高松塚・キトラ古墳孝⑤ ー高松塚古墳の異常性ー

今回は焦点を高松塚古墳にあててみたい.


高松塚古墳にはいくつか異常な点が見られる.

まずは古墳の大きさである.

高松塚・キトラ古墳孝③ ー被葬者の身分ーでも触れたが土盛の広さでは王以上であるがその他の土盛の高さや石槨のサイズは薄葬令に規定されているものより小さい.

なぜ,小さいサイズで造られたのであろうか.


次に壁画について謎がある.

北方の玄武の蛇と亀の頭が削り取られているのだ.

同様に東西に描かれた日月の表面も削り取られている.

日には金箔,月には銀箔が貼られていたのだが,大部分が内欠かれているという.

これは自然の剥落ではなく,人為的なものであるという.

高松塚古墳は盗掘を受けた古墳であるが,盗賊たちがわざわざ壁画を傷つける意味は特に見いだせない.

そうであれば,最初から壁画は傷つけられていたと考える他ない.

こうなってくると,南方の朱雀についても疑問がでてくる.

南壁には盗掘孔が開けられ,そこから流れ出した泥水で朱雀は発見できなくなったと言われている.

しかし,最初から描かれていなかったから発見できないという可能性も否定できないのではないか.

朱雀問題は置いておくとしても,わざわざ完成された壁画を傷つけた意味はよく分からない.


最後はやはり被葬者についてである.

中間報告書によれば盗掘によって荒らされたような形跡はあるものの,残存率としては非常によいということだが,なぜか頭蓋骨と下顎骨は破片すら見つかっていないのだ.

但し,頭蓋骨に続く舌骨,化骨甲状軟骨,全頸椎は残存しているということで斬首などはありえないというのだ.

狭い盗掘孔を多数の副葬品を持って抜け出る必要のある盗賊がわざわざ頭蓋骨をもっていく可能性はまずないだろう.

被葬者は頭蓋骨を抜き取られ埋葬されたということになる.


上記の点は被葬者に対する負の感情を表しているとしか思えない.

古墳のサイズの小ささは被葬者を矮小にみせるため,壁画の剥落は被葬者への天皇位または皇族としての否定,そして頭蓋骨がないことにつては被葬者への罰のようなものを表しているのではないか.


つまり,被葬者は天皇になることを否定されたまたは古墳築造者が否定したかった人物ということであろう.


ところで,前回挙げた皇子たちのなかに「日本書紀」や「続日本紀」に謀反等の罪があったと記されている人物はいない.

よって,当時の時代背景や「日本書紀」や「続日本紀」の行間を読んでいくこととなる.


壬申の乱(参照:アマテラス及び神宮考③ -記紀・人代(天武天皇)と神宮-)は天智天皇の息子である大友皇子とその叔父で天智天皇の弟である天武天皇の皇統争いであった.

この争いを引き起こした側である天武天皇は当然,後継者問題には慎重であったと思われる.

それまでの慣習として天皇はその兄弟が継ぐことが多かった.

現に天武天皇は皇太子に立った(虚偽であるともされる)と日本書紀には記されている.

ところが息子可愛さに天智天皇は大友皇子に位を譲ってしまったことで争いが起きてしまった.

天武天皇には息子が何人もいたことから,後継者を明確にしようと「吉野の盟約」が交わされる.

これは天武天皇とその皇后であった持統天皇が同席のもと,草壁皇子を次の天皇と宣言した.

この後に草壁皇子は皇太子となっている.

天武天皇が病没すると草壁皇子の一歳下の異母弟で,同じくらい血筋の良い大津皇子の謀反事件が起こっている.

これは,草壁皇子の邪魔となる大津皇子を持統天皇が謀殺したといわれる事件である.

しかし,この草壁皇子は天武天皇の喪が明ける前に亡くなってしまい,持統天皇が即位することとなる.

持統天皇には子供が草壁皇子のみであるため,誰が後継者になるかもめたようだが,最終的には草壁皇子の息子の文武天皇が即位することになる.


このような事情であるから,前回の記事であげた川島皇子,草壁皇子,弓削皇子,高市皇子,忍壁皇子,磯城皇子の中で草壁皇子は候補から外れる.

天武天皇が病で亡くなる前から持統体制にスライドされ始めていた朝廷の中で草壁皇子が次期天皇となるのはほぼ確定事項であったろうし,また邪魔が入ったとしても大津皇子のように謀殺し,着実に天皇への道を持統天皇によって進まされていたからだ.


では,次に血筋の良い弓削皇子であろうか.

彼は持統天皇の後継者を決める会議で発言しようとして叱責されている.

これが罪とされたのだろうか.

私は違うと思う.

おそらく,会議で発言しようとした内容は兄である長皇子の推薦であろう.

万が一,長皇子が天皇位に就いたとしても,長皇子にはすでに息子があった.

私は「吉野の盟約」あたりで天皇位の男子長子の相続が天武天皇の意向とされたのではないかと思っている.

天武天皇は晩年,大津皇子を後継者にと,ぶれることはあったかもしれないが,天皇の息子への相続と言う点でははっきりと定めていたと思う.

そうであれば,弓削皇子は決して天皇位に近い皇子ではなかったのだ.

高松塚古墳の被葬者として弓削皇子を挙げている方に梅原猛氏がいらっしゃる.

彼の説は歯からの年齢鑑定はあてにならないこと,文武天皇の妃に皇族出身の皇女がいないこと,万葉集の歌などをその根拠にしている.

これには納得いかない部分がある.

被葬者の年齢は30代から70代で,歯の摩耗度からいえば4,50代であるという.

梅原氏は歯からの年齢鑑定を否定しているが,そうであっても被葬者の年齢は30代から70代なのだ.

こちらの根拠は歯ではなく舌骨と化骨甲状軟骨であり,歯とは異なり食生活を含む日常生活の違いが大きく影響を与える部分ではないと思う.

そうなると推定年齢27歳の弓削皇子は候補から外れる.

また,文武天皇の妃であった紀皇女との密通があったため弓削皇子は殺されたまたは罰を受けたという説を展開しておられ,古墳の状態を貶めたのは,皇族にも手を出すことができるという藤原不比等の権力を喧伝するためとされているが,それならば何故,長皇子に罪の余波がいかないのか.

また,密通の事実があったからといって,こそこそと墓を貶めようと考えるのはあまり納得がいかない.

そもそも,密通の可能性のある皇女を文武天皇の妃にするというのは持統天皇らしくない.


他の候補の皇子たちについても,川島皇子,高市皇子,忍壁皇子については基本的には「吉野の盟約」に参加し,天武・持統天皇の意向に沿った皇子たちといえるし,それぞれ天皇の下で汚い仕事も含めて働いていた皇子たちであるから,朝廷側から負の感情は持たれないように思われる.

また,磯城皇子についてもあまり事績がないということは影の薄い皇子であったと思われる.


では,せっかく挙げた候補者の中には被葬者はいないのか.


実は非常に気になる皇子がいる.

その人こそが高松塚古墳の被葬者でないかと考えている.

次回は高松塚古墳の被葬者に迫りたい.


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by Allegro-nontroppo | 2014-06-07 19:08 | 高松塚・キトラ古墳
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