「法隆寺―祈りとかたち」@東京芸術大学美術館

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「法隆寺―祈りとかたち」に行ってきた.

会場は東京芸術大学美術館である.
ちなみに私がここを訪れるのは初めてである.

この展覧会は東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年を記念して開催されたものである.


まず,展示されているのは東京芸術大学の学長を務めた岡倉天心やフェノロサの調査した「法隆寺の至宝の数々」である.

この調査では法隆寺夢殿で長らく秘仏とされ,誰も見ることができなかった救世観音を僧侶たちの静止を押し切って無理矢理に調査したことで有名である.

会場で上映されていたビデオにおいて,現在では法隆寺側がこの調査を好意的に受け止めているとの発言があり驚いた.

この救世観音は今は公開されていることだし,そんなものかもしれない.

「法隆寺の至宝」の中で興味深かったのは「扇面法華経冊子断簡」(平安時代)と「五尊像」(鎌倉時代)であろうか.

「扇面法華経冊子断簡」については,扇に当時の宮廷貴族らしき人物と法華経が書かれているのを珍しく感じた.

「五尊像」は上部に虚空蔵菩薩と大日如来ともう一体(忘れてしまった),下部に聖徳太子と弘法大師が描かれているという取り合わせに驚いた.


次に東京芸術大学出身の芸術家たちが奉納した作品が展示されている.

「聖徳太子像」などを私でも知っている有名な作家が奉納をしている.

東京芸術大学出身の芸術家たちの作品では「法隆寺金堂壁画模写」を見逃すことはできない.

この金堂壁画の本物は失火により燃えて失われてしまった.

しかし,調査のために撮影しておいたものや岡倉天心が積極的に模写を進めていたおかげでたくさんの模写が存在したため,当時の様子を知ることができる.

今回は鈴木空如の作品が全壁分,出品されていた.

金堂壁画の模写は数多く存在するが,鈴木空如のものは特に忠実ということだ.

さらに3回もこの壁画の模写を行ったとのことで,なかなかに凄まじい話である.

またここでは,現在の金堂を彩る壁画が東京芸術大学出身の画家らによって再現されたことも説明されていた.


近代日本美術作品についても展示があった.

特に興味深かったのは「山背王入滅図」(生田花朝)である.

この作品は上部に天上世界,中部に法隆寺の塔を飾る「維摩詰像(塑像)」,下部に山背王を描いている.

蘇我氏に滅ぼされる瞬間を描いた作品で,なかなか胸に来るものがあった.

「金堂落慶之図」(和田英作)も当時は本当にこのような情景があったのかもしれないと思わせる作品であった.


最後に法隆寺の飛鳥時代~南北朝時代くらいまでの宝物が展示されている.

一番目を引くのは国宝「毘沙門天立像」(平安時代)と「吉祥天立像」(平安時代)である.

この二体は対で作成されており,本来,金堂の釈迦三尊像の両脇に安置されている.

特に「吉祥天立像」については先日読了した「隠された十字架―法隆寺論―」(梅原猛)でも取り上げられていたから非常に興味があった.

彩色も結構残っており,優美な姿に感じられた.

余談だが,この二体こそ除災・国家安穏・五穀豊穣を祈念して造られたことから,東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年を記念して出品された仏像である.

その他では,金堂の上部にとりつけられている「天人」(飛鳥時代)を間近で見ることができたのは良かった.

天人らしいおおらかな顔立ちをしていらっしゃる.

これは完全な私的感想になってしまうが,飛鳥時代のお寺はそれ以後のお寺に比べて,天人が舞飛ぶなど優美な印象が強いように思う.

他に「聖徳太子立像(二歳像)」(鎌倉時代)はおなじみの「南無仏」と唱える姿であった.


ところで,今回出品されるはずであった「阿弥陀三尊像」(重要文化財,奈良時代,法隆寺蔵,伝法堂東の間)は作品保存上の理由により,仙台会場のみの出品となったらしい.

代わりに東京展では,「阿弥陀如来坐像」(重要文化財,平安時代 12世紀,法隆寺蔵,三経院)が出品され,「広目天立像」「多聞天立像」(重要文化財,平安時代12世紀,法隆寺蔵,三経院)、「持国天立像」「増長天立像」(平安時代1112世紀、法隆寺蔵)が特別出品となった.

元々,出品されていたものも含めると四天王像が何体も出品されることになり,比較することができる.

私の四天王像の印象はどの仏像でも動きがあり,邪鬼を踏みつけて,憤怒の表情をしている.

先に挙げた国宝の「毘沙門天立像」(平安時代)は「吉祥天立像」(平安時代)と夫婦として対で造られたものであるから,四天王として造られている訳ではないと考えてよいだろう.

特別出品された「広目天立像」「多聞天立像」(重要文化財,平安時代12世紀,法隆寺蔵,三経院)、「持国天立像」「増長天立像」(平安時代1112世紀、法隆寺蔵)は邪鬼を踏みつけ,憤怒の表情で動きのある私の印象通りの四天王である.

ところが「持国天立像」(飛鳥時代)及び「多聞天立像」(飛鳥時代)は邪鬼を踏みつけていないし,動きもないし表情もない.

ということは,邪鬼を踏みつけ,憤怒の表情で動きのある四天王像というのは飛鳥時代以降,平安時代以前に確立されたのだろうか.

平安時代以前は技術がなかったために動きのない像になったとの意見もあるだろうが,飛鳥時代には立派な「飛鳥大仏」などが作成されていることを考えるとそのような単純な問題ではないと思う.

非常に気になる部分である.


以上が「法隆寺ー祈りとかたちー」の感想である.

実はつい最近まで,この展覧会に行くつもりはなかったのだが,先に挙げた「隠された十字架―法隆寺論―」を読み,行く気になった.

結果としていろいろ発見もあったし,行ってよかったと思う.

次は是非,法隆寺を訪れたいものである.


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by Allegro-nontroppo | 2014-06-19 19:18 | 博物館
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