さて,高松塚・キトラ古墳考⑥で高松塚古墳の被葬者は高市皇子と比定した. 今回はキトラ古墳の被葬者を比定したい. まず,キトラ古墳の被葬者について,文化庁から下記のように発表されているようだ.
文化庁の委託を受けた奈良文化財研究所が昨年6月,石室にたまった土砂の中から約100片の人骨と,23本の歯を見つけた. 鑑定した片山一道・京大大学院教授(自然人類学)によると,骨はすねの部分の破片1点を除いてすべて頭骨で最大4センチ四方. 目の付近の骨が丸みを帯び,耳の後ろの骨が凸凹して頑丈なことなど男性の特徴が目立った. 歯は全体に大きめで,すり減り方や奥歯の根元に付着した石灰,頭骨の状態などから,50代の可能性が高いという. ※朝日新聞記事より抜粋.
すでに男性と比定していた私の考え(副葬品に大刀があることから)を裏付けるものとなる. また,50代の可能性が高いとのことだが,「黄泉の王」(梅原猛氏)より,歯からの年齢推定はその人物の食生活に左右されるため非常に難しいとのことであったので,頭骨の状態を考慮に入れているとは言え,とりあえずおいておきたい.
キトラ古墳の壁画は高松塚古墳の壁画のような四神を人為的に消されたり,星図などの金箔・銀箔を削り取られたような跡はないようである. つまり,キトラ古墳における異常性は「古墳や石槨のサイズが小さいことのみ」と考えてよさそうだ. よって,高松塚古墳の被葬者・高市皇子のように,この人物は女帝に殺された人物ではないと言えそうだ. この観点から,高松塚・キトラ古墳孝④に挙げた皇子たちの中からさらに絞り込むことは難しそうである. そこで,高松塚古墳の被葬者・高市皇子との比較で推定してみたい.
また,その出土した副葬品もキトラ古墳の方が劣る. ということは,キトラ古墳の被葬者は高市皇子より身分の低い皇子ということになる. この身分の上下はどのように解釈したらよいだろう.
草壁皇子(生母:皇后) 弓削皇子(生母:妃) 高市皇子(生母:嬪) 忍壁皇子(生母:宮人) 磯城皇子(生母:宮人) 川島皇子(生母:宮人)
では,皇子たちの最終的な官位の高さで順番に記したらどうであろうか. 草壁皇子(皇太子) 高市皇子(太政大臣) 忍壁皇子(三品知太政官事) 磯城皇子(浄広壱?) 弓削皇子(浄広弐位) 川島皇子(浄大参)
ここで気になるのは「知太政官事」という官位である. Wikipediaには以下のように書かれている. 知太政官事とは「太政官の事を知る」,つまり太政官の長官として万機を総攬する官職である.
これは,高松塚古墳とキトラ古墳の関係性によく似ている. であるならば,キトラ古墳の被葬者は「忍壁皇子」と推定できるのではないか.
忍壁皇子の墓はその身分から,高市皇子よりも立派な墓を造営することは許されなかったが,同格の墓であることは許されたと考えられはしまいか?
しかし,高松塚古墳との関係性から,現在のところ,忍壁皇子と比定しておくこととする. 今後の調査でもっと明確な証拠が見つかることを期待する.
今後,新たな発見などにより,仮説を変更または追記したいことがあれば再開したいと思う.
by Allegro-nontroppo
| 2014-06-22 19:05
| 高松塚・キトラ古墳
|
メモ帳
最新の記事
カテゴリ
タグ
記事ランキング
以前の記事
2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 more... 画像一覧
検索
ブログジャンル
その他のジャンル
|
ファン申請 |
||