に左右されるため非常に難しいとのことであったので,頭骨の状態を考慮に入れているとは言え,とりあえずおいておきたい.


文化庁発表の鑑定結果から被葬者の頭骨が埋葬されていたことが分かる.

キトラ古墳の壁画は高松塚古墳の壁画のような四神を人為的に消されたり,星図などの金箔・銀箔を削り取られたような跡はないようである.

つまり,キトラ古墳における異常性は「古墳や石槨のサイズが小さいことのみ」と考えてよさそうだ.

よって,高松塚古墳の被葬者・高市皇子のように,この人物は女帝に殺された人物ではないと言えそうだ.

この観点から,高松塚・キトラ古墳孝④に挙げた皇子たちの中からさらに絞り込むことは難しそうである.

そこで,高松塚古墳の被葬者・高市皇子との比較で推定してみたい.


高松塚古墳とキトラ古墳それぞれのサイズを比較するとキトラ古墳の方が小さいことになる.

また,その出土した副葬品もキトラ古墳の方が劣る.

ということは,キトラ古墳の被葬者は高市皇子より身分の低い皇子ということになる.

この身分の上下はどのように解釈したらよいだろう.


それぞれの生母の位を順番に記してみると下記のような結果となる.

草壁皇子(生母:皇后)

弓削皇子(生母:妃)

高市皇子(生母:嬪)

忍壁皇子(生母:宮人)

磯城皇子(生母:宮人)

川島皇子(生母:宮人)


忍壁皇子は磯城皇子の同母兄であること,川島皇子は天智天皇を父にもつことから,生母が宮人の三人は上記の順番とした.


一歩踏み込みが足りないようである.

では,皇子たちの最終的な官位の高さで順番に記したらどうであろうか.

草壁皇子(皇太子)

高市皇子(太政大臣)

忍壁皇子(三品知太政官事)

磯城皇子(浄広壱?)

弓削皇子(浄広弐位)

川島皇子(浄大参)


皇子たちの官位の順番は上記のようになるだろう.

ここで気になるのは「知太政官事」という官位である.

Wikipediaには以下のように書かれている.

知太政官事とは「太政官の事を知る」,つまり太政官の長官として万機を総攬する官職である.
あえて知太政官事という令外官の設置をもって代えたのは,近江令の下での太政大臣であった大友皇子,飛鳥浄御原令の下での太政大臣であった高市皇子の存在を前提として,両者がともに皇太子ないしそれに準じる立場で天皇の共同統治者・政務代行者としての地位にあったことから,太政大臣の任命が皇太子指名に相当するものとの誤解を与え,当時の朝廷の首脳部により意図されていた草壁皇子の男系子孫による直系的皇位継承が不安定化することを避ける配慮が働いたものと考えられている.


つまり,知太政官事という官位は「太政大臣・高市皇子」に一歩,配慮した官位であるといえるのではないか.

これは,高松塚古墳とキトラ古墳の関係性によく似ている.

であるならば,キトラ古墳の被葬者は「忍壁皇子」と推定できるのではないか.


忍壁皇子は生母の身分から言っても,高市皇子に一歩劣る.

忍壁皇子の墓はその身分から,高市皇子よりも立派な墓を造営することは許されなかったが,同格の墓であることは許されたと考えられはしまいか?


キトラ古墳の被葬者は高松塚古墳の被葬者のようにはっきりと比定できる根拠が見つからなかった.

しかし,高松塚古墳との関係性から,現在のところ,忍壁皇子と比定しておくこととする.

今後の調査でもっと明確な証拠が見つかることを期待する.


高松塚古墳の被葬者=高市皇子キトラ古墳被葬者=忍壁皇子と比定できたところで,この「高松塚・キトラ古墳孝」のシリーズを終了したい.

今後,新たな発見などにより,仮説を変更または追記したいことがあれば再開したいと思う.


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by Allegro-nontroppo | 2014-06-22 19:05 | 高松塚・キトラ古墳
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