人気ブログランキング | 話題のタグを見る

特別展 栄西と建仁寺

特別展  栄西と建仁寺_f0305926_12540257.png
東京国立博物館に行ってきた.
目的は「開山・栄西禅師800年遠忌 特別展 栄西と建仁寺」観覧のためである.
もちろん,その中で特に楽しみにしていたのは国宝 風神雷神である.
建仁寺所有の名宝として名高いが,建仁寺に行けば見れるものではないため,琳派好きとしては非常に楽しみであった.

ところで本特別展では栄西を「ようさい」としている.
これは建仁寺では興禅護国論和解(高峰東晙著 本特別展でも展示)で栄西に「イヤウサイ」と振り仮名が振られているためだそうだ.





平日に観覧することができたが,その割りに人が多いように感じた.
前期が終わる間際に行ったからかもしれない.
全体の構成としては,

序章 禅院の茶
第1章 栄西の足跡
第2章 建仁寺ゆかりの僧たち
第3章 近世の建仁寺
第4章 建仁寺ゆかりの名宝

となっており,栄西と建仁寺に関していろいろな知識が得られる.
欲を言わせてもらえれば,「臨済宗について」とか「他の禅宗との違い」などが分かるような展示があればもっと理解が深まったように思えるが,中学生でも習ったと記憶しているので常識の範疇としてパネル等は作らなかったのかもしれない.
私の場合は内容をすっかり忘れてしまっていたが.

栄西については「臨済宗の宗祖」と誤解していたが正しくは「臨済宗の開祖」であるから,日本に「臨済宗」をはじめて持ち込んだ人である.
また,鎌倉仏教のイメージが強く,鎌倉五山も全て臨済宗であることから,鎌倉で活躍した人だと思い込んでいたが,実際は活躍したのは蘭渓道隆のようだ.
この蘭渓道隆は建仁寺の住持ともなっている.

栄西は京都以外では福岡でいくつかの寺を開山している.
例えば,日本最初の臨済宗の寺となった「聖福寺」である.
今回の特別展では後鳥羽天皇勅額「扶桑最初禅窟」が展示されていた.

このように自身の記憶違いについて,反省しながらも新しい発見もあった.
栄西は吉備津神社の権禰宜の息子であったということである.
吉備津神社といえば,備中国一宮であり,犬養毅が厚く崇敬したことでも知られる別表神社である.
このように神道のサラブレットというべき出自をもつ栄西が何故,仏教を志したのか気になるところである.

建仁寺ゆかりの名宝としてはまずは海北友松の障壁画の数々であろう.
有名な「雲竜図」は竜はもちろん,逆巻く雲や大気まで伝わってくるようなダイナミックさであった.

他には伊藤若冲の「雪梅雄鶏図」.
こちらは解説にもあったが光を照り返す雪,白梅,雄鶏の羽根などの白色をそれぞれ表しており,白の多彩さに驚かされる.

そして,本特別展最後に展示されている,俵屋宗達「風神雷神図屏風」.
まずは,余白の美とでもいうべきか,対象を中央に持ってこず,それによって風神雷神の動きを感じさせる素晴らしさに感服させられる.
このデザインの素晴らしさは確実に後の琳派の面々に伝わっている.
さらに,本来ならば,雷神の肌を朱色にするべきところを白色にしているところが素晴らしい.
雷神の肌が朱色であったならば,この屏風から受ける印象はもっと重たくなっていたであろう.
忘れてはならないのは風神雷神を取り巻く雲である.
墨に銀泥を混ぜていることで軽やかで躍動感を感じる.
後に琳派を象徴する「たらし込み」で描かれていることも軽やかさや躍動感に一役かっていることは間違いなさそうだ.

この屏風を時を超えて尾形光琳が時間や手間を惜しまずに忠実に模写したと思うと胸があつくなる思いである.
しかも,この絵が後に光琳の最高傑作「紅白梅図屏風」に影響を与えたと思うと,日本美術史上においても重要な一点であることは間違いない.
ちなみにこの光琳の「風神雷神図屏風」は同期間に本館で展示されているようだが,かなり忠実なので,同会場で展示しなければ見比べることは難しいのではないかと思う.
光琳については,今回は省略した.

最後に本日4月20日は栄西の誕生日ということで建仁寺では「四頭茶会」が開催されているはずである.
栄西といえば,当時廃れかけていた茶を再び宋から持ち帰った,日本における喫茶の中興の祖といえる人物である.
本特別展でも栄西の記した「喫茶養生記」が展示されていた.
さらに,茶会の原型,禅林の茶を象徴する「四頭茶会」の空間が再現されており,実際の様子については映像が流されていた.
その映像について簡単に記しておくと,まずは栄西の肖像画に茶をささげる.
客たちは壁際に,壁を背にして座っており,事前に茶葉の入った天目茶碗と折敷が一人一人に配られる.
そこへ僧たち(四人)が湯の入った浄瓶に茶筅を差したものを持ってやってきて,客たちは天目茶碗を捧げ持ち,そこに僧たちは立ったまま湯を注ぎ茶をたてていく.
現在の茶会とは異なるスタイルではあるが,おそらく千利休のころに様式化され現在に近い形になったのだろう.

というわけで,「栄西と建仁寺」について,栄西の誕生日に更新させて頂いた.



by Allegro-nontroppo | 2014-04-20 13:03 | 博物館
<< 伊勢・飛鳥・橿原旅行記 1日... 「脇本遺跡の調査結果から古墳時... >>